22│10│Too Good For Giving Up


 失恋ブログを書くのは2年ぶりだ。自分でももう少し明るいブログを書きたいと思ってるが、起こったことを書いてると自分の人生こんな感じらしい。正確に言うと告白のチャンスすらまともになかったので、失恋したと言うよりは砂時計の砂が落ちるのをただ待つように、好きという気持ちが自分からなくなっていくのを他人事のように眺めているような感覚だが。

 好きな人ができた。結局会ったのは2回だけで、連絡もロクに取ったことはなかったのでその人のことはよく知らないままだったけれど、これまで仕事やマッチングアプリSNSを通して会った人には感じなかった、その人のことを気づいたら考えてしまったり、また会いたいなと思ってる自分に気づいて、これは多分好きなんだろうなと思った。

 2回目会った後に3回目会う約束をした。1か月以上先で、仕事が入るかもしれないというエクスキューズつきで。この時点でもうないだろうなとは思ったけれど、もしかしたら本当に忙しいという可能性もゼロではないと、どんだけネガティブに考えても0.1%の奇跡に期待してしまう自分もいて、この0.1%の期待は何度捨てても絶対に部屋に戻ってくる呪いの人形みたいだった。
 おれの予想では『すみません、その日仕事入ってしまってダメそうです』「わかりました!他でいけそうな日あります?」『ちょっと予定まだわからないのでいける日あったら連絡します!』からのフェードアウトが最有力だったけれど、まさか「仕事で行けなくなった」という連絡すら来ないとは思ってなかった。そのパターンを想定していなかった自分はまだまだネガティブとして甘い。
 不思議なもので、約束した日の2,3週間前の「いつ連絡来るのかな?まあでも会えないだろうな。」って期待と諦めを行ったり来たりしてる時が一番辛くて、約束の日を1週間切っても何の連絡もなくて「これ、連絡来ないやつだわ」って、可能性が0%に近づけば近づくほど、気持ちは楽になっていった。期待するから辛くて、諦める方がずっと楽。それでも0.1%期待してしまう呪いの人形がいるのがやっかいだけど。
 0.1%の可能性を0%にするために、好きってことだけは言いたいなと思って、電話できるか聞くためにLINEして、そのメッセージに既読がつかないまま、今このブログを書いている。

 会わないとか好きじゃないは全然しょうがないけど、いつの間に既読もつけないくらい嫌われたのかと思うと、泣きたい気分になる。てか泣きたい気分って初めてなった。気づいたら涙出てる泣く時とは違って、「今泣けでもしたらちょっとは楽になるんだろうな。」っていう気分。どんだけ泣きたいと思っても、涙一滴も出てこないんだけど。ご飯食べ過ぎたり酒飲みすぎて気持ち悪くなって「今吐けたら楽になるんだろうな」ってトイレでえずいてみるけど、吐けずにずっと気持ち悪くて苦しい、アレの心臓バージョン。

 2回しか会ってない人をなんでそんなに好きになったかは自分でもわからない。ただそのおかげで、自分にとって好きっていうのは理由がわからないもので、でも理由はわからなくても好きってことはわかってて、相手を知っていくうちに、どういうところが好きかが言語化できていくってことなんだと思った。好きな人のタイプの話で「好きになった人が好き」っていうやつ、そういうことじゃねぇと思ってたけど、やっぱあれは正しい。
 だから好きになった人がどういう人か知りたくて、その人が好きって言ってたものを自分でも調べてみた。その人が好きっていう映画を見た。オススメされなければ絶対見なかったタイプの映画。見てみたら、すごくまっすぐな映画だった。繊細で、誠実でな映画。青色のイメージだった。見てよかったと思った。これが好きならあの映画とか、あの音楽とか好きかもなって浮かんできた。そう言えばもし電話できてたら、好きだってことと一緒に、付き合ってくださいではなく「あなたのことがもっと知りたいので、デートしてください」みたいなことを言おうと思ってた。デートしてくださいって中学生でも言わなそうだけど、自分の中に浮かんできた言葉がそれだったからしょうがない。まあ自分の中に浮かんだ全部、伝える日はもう来ないんだけど。

 期待と不安が行ったり来たりして辛い時、ラブソングを聴いてた。普段は「流行ってるのラブソングばっかやな」と斜めに見てるそれも、いざ自分がそういう状況になるとめっちゃ良く聴こえる。
 noteを開くと、全く知らないどこかの誰かのブログが並んでる。試しに読んでみると、恋愛ブログも結構多くて、恋してる人も失恋してる人もかなりの数いる。これだけ恋愛してる人が世の中にいるなら、そりゃラブソングもヒットするわ。ただ自分の場合はラブソングで歌われているような長い時間や深い愛を通過した後の離別ではなく、そもそも存在していなかった何かを間違って見ていたような幻覚から目が覚めたような感じだから、めちゃくちゃ共感するとも言えない。

