欅坂46「二人セゾン」個人PVレビュー

石森虹花 『カワッテアゲル』

監督:住田宅英

「あなたじゃ無理」「代わってあげる」

突如現れたもう一人の石森(黒服)を、本当の石森(白服)が追い掛ける。強くなりたい自分と弱気になってしまう自分。ラスト、「私はできる」ともう一人の自分を捕まえて、自信を取り戻すストーリー展開は、現実の欅坂でいまだ一度もフロントに立っていない彼女のリアルな実情を重ねて見ると、結構シビア。「チャンスの順番」を聴いて諦めずに頑張ってほしいなって感じで…。

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今泉佑唯『落ちてきた天使』

監督:タナカシンゴ

あざとい天使のキャラと恥じらいの残る演技が良い塩梅でぶりっ子キャラを掻き立ててる。本人はどちらかと言えばおバカで天然なのだろうけど、乃木坂でいう秋元真夏のようなキャラは欅坂にはまだいないので、ぶりっ子役はこれからも引き受けてほしい。洗濯物を畳む時の畳み方が雑、おまけに料理も下手、そんな愛くるしい天使役が最高にハマってる。

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■尾関梨香『もじもじ探偵尾関ちゃん』

監督:田中啓介

まず服がかわいい。モジモジヘラヘラしながら自己紹介するところがかわいい。文字に関する特殊なトレーニングを受けた(という設定)のもじもじ探偵だけあり、文字を組み合わせる謎解きは意外と凝ってるが、基本的に内容はないので、ただヘラヘラユラユラしている尾関のかわいさを見守る作品。お笑いキャラは織田、天然は今泉、不思議ちゃん・大食いは長沢とキャラ被りの渋滞に巻き込まれ中々クローズアップされず、「欅って、書けない?」での「運動音痴で動きが変」ということが見せ場になることが多いけど、こういうヘラヘラしたかわいさは尾関が一番似合ってる。

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■小林由依『こばやし荘は住人十色』

監督:丸橋俊介/阿部至

101号室の住人、かわいい。102号室の住人、神。103号室の住人、かわいい。104号室の住人、やらされてる感がいい。105号室の住人、かわいい。106号室の住人、指がいい。107号室の住人、シンプルに良い。108号室の住人、かわいい。109号室の住人、神。大家、かわいい。端的に言えば小林由依の十変化なのだが、アパートを舞台にホラーとしてのオチがつくのもおもしろい。何よりメイキングが最強に可愛い。優勝。

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■佐藤詩織『Ballet』

監督:山本花観

バレエスクールでの本人インタビュー。「なぜアイドルになろうと思ったのか?」という問いへの答えには佐藤詩織の人柄が出ているし、レオタードに身を包んだナチュラルメイクの彼女はかわいいけれど、最後に舞台で衣装を着てバレエを披露するところまでそのまま過ぎる気もする。別に個人PVでこれやらなくていいのでは。

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菅井友香『僕のクラスの学級委員』

監督:ねむことよるこ

菅井友香が学級委員という設定がいい。ゆっかーお姉ちゃんここにあり。内容に関しては正直よくわからない。

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鈴本美愉『鈴本ミユの秘密の告白』

監督:森田亮

鈴本美愉に早口を喋らせた監督は天才だ。映像の9割がお風呂場で展開されるが、全くダレずにあっという間にエンディングを迎える。テレビの前と楽屋でキャラが違うと言われる彼女だが、この作品は後者の彼女を引き出してるんじゃないか。クールでキツめの彼女とは違うおっちょこちょいで愛らしい、これは良いすずもん。

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■原田葵『ねぇ ねぇ 聴いて』

監督:上田真紀子

「机を叩く音」、「チョークが黒板をなぞる音」、「バスケットボールが地面を打つ音」、「カスタネットを弾く音」、「クラッカーを開く音」、「紙を丸める音」など、原田葵の様々な音を生むアクションを連続して繋いだ今作。メトロームのような無機質に反復するテンポの上で、一挙手一投足の全てに実年齢以下の幼さの残る原田葵のあどけない魅力と、World’s end Girlfriendや蓮沼執太のバックでもドラムを叩くJimanicaの音楽が不思議な融合を果たしている。Type-B収録の個人PVの中では最もコンテンポラリーな作品で、映像のカットとリズムや音のテンポの良さが視覚と聴覚をくすぐる。しかし原田葵ちゃんは本当に高校生なのだろうか、小学三年生の間違いなんじゃないか。でもこの先絶対もっと可愛くなるし美人になりますよね。あと10年はアイドルをやってくれ、頼む。

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■織田奈々『カッパの好物』

監督:脇坂侑希

白ニットに手料理と、デフォルトなぐらい女の子っぽい織田奈々を見れる。「欅って、書けない?」のお笑いキャラのイメージが強くて、どうしても織田奈々を王道の「かわいい」という目で見れなくなってしまってるけど、当然のことながら美形だしかわいい。このまま欅坂のオカロになってしまうのか。あとカッパとの出会いの場面やキュッキング、エンドロールで使われている音楽が好き。

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■小池美波『転校生探偵・真壁川ナツ』

監督:磐木大

もじもじ探偵と被ってるやん!それはさておき関西弁で自分のことを「ウチ」と言う小池美波ちゃんがかわいい。あと突然関西弁でキレる小池美波ちゃんもかわいい。ドヤ顔の小池美波ちゃんもかわいい。これも特にストーリーに内容はない。尾関の『もじもじ探偵尾関ちゃん』は「モジモジ」を与えることで彼女の持つかわいいを引き出した感じがあったけど、こっちは素の小池の可愛さがそのまま出てる感じ。

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齋藤冬優花『NIGHT RACER FUYUKA』

監督:曽根隼人

オープニングのパルクールを駆使したアクションシーンやCGなど、他のメンバーの作品に比べると映像技術としてはかなり凝って作られている。ミニ四駆が好きだったのでレースシーンはテンション上がる。でもこれ齋藤冬優花さんの必要なくない?主人公そのまんまヨシキくんじゃない?

