22│05-06│need something

■某日
 母親が神奈川にある実家に来るとのことで中華街で母親、叔母、自分の3人で中華を食べる。家族仲は定期的にご飯を食べる程度には悪くはないが、かと言って頻繁に何かを報告しあうほどよくはない。姉の近況に至っては母親と叔母経由で知る始末。でも幸せならOKです。特に弾むわけでもない他愛のない話で時間が流れる。ふとこういう時間にもいつか終わりが来ると思うと、ゾッとする。帰りの電車内で「トーフビーツの難聴日記」を読む。tofubeatsの日々の出来事が書いてあるだけなのに、なんでこんなに面白いのか。実は人は他人の生活を知りたい生き物なのかもしれない。それが真実なら週刊誌やガーシーの需要がなくならないのも無理はない。


■某日
 仕事で都内のライブハウスへ。ある程度集客できるキャパの会場は、どこも少々アクセスが悪い。徐々にコロナ禍から脱しつつある音楽業界だが、一度ライブに行く習慣を失った人達をライブ会場に呼び戻すには時間が必要なようで、有名アーティストも集客に苦戦しているという話を聞く。ライブは無事終了。現場で余ったお弁当をもらい家路につく。深夜に冷めた弁当を食べる時、最も"労働"が押し寄せてくる。


■某日
 2日連続でライブハウスへ。プライベートでは参加しないようなイベントに仕事で来れるのは幸か不幸か。当日担当以外の出演者は全組ライブを見たことがなかったので、業務の合間にライブを観覧する。当たり前だが音源を聴いたりYouTubeを見るのと、実際にライブ会場でパフォーマンスを体感するのでは全く違う。ライブを見てより良い印象に変わるアーティストもいれば、肩透かしを食らうアーティストもいる。
 会場を出たのは23時半を回った頃。この時間の渋谷の道玄坂上は箱も店もコロナ前とは様相が一変している。体感ではコロナ前よりも更にチャラく(チャラいに代わる言葉が思いつかなかった)なった気がする。店が変われば街が変わり、街が変われば人も変わる。「こういうノリは自分の人生には一度も訪れなかったな」と、自分よりも一回りは若いであろう若者の集団を見る度に思う。24時を回った頃最寄り駅に着く。お腹は空いていないがどうしても何か食べたくなりセブンイレブンで牛肉のフォーを購入。最近お腹が空いていないのに何かを食べたくなる時が多々ある、というよりほぼ毎日そうだ。食べることでストレスを発散しようとする気が自分にはある。フォーは美味しかった。フォーが何で出来ているはわからないが。わからなくても美味しいものは美味しい。ネットにはわからないことを決めつけてまでわかったような気になろうとする人がいる。わからないままでいいこともある。


■某日
 週末、終日仕事で空けておいたが「来なくても大丈夫」の一言で予定はバラシ。一日休みのベストな過ごし方問題に直面する。この日は午前中はpodcastを聴きながらの掃除と英語の勉強、午後は韓国語の勉強に勤しむ。こういう時は生産的なことをしてるつもりで、ただ「自分は生産的なことをしている」と自分を慰めたいだけなんじゃないかと常に思う。年齢を重ねるごとに自分の可能性の扉が閉まっていくような焦燥感への空疎な抵抗。これ意味あるのかな。
 夜は「トップガン マーヴェリック」をIMAXで鑑賞。劇場には軍服を模したMA-1ジャケットを着た往年のトップガンファンと思しき人たちが集まり写真を撮りあっている。36年待った後、自分の大好きな作品の続編が公開されたら自分はどう思うだろうか。待つ時間が長ければ長いほど、その願いが叶った時のカタルシスは相当なものがありそうだ。以前会社の人に「フルマラソンは最後37kmからが本当に苦しくて辛いが、完走した時の達成感と快感はSEXの100倍は気持ちいい。」と力説されたことを思い出す。忍耐 is 大事。
 映画は前作を予習していったおかげでかなりストーリーに入り込めた。見たいもの全てが過不足なく行き渡った「トップガン」を愛する人たちのロマンの結晶ともいえるような作品で、映画というフォーマットで味わった中でも最高レベルのエンターテイメントだった。ただ今回「トップガン」の続編を見ようと思ったのはネットの評判の高さ故で、おそらく口コミがなければ見てなかっただろう。映画は文句なしで素晴らしかったが、こういう失敗しない確率を高めるような選択ばかり続ける生き方は正しいのかという疑問が頭をもたげる。マーヴェリックのような無茶が足りないんじゃないか。「トップガン」を見てF-18を操縦したくなるような安直な影響の受け方とその衝動で走り出すような浅薄さが、今の自分にはもっと必要かもしれない。