 特に気分が落ちた時はスキマスイッチの"藍"を聴いた。15年前は歌詞に共感とか全くしなかったけど、今はサビの歌詞まんま自分ごとのように聞こえて、スキマスイッチ天才だなと思ってる。
 その人とLINEをしてる時に好きな色が何色か聞いてみた。「藍色」と返ってきた。運命って言葉はあまり信用してないけど、パズルのピースがハマったような感覚になる偶然には何度か遭遇したことある。ただ求めてたのはこんな死亡フラグではないから、次は運命の赤い糸的なやつでお願いしたい。

 死にたい気分になりながら2年前に書いた失恋ブログを読み返してみた。おれこんなこと考えてたんだなってなるぐらい、その時の気持ちのほぼ全部今の自分の中に残っていなかった。
 小学生の時に階段でこけて、膝の部分の肉がパックリ割れて縫うことになった。その時の傷は今もうっすら膝に残ってる。でも触っても痛みはもうない。
 この人のことを自分は好きだったってことはずっと忘れないと思う。でも会う時すごい緊張したかとか、連絡待ってる時(来なかったけど)やきもきしたかとか、ダメだろうなって思った時は落ち込んだとか、そういう感情はいつか全部忘れる。
 痛みはなくなって、傷跡だけが残る。そういうもんだと思う。

何億年も前につけた傷跡なら残って
消えなくてもいいさ 痛みはもうないからね

ELLEGARDEN「高架線」

 頭によぎる。この歌詞はこういうことだったのかもしれない。

 今はまだかさぶたにもなってない、流血しまくりの傷だけど、せっかくならしばらくはこれに浸っていようと思う。人を好きになったのも久々だし、バカみたいなラブソングに心から共感できる瞬間も、自分の人生にはあんまりないから。

 そして何か月後か何年後かわからないが、振り返ってこのブログを読み返した時、今抱えてるこの気持ち、全部忘れてたらいいなと思う。

 



 今の気分を端的に言うと間違いなく「死にたい」。だけど絶対におれは死なないってわかってる。

 最初この日記を書き始めた時タイトルは「藍」にしようと思った。これ嫌われてるのかもなって落ちた時スキマスイッチの"藍"をずっと聴いてて、藍色を好きな人にフラれた(フラれてもないけど)から、これも何かの偶然だと思って。でも細美さんのラジオでたまたまリアムの"Too Good For Giving Up"が流れた。

You're too good for giving up
君は(何かを)諦めるにはあまりに惜しい

Liam Gallagher「Too Good For Giving Up」

 99.9%ないってわかってることでも、おれの中の呪いの人形が、0.1%期待させるような夢を見せる。
 99通りの悪い未来を考えても、1通り、絶対に希望を持ってくる。
 思いついた後「いや、絶対ないやろ」って自分でツッコミたくなるような荒唐無稽な期待。それがあるせいで辛くて落ち込んで、でもそれがあるから、生きていける。

 この恋もこの自分の中の呪いの人形が見せる期待のおかげで結構辛かった。期待するから辛くて、諦める方がずっと楽。でもそいつは今は「この人と付き合えなかったから、行ける場所や出会える人がいるはずだ」って言ってる。すげー死にたい気分のネガティブな自分の中で、1人だけ空気読まずにめちゃくちゃポジティブなそいつがいる。どんな時も、絶対に諦めないそいつが自分の中にはいる。

 好きな人を諦めるとか、金なくてできないとか、そういうレベルの諦めはこれからもある。これからも期待してしまうことでしんどいとか辛い気持ちになることも腐るほどあるだろう。でもそれは自分のことを諦めてないから。
 良い人間になりたいって思ってる。それは自分が、今よりももう少しは良い人間になれると信じてるから。

 唾まみれのリアムが歌う言葉を、自分で自分に向かって言ってる。おれの悪いとこ全部見てきた自分は、おれの良いところも全部知ってるから。この呪いがあるから辛くて、呪いがあるから頑張れる。だからどんなに可能性が小さくても自分に期待し続ける限りは、おれはおれのことを諦めないでいられる。

 告白できてなくてフラれてないから「何か事情があって連絡できない状況なんじゃないか」とか考えてしまった時は、さすがに自分の情けなさと謎のポジティブに笑えた。でも実際フラれてなくて結果はわからないから0.000001%ぐらい可能性はあるだろ。
 この人生も、死ぬその瞬間まで答え出ないから、未来に良いことが起きる可能性がゼロだなんて誰にも言えない。

 まあこう書いてることも、失恋の痛みとともに数か月後には全部忘れてるかもしれないけどな。