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■土生瑞穂『僕の彼女は吸血鬼』

監督:高木俊貴

吸血鬼という設定と「エピグランマタ」や「ダークシャドウ」からの引用がアクセントになっているが、基本的には「僕の彼女が土生瑞穂だったら」を体感できるガチ恋製造作品。フィルターかかった映像も綺麗で、彼女の美形で整った顔立ちと相まってショートフィルムのよう。セリフや顔のアップのシーン、甘い声で「キス」という単語を連呼し言い寄る場面、土生supreme瑞穂です。

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平手友梨奈『てち浪漫』

監督:豊島圭介

明治時代の異人館平手友梨奈の底知れない魅力に取り憑かれた男の恋文を、侮蔑を込めたかのような声色で平手が朗読する。「子どもで大人」。真っ赤なワンピースは幼く、妖艶。最後の最後に15歳の少女の声と表情を覗かせるが、それすらも"素の平手友梨奈"ではない"15歳の少女"の演技なのだろう。個人PVはそのメンバーの魅力を引き出すものが多いが、この作品は平手友梨奈本人の魅力ではなく、スイッチの入った平手友梨奈の"演じる"凄みを捉えた作品。この作品だけ関わってるスタッフの人数が他のメンバーよりも明らかに多いし、力の入れようが否応なしに伝わってくる。

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守屋茜『KICK'N'CLEAN』

監督:加藤マニ

音楽がいい。服はちょっとダサい。えーっと、あんまり言うことがない。

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■米谷奈々未『文學ガール』

監督:藤枝憲/須藤中也

竹下夢二『秘密』、太宰治『女生徒』、夏目漱石夢十夜』の3つの文学作品を朗読する米谷。自然の中に立つ制服姿の米谷の映像が、その作品の表現の一つ一つをより際立たせている。「美しい目の人と 沢山会ってみたい」、湖の中に入って傘差してるシーンはが個人的なハイライト。個人の魅力というよりは、映像と文学との調和の上に成立している作品。米谷は「和」のイメージが強いし、こういう文系路線は非常に好き。あとはもうちょっとだけ舌足らずな語り口がどうにかなれば。

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渡辺梨加『私の好きな人。』

監督:橋本侑次郎

眼鏡かけてる渡辺梨加を見れるだけでもう十分ではあるが、不思議キャラや天然キャラを使ってシュールやポップな方向に逃がすのではなく、正面から"恋する女の子"を渡辺梨加さんに演じさせてくれてありがとうございますって感じで。意外とこういう渡辺梨加は珍しいと思う。ノースリーブのチェックのワンピースに眼鏡、100点。手紙に口紅でハートマークを書くシーン、1000点。

と途中までは思ってけど、オチはやっぱり渡辺梨加だった。でもそこも含めてめちゃくちゃ好き。

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■上村莉菜『煙に巻く』

監督:中島望

奔放でわがままな上村莉菜は最高にかわいい。もうとにかくかわいい。そしてタイトルも伏線になっていて、最後に少しドキッとさせられる。なんにせよ、女の子がかわいく撮れてる映像は偉い。

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志田愛佳『ドラムス・シンバル・サバイバル』

監督:川口潤

渡邊理沙とともにザ・クールと言われる志田だが、そのイメージとは異なり内面は熱く、芯の通った信念を持っており、その意志を鼓動という形でドラムのビートで表現した、という風に解釈を勝手にしましたがどうでしょうか。ラスト、振り向いて見せる笑顔を見れば、そんな解釈は瑣末な問題なんですが。

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■長沢菜々香『私の夢』

監督:土屋隆俊

特技のバイオリンを張り詰めた静寂の中、ドレスアップして演奏する長沢菜々香の普段のキャラとのギャップがすごく、非常に女性的な彼女にドキッとさせられる。特技披露と本人コメントという意味では佐藤詩織の『Ballet』と大きく変わらないはずなのに、こちらの方が「おぉ!」という新鮮さがあったのは、個々に対して持ってるイメージとギャップがあったからだろうか。掘れば掘るほど隠し持っている。なー研入りたい。

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■渡邊理沙『Love Letter』

監督:月田茂

ぶっきらぼうで不器用な女子高生が、初めて好きになった人にラブレターを書くも相手から先に告白されてしまう。渡辺梨加の『私の好きな人。』も意中の相手に手紙を書くという話だったが、最後に自分の好きな人が誰かを忘れてしまい「ま、いっか」とすませてしまう渡辺梨加と、好きな人に先に告白され「なんかつまんない」と自分の手紙を破り捨ててしまう渡邊理沙。同じシチュエーションではあるが、お互いのキャラが導く異なる結末が好対照に光る。あと告白された瞬間に「なんか急に世界の音が聴こえだした」と音楽が流れ出す演出、ベタかもしれないけどそこからのカットが正に色が付いたように映ってとてもいい。渡邊理沙の表情には心の内を読ませないミステリアスな魅力がある。

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■長濱ねる『じぶんルール』

監督:杉山弘樹

転校を目前に控え「自分の決めたルールが果たされたら彼に告白する」、と決心するも、中々うまくいかない女の子を演じる長濱ねる。現実の長濱も長崎から上京し、東京の高校に転校したため元々通っていた長崎の高校の卒業式には出られなかった。そして親にアイドルになる道を反対され、一度は夢を諦めた。この物語の主人公は、そんか現実の長濱ねると大きくシンクロしている。作中の彼女が最後「ルールは破るためにある」と、自分で決めたレールを離れた先に待っていた結末。演技も思ったより自然で違和感なく、長濱ねるの良さが120%で出ている最高のビデオだと思う。「余は満足じゃ〜」って周るとこ、最高にかわいい。