■某日
 横浜の赤レンガ倉庫で行われた「YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL 2022」へ。当日の天気は雨予報だったので事前の段階では行こうか迷っていたところ、TwitterでDMをもらう。4年前に一度だけ会ったことのあるフォロワーさんからで、もし行くなら一緒に行きませんかという内容だった。この4年間特に連絡を取っていたわけでもなかった上に彼はこの2,3年ほとんどツイートもしていなかったのでかなり驚いた。4年ぶりの対面でちゃんと話せるか不安はあったが、わざわざ自分に連絡をくれたことありがたみの方が大いに上回ったので行くことに。
 当日実際にその彼に会って話をしてみると、今彼の働いている会社は業界的にかなり近く、なんなら自社が仕事で付き合いのある会社で働いていることがわかった。SNSを通じて繋がった人と、こうした形で実生活でも関わりがあることは稀にあるが、その度に不思議な縁だなと思う。SNS上の名前しか知らない間dが、今度彼と自分の名前がクレジットに入った作品が出るので、本名を探してみよう。
 目当てだったtofubeatsのライブを見るのはコロナ禍になってから初めてで約2年3か月ぶり。セットリストはコロナ禍のこの2年にリリースした曲を交えつつも初見のファンも楽しめるような盤石のセットリスト。野外のデイイベントで昼からお酒を飲みながら彼のライブを見ていると、コロナ前にはこれが当たり前だったんだなと少し懐かしくなる。久々のtofubeatsのライブは安定の楽しさでやはり自分はtofubeatsが好きだなと再確認する一方、コロナ前の最後のイベントで一度だけ聞いた「陰謀論」の楽しさが未だ脳裏に焼き付いているので、『「陰謀論」もうちょっとライブでやってくれないかな』などという贅沢なことも言いたくなってしまう。


■あとがき
 日記を始めたきっかけは「トーフビーツの難聴日記」を読んで自分も日記を書いてみようと思ったから、という「ヒカルの碁」を読んで囲碁を始めるくらい安直に影響を受けたのが理由だ。過去「今年はブログをもっと書こう。」と決意しては途中でやめたこと数知れず。そもそも改まると自分の人生にブログに書こうなんて出来事はそうそうないし、いざ書き始めても自分の書く文は常に冗長さがつきまとい、どの文章も書ききるのに5時間~長い時は20時間ぐらいかけてしまう。そして大半の文章は書いてる途中でめんどくさくなり、道半ばで放棄されてきた。そう思うとこの「ライジングインパクト」を読んでゴルフを始めるレベルのモチベーションがどこまで続くのかだいぶ疑わしいが、この無味乾燥な毎日に少しでも変化が欲しいので、大いに感化されてみようと思う。

 例えばtofubeatsの作品群を聴くと、その作品がリリースされた当時の時代性と当人のムードをアルバムを通じて感じることがある。アーティストはそのように自身の創作物にその時の感情や思考、そして時代性のようなものが本人の意図するしないにかかわらず内包されるように思うが、自分にはそれに類するものが何もない。この日記が後々、自分の気分や変化、自分の目を通した時代性のようなものが堆積する場所となり、未来の自分が見返した時におもしろがれるものになったらいいな。黒歴史も何も思い出せないよりはマシに違いない。