22│11│MISSING TEETH

■某日
 冨樫義博展のために六本木の森アーツセンターギャラリーへ。小学生の頃から家には幽遊白書の漫画があり、当時夏休みには毎朝アニメの再放送を3年連続ぐらい見ていた。HUNTER×HUNTERは人生のベスト漫画の一つには必ず入る。それぐらい冨樫義博という漫画家は自分にとって重要な漫画家なので、この展覧会が発表された時から絶対に行こうと決めていた。
 展覧会は大きく幽遊白書レベルEHUNTER×HUNTERと作品ごとにゾーンが分かれている。
 入り口を飾るのは歴代の幽遊白書のキャラクターたち。いや、全員見覚えあるけどマジで半分も名前が出てこない。冨樫義博の大ファンですというツラでやってきた自分の自意識が恥ずかしすぎるも「あれ、このキャラなんだっけなー知ってんだけどなー」顔を誰も見ていないのにしてみる。
 幽遊白書は自分が生まれた年に始まった。マジか。第1話が掲載されたジャンプが展示されていたがとてつもなく古いし時代を感じる。こいつと同い年ってことはおれもとてつもなく古い時代を感じる体ってことか。それは体が衰え始めるのも納得。原画を見ているうちに、薄れていたはずの幽遊白書の記憶が鮮明に記憶が脳内でクリアになっていく。数々の名シーン。これめっちゃ覚えてる!!懐かしいなー。うわー!!!原画を見る度に感情が動く。モノクロの写真が色づいていくように、自分の少年期が掘り起こされていくような感覚は、この作品がどれだけ自分の記憶に染みついているかを表していた。生で見る原画のその繊細さと線の美しさに驚く。漫画家の人マジですごい(それはそう)。今思えば小学生の当時は幽遊白書をただのバトル漫画として捉えていた気がする。ただ原画で断片的にもストーリーを追っていくうちに、魅力にあるキャラと記憶に残るセリフ、そして練られた設定に、今この瞬間にもう一度幽遊白書の世界にのめり込んでいった。今読み返したらこれ絶対もっとおもしろい。連載開始から20年以上経っていてもそう確信できた。
 続くレベルEゾーン。…レベルE読んだことがない。冨樫義博の大ファンですというツラでやってきた自分は今この瞬間デジタルタトゥーが残るぐらい炎上させられても文句は言えない。マジで何も知らないので捕捉として書かれたあらすじと大まかなストーリーと登場人物を追う。てかSFなのか。てか幽遊白書より前の作品だと勝手に思っていた。でもこちらも原画を追っていくだけでも、これが終わったら絶対レベルE読むわと思わされる魅力が詰まっていた(実際にレベルEはこの後全部読んだ。キャラの魅力は幽遊白書HUNTER×HUNTERほどではないけど設定の妙と斜め上いく話の展開がおもしろい。あと絵がマジで冨樫。冨樫義博ファンは読んだ方が良い(それはそう))。
 そして最後のHUNTER×HUNTERのゾーン。わかる、全てわかるぞ!!冨樫義博の大ファンですというツラでやってきた自分がバリバリにドヤ顔していた。ただHUNTER×HUNTERでさえも自分が小学2年生の時に連載がスタートしていて、幽遊白書からたった8年しか経っていないのが信じられない。24年連載していて未だに単行本が37巻までしか出ていないのも信じられないが。小学4年生か5年生の時に、自分の誕生日に友達がHUNTER×HUNTERの3巻~5巻の3冊セットをプレゼントしてくれたのは未だに覚えている。誰がくれたかは忘れてしまったけど。
 原画が見れるだけでも嬉しいのにこのゾーンでは現在進行形で進んでいる王位継承戦のテーマや冨樫がメモにまとめていた念能力の設定が見れたりなど今HUNTER×HUNTERを読んでいる人にはたまらない内容もあり脳汁が出る。そしてあるシーンの原画コーナーでは、生まれて初めて漫画の原画を見て泣きそうになってしまった。そのぐらい印象深いシーンであり、その感動がもう一度伝わってくる展示だった。そのあと幽遊白書のカラーの原画を見てもう一度泣きそうになった。こんなの初めて、を素で言う瞬間がくるなんて。あと最後のコメント出してる漫画家と著名人の人のラインナップ凄いわ。
 1時間ちょいで終わるかとタカをくくっていたらグッズコーナーまで含めると2時間半ぐらい居座ってしまった。改めて冨樫先生が今も漫画を描き続けてくれていることに感謝。1日1万回の冨樫先生への感謝の正拳突きで音を置き去りにしたい。感謝するぜ お前と出会えた これまでの全てに!!!