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サヨナラの意味

(シングルの話、全握の話、卒コンの話、あとがきのようなもの、の4つに分かれてます。全部足すと8000字以上あるみたいです。時間あるときに適当に読み飛ばしてください。)

 

2016年11月9日。乃木坂46の16枚目のシングル『サヨナラの意味』がリリースされた。この曲は初期より乃木坂46の中心メンバーとしてフロントに立ち続けてきた橋本奈々未が初めてセンターを務めた楽曲であり、そして同時に、彼女の最後のセンターを飾る1曲となった。

表題曲「サヨナラの意味」は、美しいピアノのイントロに始まり、ストリングス、エレキギター、シンセ、そしてボーカル、コーラスと、それぞれのパートが曲が進むにつれ重なり合い、厚みを増していくミディアムバラードだ。「サヨナラに強くなれ」。選抜メンバー19人による重層的な歌声は、ただ悲しみに暮れるのではなく、別れを受け入れ、前に踏み出そうとする凛とした力強さを放っている。それは新しい一歩を踏み出す橋本の背中を押すような力強さと、見送る者の寂しさに寄り添う優しさに満ちている。まるで曲そのものが、彼女の芯の通った、しなやかな人柄そのものを映しているかのように。

昨年の6月に、乃木坂46からは深川麻衣がグループを卒業し、同年3月には彼女を送り出す作品として、乃木坂としては初めて、明確に一人のメンバーの卒業を受けたシングル、『ハルジオンが咲く頃』がリリースされた。同じ卒業ソングながら、この曲は去っていったものが残した慎ましさと逞しさ、温もりを感じさせる作品だった。ハルジオンの花言葉は「追想の愛」。もうここにはいなくても、その淑やかな美しさを何度でも思い出す。メンバーやファンから「聖母」と呼ばれた深川を思わせる、慈しみをたたえた楽曲だった。どちらも別れをテーマにした曲だが、「サヨナラの意味」には、別れへの揺るぎない決意が宿っていた。

 

2016年11月23日。幕張メッセで行われた全国握手会に行った。人生初の乃木坂の握手会。これまで一度も握手会には行かなかったが、橋本奈々未と握手できる最後のチャンスだったので、意を決して始発に乗り込んだ。幕張メッセに着いたのは午前6:30頃。 ミニライブが始まるのは午前11:00。4時間30分の待ち時間。でも不思議と苦ではなかった。これから橋本さんに会えるのかと思うと、何を話そうか、何を伝えようか、たった数秒の与えられた時間を使って、後悔ないと思えるほど自分の気持ちを正しく伝えられる言葉は何か、そればかり探していた。

午前11:00、ミニライブが始まった。披露されたのは表題曲「サヨナラの意味」を含めた、シングルに収録されている全7曲。初のライブ歌唱となった「ないものねだり」では、橋本さんが生歌を披露していた。歌が得意な人ではなかったと思う。緊張で声が震えていたようにも思う。けれど時折音程が不安定になりながら、言葉を綱渡りに紡ぎながら、無事に最後まで歌い切っていた。歌い終えた後、安堵からか、表情が緩み笑顔を見せた橋本さんの表情が印象的で、その姿を見れたことが嬉しかった。

握手会の列に並び始めたのは13:00頃。そこから握手会の会場に入るまで1時間ほど待つ。深川さんの卒業前の最後の全握が4時間待ちと聞いていたので、同じか、それより少しかかる程度の待ち時間は覚悟していた。もとより既に5時間以上待っているので、ここまでくると時間の感覚は麻痺している。

14:00頃、橋本奈々未レーンに入る。彼女との握手を待つ人で途方もない長さの列ができていたものの、「いよいよこれから会えるのか」という期待と緊張の気持ちの方が遙かに勝っていた。橋本さんがラジオやブログで好きと言ってはばからないSuchmosを聴いてその時を待つ。

待つ。待つ。iPhoneに入ってるSuchmosの曲は全て聴き終えた。アーティストを変える。待つ。待つ。並び始めて2時間が経つ。幕張メッセの9〜11ホールに横たわる何重にも折り返した巨大な列の半分にも達していない。目を疑うような光景を前に、このままだと握手できるまでどう見積もってもあと4時間はかかると気づく。冗談のような現実を目の当たりにし、自分のやっていることが、途轍もなく罪なことのように感じられ、寒気がした。たった数秒の握手のために6時間待つ、どう考えても普通ではない。何よりも握手のために6時間待つということは、それ以上の時間、彼女はファンと握手をし続けるということだった。その列に並ぶということは、彼女の心と体を酷使することと同じことのように思えた。湧き上がる罪悪感と反吐の出そうになる気分から逃げたくなり、今すぐその場を離れてしまいたくなる。でも「この最後のチャンスを逃してお前は一生後悔しないのか」という声が頭をよぎった。なんのために今日ここに来たのか、これが本当に最後だぞ。そのもう1人の自分の、言い訳のような訴えが頭から離れず、その場から動くことができなかった。

待つ。待つ。どれだけ待っただろうか。楽しみなどという気持ちはとうに消え失せ、申し訳ないという罪悪感が寄せては返す波のように何度も訪れ、それでも並び続ける矛盾した自分を呪い、答えのない葛藤の中振り切った、ここまできたらやるしかないという放棄にも似た決意さえ見失うほど、ただただ時間が流れていった。

20:00、橋本奈々未レーンに入り6時間が過ぎた。最後の一列がやってくる。握手の時が近づくにつれ、それまで疲弊し、神妙な顔をしていたはずの周りのファンがみな、表情が生き返り、目が輝き始めた。もちろん自分もそうだった。「何を話そう」。それまでの6時間がなかったかのようにみな、目と鼻の先までやってきた未来の話に声が弾んだ。"アイドル"という存在の業の深さと、尊さを目の当たりにしたようで、そしてその形容しがたい何千人という人間の清濁併せた感情の渦の全てを、その身一つで受け止めようとする橋本奈々未という人に抱いた感情は、言葉にはなれず、心に溶けていった。

握手の時。間近で見る橋本さんは、テレビや雑誌で見るよりももっと華奢で、か細く、手も小さかった。椅子に座った彼女と握手をする。握り返す力はないに等しい。目が合う。

「アイドルになってくれてありがとうございます」

『ありがとう』

「ずっと、元気でいてください」

『ありがとう』

時間にして4秒。最初で最後の瞬間は、呆気なく終わった。その声は小さく、吹けば消えてしまいそうだった。ただ次の人と握手をする瞬間まで、離れ行く自分からも、彼女は合わせた目を一度も逸らさなかった。

「アイドルになってくれてありがとう」なんて、残酷な言葉だと思った。アイドルになったせいで経験した嫌なこと、辛いこと、悲しかった、忘れたいことさえ全て肯定してしまうような言葉だと思った。でも、絶対にそれだけではないはずだった。何より自分は、彼女がアイドルになってくれたから出会えた。アイドルだったから好きになれた。だからその選択に感謝したかった。乃木坂46になってからの、彼女のこれまでの全てに感謝したかった。

アイドルになってよかったと、思っていてほしかった。

20:30、会場を後にする。どうするのが一番正しかったのかは未だにわからない。今なら違う言葉をかけたかもしれない。でも帰り道、「握手することを選んでよかった。」、それだけは確かに感じられた。

その日、橋本奈々未の握手が終了したのは、23:00を回った頃だった。

 

2017年2月20日。乃木坂46の5th YEAR BIRTHDAY LIVE初日、そして橋本奈々未の誕生日でもあり、彼女が乃木坂46を卒業し、芸能界を引退する最後の日がやってきた。天気は曇りのち雨。二度と使うことはないとわかっているグッズを鞄に詰め、さいたまスーパーアリーナへ向かう。

場内に入ると、乃木坂のライブでは最大規模の、全面にLEDを配した巨大なメインステージと、会場中央にはセンターステージ、そしてそこから十字に伸びた花道が広がっていた。スタンド席の最上段からメインステージ裏のバックステージ席まで全て解放され、平日の18時開演にも関わらず、さいたまスーパーアリーナのスタジアムモードが35,000人もの人で埋まっていた。チケットの取れなかった人や地方に住む人、仕事や学校、色んな事情のあった人。来たくても来れなかった人が沢山いたであろう中、自分がこの場所にいれることは、少なくない幸運の巡り合わせのおかげなんだと、ふと思った。

開演。オープニング映像が流れる。紅白の楽屋での映像のようだ。みんなで手を繋ぎ円になり、2017年へのカウントダウンをしている。5.4.3.2.1.…「ハッピーニューイヤー!」。新年を祝福する輪の中で、誰かが言った「あと2ヶ月あるよ」。その言葉とともに、涙に目を抑える橋本の姿が映る。

映像が終わり、センターステージに橋本が1人現れた。静寂の中、深々と一礼する彼女。1曲目は「サヨナラの意味」。最後のライブが始まった。

桜井「今日はどんなライブにしたい?」

橋本「私自身もこういうステージに立つのが最後になるから、この景色を焼き付けつつも、それ以上に、…皆さんが帰った後も、こびりついて離れないようなライブにしたい。」

この日はBIRTHDAY LIVEだったが、従来の時系列で乃木坂の歴史を追っていく曲順とは異なり、デビューから最新曲「サヨナラの意味まで」、曲を橋本自らもセレクトし、それぞれのシングルとアルバムから順番に披露していく「橋本奈々未」という人を振り返るようなセットリストだった。シングル曲は、その曲のセンターのメンバーに加え、橋本もセンターに来るスペシャルなフォーメーションで披露された。そして「指望遠鏡」、「やさしさとは」、「僕が行かなきゃ誰が行くんだ」、「革命の馬」、「ボーダー」、「制服を脱いでサヨナラを…」、「ここにいる理由」、「君は僕と出会わないほうがよかったのかな…」、「自由の彼方」。どれもシングルのカップリングやアルバム曲だが、どの曲も卒業ライブという別れの日に聴くことで、いつもとは違う意味合いを持ち、別の表情を見せていた。ただ卒業ライブの日であっても、自分の参加していないアンダー曲やユニット曲も関係なく入ったセットリストに、橋本の乃木坂46への想い入れや、その曲をパフォーマンスするメンバーへの愛情を感じた。橋本が乃木坂の曲で1番好きという「生まれたままで」では、同じ2月20日生まれの伊藤万理華とともに、センターステージの最上段で背中合わせになりながら披露した。曲が終わると、サプライズで伊藤万理華への誕生日ケーキが用意されていた。奈々未の卒業コンサートなんだからと、橋本を立てようとしゃがむ伊藤。万理華だって誕生日なんだよと、伊藤を祝おうとしゃがむ橋本。35,000人の中心にいた2人は、誰よりも小さくなり、笑い合っていた。