■某日
 毎週恒例となった歯医者の日。1か月ほど前に前歯(もしくは歯ぐき)にズキズキとした痛みが走り、翌日すぐに歯医者に行ったところ、以前歯を折って神経が死んだ部分の根に膿が溜まり、なんやかんやそこそこ深刻なことになっていると宣告され、そこから毎週歯医者通いの日々が始まった。既に一本差し歯なのにそれを入れ替え、更に治療のためにもう一本差し歯にせざるをえない可能性があり、その場合は30万かかりますという突然の宣告。事故や病気に遭う人はこういう感じなんだろう。その日の朝、そんな目に遭うなんて微塵も思ってもいない。子どもの頃に歯を折った時は親がこのお金を出してくれてたんだな。以前は親に甘えられていたが、今は自分の身に降りかかるものを全て自分の責任で処理しなければならない。30万かかりますと言われて「いや、余裕っすよ」という顔で30万払わないといけない時、成人式や初めてお酒を飲んだ時や健康診断でC判定が出た時なんかの1000倍ぐらい自分が大人になったのを痛感した。あと何回通わなければならないかは担当の先生もわからないらしい。最悪は一本歯を丸々抜くことになるかも。マジかよ。今年はホントにツイてない。
 以前より丁寧に時間をかけて歯を磨くようになったその時間、ずっと空気階段の踊り場の過去回を聞いてる。もぐらの歯が8本ない話。リスナーからの、おそらくおれと同じ病気で20代にして歯を抜きインプラントを入れたというメール。笑い話でありながら励ましにも聞こえる。おれの歯医者治療体験も、いつかどこかの誰かの気休めになってほしい。仲間がいるぞと、どこかにいる差し歯仲間に念を送る。

■某日
 東京ドームへ櫻坂46のライブを見に行く。2ndツアーのファイナルであり、欅坂時代からキャプテンを務め続けてきた菅井友香の卒業セレモニー。
座席は初めて座るバルコニー席。床はカーペットだし、ラウンジのような休憩スペースもありなんか他の席よりイイ感じな気がする。ただチュロスが自分の想像していたチュロスと全然味が違っていて半分ほど残してしまった。

 乃木坂と櫻坂(欅坂)と日向坂の所謂坂道3グループのライブにはそれぞれ何度か参加しているが、楽曲もライブの演出も櫻坂(欅坂)が一番好きだった。この日も開演から最初のMCまでの間はペンライトの点灯は禁止。スクリーンやステージセットを駆使して楽曲の世界を現実に拡張させていく。欅坂時代からだが、乃木坂&日向坂と櫻坂(欅坂)のライブの違いは楽曲を表現する上でのメンバーへの焦点の当て方だと思う。櫻坂(欅坂)では時にメンバーの表情が見えないぐらい暗い照明が使用されることもあり、いかに楽曲の世界観を再現させるかという点に注力されているように感じる。
 本編は大好きな"断絶"と"ずっと 春だったらなあ"が遂に聴けて感無量。そしてモニターに抜かれる天ちゃんが全場面で天才的な表情を見せていて、言葉にはしなくてもセンターとして櫻坂を背負って立つメンバーだという確信を得た。天ちゃんがアイドルでいる限りおれはオタクを続けるよ。あと"制服の人魚"の武元のビジュアルが強すぎて「ほんとに武元?」って100回ぐらい虚空に聞いた。
 そしてアンコール。数年ぶりに生で聴く欅坂のOvertureとともに、ゆっかーの7年間の写真がモニターに映し出される。この時点でもう自分も周りも鼻水をすすり涙が止まらなかったが、その次の一曲でまさかの"不協和音"のイントロが始まり自分も周りも思わず声にならない声が漏れる。欅坂を壊したと言っても過言ではないこの曲は呪いのようでもあり、ゆっかーがANNIVERSARY LIVEでセンターで披露するまではほとんど封印されていた(ように記憶している)。その曲を自分の最後のライブで選んだゆっかーの意志と覚悟に、自分の中に未だくすぶっていた「欅坂の曲聴きたい亡霊」が成仏できたような気分。ゆっかー本当にありがとう。もう思い残すことなはい。
 最後のセレモニーではメンバーが一人ずつゆっかーへ宛てた手紙を読み上げる。土生ちゃんの手紙と声と表情が友情を具現化したような美しさで本当に胸を打たれた。あんな土生ちゃん一度も見たことがない。こんなオタクたちに二人の関係性を見させていただいてありがとうございます。最後のセレモニーで何人もの1期生が「もっとゆっかーを助けられたかもしれない」と話していて、改めて欅坂時代からゆっかーがキャプテンとして一人で背負ってきたものがどれほど大きく過酷なものだったかを感じる。今この瞬間に櫻坂を見れているのはゆっかーがいたおかげだと心から思った。本当に本当にお疲れ様でした。
 ただライブから数時間後に前日のセトリを見たら"10月のプールに飛び込んだ"と"世界には愛しかない"をやっていて愕然とした。自分が一番聴きたかった2曲。なんで配信やらないねん絶対許されないやろ。いけない現場はなかった現場、とはならない。もう二度とない一瞬を見逃しまくりながら生きてる。また一つ後悔が生まれた。井上が手紙の中で言ってた。「友香さんが残したものは櫻坂の中に残り続けます」。井上が言ったことはこういうことではない気はするが、ゆっかーが残したものが自分の中にもできた。いつか訪れるその一瞬を見逃さないためのお守りに、これがなってくれたらいい。