桜井「めっちゃ息切れてるね。」

橋本「やっぱりね、全てを出し切ろうとすると、息が切れちゃうね。」

桜井「珍しく汗かいてる。」

橋本「本当?」

桜井「綺麗だよ。」

橋本「(照笑)」

桜井「最後だから言っちゃった(笑)」

MCでのメンバーとの何気ないやりとりにも、終わりの時が近づく。

橋本「(センターステージで、行ったり来たりを繰り返す)こうしてみんなを見るのも、これが最後なんだなと思って。」

橋本「次が最後の曲になります。」

メンバーと抱き合いながら、笑顔の「孤独な青空」で、本編は終了した。

アンコール、衣装を着替え、1人現れた橋本。

橋本「私は「ないものねだり」という曲を歌っているけど、「ないものねだりしたくない」って歌っているけど…、こんなに素敵な景色を何度も何度も目の前にしているのに、別の道を進みたいと思うのが、いちばん「ないものねだり」だなと感じてます。」

橋本「私が選んだ道が正解であることを願い、きょう皆さんが私とお別れして、その先に、皆さんの道に、楽しいこと、うれしいこと、幸せなこと、これでよかったと思えることがたくさんあることを願っています。 」

そうして歌われた「ないものねだり」。

歌が得意な人ではなかったと思う。涙で声が震えていたようにも思う。途中、言葉に詰まる瞬間もあった。それでも自分の心の内をファンに伝えるように、揺るがない決心が、揺らぐことのないように、胸を張り、最後まで歌い切っていた。

「ないものねだり」の後のMCでは、サプライズで白石から橋本への手紙が読まれた。白石が泣きながら手紙を読む間、目に涙を浮かべながらも、橋本は白石の目を離さなかった。それは握手会の時、自分の目を見続けてくれたその姿と同じだった。

乃木坂46橋本奈々未、白石麻衣の手紙に号泣 卒業スピーチ&白石手紙全文 | ORICON NEWS

(手紙を読み終えて)

白石・橋本「ティッシュください(泣)」

白石「泣いてる私ブス」

橋本「かわいいよ」

白石「そっちこそ!」

橋本「うっ、やられた(泣)」

※白石と橋本が過去に明治チョコレートのCMに出演した際の2人のやりとり 

そして本当のラストへ。

橋本「アリーナのみんなありがとう。スタンドのみんなありがとう。上の席のみんなありがとう。ステージ裏のみんなありがとう。ペンライトを緑にしてくれてる人ありがとう。今手を上げてくれている人ありがとう。立ってくれてる人ありがとう。今日ここに来て、私を見てくれてありがとう。」

一つ一つに感謝の言葉を告げ、ステージ下手に向かい、移動式のステージに立ち、その時を迎える。アンコール最後の曲は「サヨナラの意味」。

移動式のステージに1人立ち、ファンに手を振りながら場内を一周する彼女。

「後ろ手でピースしながら 歩き出せるだろう」

ファンに背を向け、後ろ手でピースをしてみせる彼女の強さが、眩しかった。

「サヨナラに強くなれ」。乃木坂46全員による歌声は、悲しみを振り払うように、何度も、何度も、繰り返された。

ステージに並んだメンバーが1人ずつ、橋本と別れの言葉を交わし、ステージ裏へ下がっていく。齋藤飛鳥は、橋本の伸ばした手に応えようとせず、彼女の肩で泣いていた。最後の白石とは、マイクにも聞こえない2人だけの会話をし、お互いのこれまでの日々を認め合うように抱き合った。

「おわった!」「さようなら!」

会場上空へと上がっていくゴンドラの上で、最後の瞬間まで深く下げた頭を一度も上げないまま、約3時間半に及ぶライブと、5年半に及んだ橋本奈々未乃木坂46としての最後のステージは、幕を下ろした。

握手会の時に見た橋本奈々未は、散る寸前の花のようだった。華奢な体で、握り返す力も弱くなった小さな手で握手をし、それでも語りかけるファンの目は絶対に離さずに、全ての言葉に頷き、全てに言葉を返していた。その姿はあまりに儚くて、いますぐ散ってしまいそうだった。

でも卒業コンサートで見た橋本奈々未は、沈んでゆく夕陽のようだった。もうすぐ目の前からいなくなってしまうことなんて忘れさせるほどに、どこまでも眩しくて、何よりも輝いていた。人生で見た全ての中で、一番綺麗だった。見る人を照らす太陽は、その姿が彼方に沈んでも、また別の場所で昇り、その褪せることない輝きで、誰かを照らすのだろうと思った。

どうしたらこんな人になれるんだろうか。どうしてアイドルは、最後が一番美しいんだろうか。答えは見つからないまま、涙が止まらなかった。楽しいも、好きも、悲しいも、寂しいも、辛いも、全てが霞んでしまうほど、美しい最後だった。

 

2017年2月23日。オフィシャルとしては最後の仕事となったSCHOOL OF LOCKの放送。ファンへ残した最後の言葉を聞いて、間に合ってよかった。この人と出会えてよかった。好きになれてよかった。ただ、そう思った。

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2017年2月24日。最後のモバメが届いた。これが本当に、本当の最後。あっさりとした文体。簡潔な言葉。オセロの石が、一手で全てひっくり返るような、手にとって触れそうなほどの決意。余りにも軽やかで、そして力強い志を目の当たりにして、いつまでも悲しみを引き連る自分が恥ずかしくなった。握手会の時、瞬き一つせず自分の目を見続けてくれたように、彼女の視線は今、揺らぐことなく、目の前に広がる未来を見ているのだろう。

なんで彼女を好きになったのか考えた。外見の好み、もちろんめちゃくちゃある。可愛い子や綺麗な子は世の中に沢山いる。乃木坂なんて更に可愛くて綺麗な子しかいない。その中でも、顔も髪型も、ショートヘアーもロングヘアーも、ブランドや値段より好きなものを選んで着こなす服装も、所作も、極端なことを言わず自分と相手のことを考えて慎重に言葉を選ぶ言葉遣いも、優しくて、でもメンバーにもファンにも媚びない、人への接し方も、一番好きだった。何かのインタビューで好きな男性のタイプを聞かれた時「言葉がやわらかい人」と言っていて、そういう人間になろうと密かに思った。

音楽の趣味が自分に近いことにも勝手に親近感が湧いていた。以前ブログで好きなアーティストを書いた時、その内の一人に細美武士と書いていた。自分も彼のことが好きで、そしてELLEGARDENthe HIATUSとバンド名ではなく「細美武士」と書くところに、1人シンパシーを感じていた。最近ではSuchmosの話をすることも増えたけど、Suchmosを好きと言いながら、キュウソネコカミに感動する橋本さんが好きだった。

他にも好きなところを挙げれば沢山ある。でも、きっと1番好きだったのは、物事の考え方や生き方だったんだと思う。

「自分に正直に生きていたい」。

最後のアップトゥボーイのインタビューで語っていた言葉。客観的に物事を見つつも、ブレない自分の考えや意志をしっかり持っていて、感じたことを、時に素直すぎるほどに表に出す人。モバメでファンに思っていることをぶつけることも少なくなかった。正直そのメールを読むと、しんどい気持ちになることもあった。でも思い返せば、ブログでも昔からファンにもハッキリと思ってことを言っていた人だった。スタッフや関係者には"子供っぽい"ところもあると、メディアで書かれていたこともあったけど、それは自分の気持ちに正直であろうとしたことの裏返しだったんじゃないかと思う。卒業を発表したANNで、桜井さんと生ちゃんを呼んで「(この2人は)ズルくない」と言ったことが、ファンの中で憶測を呼んだこともあった。でもそれも、この2人は自分自身に対して嘘をつかない人だと、言いたかったんじゃないかと思う。ファンの目に見える部分なんてほんの一部で、全てはこちらの都合のいい解釈でしかないけれど、それを信じられるような、まっすぐな人だったと思う。

サヨナラは、その人がいたことの証だ。

そしてサヨナラの数だけ、残るものがある。

自分にとって、橋本奈々未が残してくれたものは生き様だ。

自分が人生でこの人のようになりたいと思っている人が一人いる。そしてそこに、橋本奈々未も加わって二人になった。それが自分より年下の女性アイドルになるとは思わなかったけど、カッコいいことや美しいこと、尊敬できるということに、年齢も性別も職業も関係ない。人生という道で、何千マイルも先を走る彼女の背中に追いつけるように、自分に正直に、自分らしく、自分の選んだ道を、自分で切り開いていく、そういう風に生きたいと、強く思った。「幸せになってほしい」なんて言葉を彼女にかけるのは100年早かった。まず自分自身が、それに足るふさわしい人間になりたいと思った。

ずっとありがとうございました。本当にお疲れ様でした。

出会えて、好きになれて、心から良かった。

こんな気持ちにさせてもらって、あんなにカッコよくて、美しい卒業を見届けさせてもらった自分は、アイドルファンとして、最大級に幸せなんだと思う。悲しいし、寂しい。それでもなお、これ以上望めないほどに、自分は幸せなファンだと思う。

いつか偶然でも、どこかで会えたらいいな。その時には「あなたのおかげで幸せになれました。」そう目を見て言えるような、正しい人間になっていたい。そんな期待は持つべきではないけど、期待が希望になって、希望が未来に変わるなら、夢見るぐらいは許してほしい。

 

でもそう望んでしまうのはきっと、ないものねだりなんだろう。

 

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27

2017年2月7日、27歳になった。2と7づくしだ。 気がつけばそれなりに大人になっていた。中学生や高校生の頃から考えたら27歳なんて完全に大人。仕事をバリバリやって、結婚もして、普通の、"正しい"幸せに向かうレールの上に乗って、あとはその道を走っていればいいだけのはずだった。

けど実際は精神性はロクに成長してないし、好きな仕事をしてると言えば聞こえはいいが、低い給料と不透明な未来を前に、いつか必ずくる決断の時をごまかしながらやり過ごす毎日。結婚どころか彼女もいない。自分が親なら「おまえこのままで大丈夫か?」とマジで心配になってくる。50年後どころか5年後さえ自分がちゃんと生きれてるか、不安を感じない日はない。

でも矛盾してるようだけど、自分のことはそんなに嫌いじゃない。26年間生きてきた中で、今が一番"良い人間"だ。10年前より、5年前より、1年前より、昨日より。「昔」と比べたら「今」の方がいくらかはマシな人間になれている、気でいる。これで人生で一番マシだなんて、今までがどんだけクソでしょうもない奴なんだって話だが、「自分」を誰よりも一番見てきた『自分』としては、間違った方向には進んでないんじゃないかと思う。もちろん、他の人と比べたらダメなところだらけで、自信を持てるところなんて未だ一つもない。それでも、過去のどんな自分よりも、『今の自分』が1番好きだ。

"良い人間"ってなんだろうか。自分で言ってみたものの答えはわからない。優しい人、誠実な人、言葉を選ぶ人、気持ちを伝えられる人、正直な人、自分に嘘をつかない人、大切な人を大切にできる人、努力のできる人、本気になれる人、夢を持ってる人、想像できる人、行動できる人。色々並べてみたけれど、他の人に聞いたら、全く違う答えが返ってくる気がする。

容姿のことで言えば自分はブサイクだ。こういうことは男性も女性も自分から言うものではないが、とはいえ現実問題仕方ないものでもある。でもカッコいい人間になりたいと思ってる。イケメンじゃない。自分の顔も好きじゃない。ただそれでも、いやそれならせめて、生き方のカッコいい人間にはなりたい。そう思ってしまっている。

優しい人間じゃない。何かしたって「人によく思われたい」「嫌われたくない」、そういった感情の裏返し。卑しい自分に"自分"が気づくと吐きそうになる。「自分のため」と割り切ることで、なんとか見て見ぬフリをしてる。でも少しでいい。何の感情も葛藤もなく、全てそうあることが当然のように、優しい人間になりたい。そう思ってしまっている。

口先だけのやつほどカッコ悪いものはない。綺麗事を並べてただ傍観してるだけでは信用に値しない。そういう人間にはなりたくない。吐いた言葉の1/10000にも満たない等身大の自分。迷いだらけの一歩を踏み出してみる。ダサくて、カッコ悪くて、情けなくて、惨めで、恥ずかしくて、痛々しい。頭の中で描いた妄想は何一つ叶わない。大したことのない人間。落ち込んで、傷ついて、呼吸が苦しくなる。思い出す度に羞恥心と自己嫌悪が全身を蝕む。もうこんな思いはしたくない。それでも、その踏み出した一歩の分だけは、マシな人間になれたんじゃないか。そう思ってしまっている。

結局"良い人間"なんてものに答えはなくて、目指すべきはただ「自分の"なりたい"自分」、それだけなんだろう。

「どういう人間になりたいか」、その姿を描ければ、進むべき方角に向かって歩んでいける。その道すがら、遠回りをしたり、迷ったり、立ち止まったり、つまづいたり、引き返したりすることもあるかもしれない。それでも、その霧の、その雲の向こう側に見える山の頂を見失わずにいられたら、今どんな場所にいたとしても、視線の先は揺るがずにいられる。

けど生きてれば雨の日もあれば嵐の日もある。目指したはずの頂を見失って、どこに進めばいいかわからなくなる日が来る。ただそんな時にだって、気づいていないだけで、誰よりも自分自身こそが、進むべき道を知っている。嬉しい、楽しい、悔しい、悲しい、むかつく、かっこいい、ダサい、寂しい、尊敬、憧れ、嫌悪、感謝、嫌い、好き。何度となく胸の内に灯る理屈を超えた心のサイン。昔馴染みの感情から、いまだ名前を知らないその想いまで。その心のサインが、進むべき方角を教えてくれる。「自分はどう生きたいか」。たとえ迷いや悩みの中にいても、その気持ちに正直に従えば、その先にはきっと、目指すべき山の頂が待ってる。

そして絶対に辿り着くことのないその山の頂を、死ぬまで目指すことを止めない人間になりたいと思う。完璧になれる日なんて永遠に来ない。でも死ぬ時、息を引き取るその最後の瞬間にこそ、自分の人生史上、一番良い人間になれてたらいいと思う。その山の頂に最も近い場所か自分の人生を眺めて、「悪くなかった」と思って死にたい。その時だって周りの人と比べたらクソ野郎のままかもしれない。それでもその時には27歳になった今の自分の、9000倍ぐらいは良い人間になっていたい。

音楽によって自分の人生は変わった。そう思える曲がある。そして自分の人生を変えた曲が、自分の生き方そのものになっている。

<いつかそんな言葉が 僕のものになりますように>

綺麗事を"綺麗事"と言う人がいる。でもやはり、物事がそうなっていく方がいいと、思ってしまっている自分がいる。

27歳、気がつけばそれなりに大人になっていた。言っても自分はロックスターじゃないからきっと27歳じゃ死なない。才能も能力も魅力もないしょうもない人間。だからこそ、まだ死ねない。良い人間になりたい。答えのない山の頂は果てがない。辿り着くことのない「いつか」。

でも"いつか"、そんな日が来ることを信じてる。

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無題

『マチネの終わりに』という本を読んだ。芥川賞作家の平野啓一郎氏の著書で、アメトーークの読書芸人でも取り上げられ、話題となっている作品だ。内容に関しての詳しい言及は避けるが、この作品は「愛」の物語であり、そこには運命的に相手を愛するも、深く、深く相手を想うあまりすれ違ってしまう男女が出てくる。そしてこの本を読んで、Mr.Children桜井和寿が「愛とは想像すること」と語ったいつかのライブでのMCを思い出した。

個人的な話になるが、最近失恋をした。正確に言うと失恋は続いているのだが。自分の行いにあまり悔いはない。自分の気持ちと行動に自分で説明がつけられるし、フラれたこと自体は辛いが、納得できる。

そして今までであれば、納得していれば、その果ての結果が"失敗"であっても「仕方がない」と受け入れ、諦めることができた。自分でも驚くほどに潔く。

しかし今回は違った。納得し、後悔もないにも関わらず、いまだ全く心の中から退場しようとしない自分のその子への好意を、持て余し、どうすればいいかわからなくなっている。そして、「後悔」ではない「未練」という言葉の意味を、おそらく人生で初めて体感している。

 「未練」という居候との生活の中で、色々なことが頭をよぎった。

今までなんとも思っていなかったback numberの曲を聴いた。雷に打たれたような衝撃が走った。「これおれのことやん!!!!!」back numberを聴いてる人たちは、少なからずみんなそうなったことがあるのかな。ただ自分にはその子との、指折り数えるようなたいした思い出はないのだが。

母親を亡くした人のことを思い出した。もう2度と会えなくなってしまった肉親を想うその人と、ただ好きな人にフラれたのに諦めきれてないだけの自分の気持ちを重ねるなんて、その人に失礼極まりないし、一緒にするなとブン殴られても文句は言えない。でもその重さも色も形も深さも、何もかも違うけど、その胸を締め付ける苦さは、同じ名前をしている気がする。

その子にフラれた次の日、会社の人と朝の3:30までお酒を飲んだ。これまでお酒に走る人の気持ちはわからなかったが、確かにお酒を飲んでいると辛い気持ちを忘れられる。お酒も良いものかもしれないと、酔いと吐き気に塗れながら、始発まで仮眠しようと会社に帰った。しかしふと冷静になると、チクチク胸を刺すような気持ちが一瞬で心を満たしていき、気がつくとTwitterのアカウントを消していた。7秒後、そんなことをしても何の解決にもならないことに気づいた。いや、そんなことは知っていた。本当はただお酒のせいにしたかっただけだ。でもきっと衝動というものは、時に浅はかなのかもしれない。

「愛とは想像することだ」と大風呂敷を広げ、他人の気持ちをわかったような顔をすることは、ひどく傲慢かつ尊大だと思う。けれど未練を知ったことで、「あの人もこういう気持ちなのだろうか」と、それまでは陽炎のようだった"想像する"という行為が、その輪郭を表し、少なくとも視界に捉えられるぐらいには、実感できた。

先週MONOEYESのライブを見た。今まで目の前で他の客が肩車をしたりサークルを作ったりすると、一瞬だが、心の中で舌打ちをしたくなるような気持ちになっていた。邪魔だし、自分には理解できないと。けれどその日初めて、目の前で何が行われようと、どんな目に逢おうと、ただの一度もイヤな気持ちにならなかった。細美が言った。「おれたちはみんな違う人間で、それぞれ楽しみ方も違えば、価値観も違う。でも思いやりは忘れるな。」

思いやりが何を指すのかはわからない。でもきっとここにいる人たちはみんなMONOEYESが好きで、このライブを最高に楽しんでいて、そして自分もMONOEYESが好きで、今このライブを最高に楽しんでいる。その場にじっと立ってる人もいれば、手拍子をしてる人もいる。大声で歌っている人もいれば、踊ってる人もいて、サークルを作る人も肩車をする人もいる。

ただ「好き」や「楽しい」という気持ちの表現の仕方が、みんな違うだけなんだ。そしてきっと、その「好き」や「楽しい」と思うその気持ちそのものは、みんな同じなんじゃないか、そう思った。自分と、サークルを作る人や肩車をする人たちが、同じようにこの場所に抱えてきた気持ちを想像した。「楽しみだ。」「ワクワクするな。」「良い夜になるといいな。」合ってるかはわからない。でも想像してみた。初めて、心からそう考えることができた。同じ気持ちを持っていた。涙が止まらなかった。

みんな、違う人間だ。好きなものも、嫌いなものも、好きなものを好きなポイントも、嫌いなものを嫌いなポイントも違う。見え方も、その受け取り方も、考え方も、価値観も、そしてそれを表現する方法も違う。

でももしかしたら、その1番始まりの場所にある、気持ちそのものは、そんなに違わないかもしれない。好きなものを「好き」と思う気持ちや、嫌いなものを「嫌い」と思う気持ち、喜び、怒り、悲しみ。もちろん完璧に一緒ではないかもしれない。でも心の中にあるそれは、自分たちが思ってるよりもずっと同じかもしれない。

みんな、違う人間だ。でも同じ人間だ。そう思うと、なんだかいくらでもわかりあえるような気がしてきた。

花が咲いていたら、もちろん、花に目がいってしまう。同じ場所にそれぞれ違う花が咲いていたら、その花の色や形の違いに気を取られてしまう。でもそのそれぞれ違う花も、同じ太陽の光を浴びて、同じ雨に打たれ、同じ地面に根を張っている。目には見えないけど、きっとそうなんだと思う。

想像してみようと思う。想像したところで、人の気持ちなんて一生わからない。そもそもその想像が足りてるかもわからない。想像して出した答えが、望まれているものと違うかもしれない。でも、想像してみようと思う。

自分と一緒にいて楽しいのか、その子がどう思ってるのか、不安だった。でもそう想像した瞬間から、本当は始まっていたのかもしれない。そう想像した瞬間から、彼女のことが好きだったのかもしれない。

最近パクチーを食べれるようになった。前までは本当に苦手で、唯一嫌いな食べ物とまで言っていた。でもその子がパクチーを好きと言っていたから、どこが好きなんだろうと想像するために、食べてみた。結局その子がパクチーの何が好きなのかはわからずじまいで、口の中にはあのクセのある味と香りが広がるだけだった。でも気がつくと、パクチーを食べれるようになっていた。

そしてそれは、悪いことではないんじゃないかと思ってる。

the HIATUS Closing Night -Keeper Of The Flame TOUR 2014- @日本武道館

元記事掲載:音楽情報ブログ『musicoholic』http://bit.ly/2msAX8f

 ■いつも通りの、特別な夜

2014年12月22日(月)、the HIATUSがバンドとして初となる日本武道館公演を行った。
この日のチケットは2階席最上段に立ち見席まで用意されたが全てソールドアウト。the HIATUS自体は特に武道館公演をバンドの目標としていたわけではない。それに動員だけで見れば、フェスやイベントでは何万人規模のメインステージを既に何度も埋めている。

しかしことワンマンライブとなると、この規模でのライブは過去一度もない。記念碑としてではなく、あくまでもバンド史上最長となった「Keeper Of The Flame Tour 2014」の追加公演という位置づけではあったこの日のライブだが、ツアーとは一味違う夜を期待し胸を膨らませたファンで、会場は入場前から独特の高揚感に包まれていた。

場内に入ると、日本武道館の中にはいくつものチャリティブースが設置されていた。「東北ライブハウス大作戦」「幡ヶ谷再生大学」「earth garden」「FUTURE TIMES」、そしてカメラマン石井麻木による東北ライブハウス大作戦の活動の様子を収めたミニパネル写真展。東日本大震災以降、ボーカルの細美はよく東北に行くようになった。細美はそれを「ただ何かがしたいという衝動だけ」と言う。そしてそれをまた「自分のため」とも言う。けれど、そうした東北での活動の中で生まれていった人との繋がりという一つ一つの点が、線となって今日この場所へと繋がっていた。チャリティブースも特別を意識したわけではない。ただ、一心不乱に歩んで来た道がここに続いていただけだ。

通路を抜け客席へ出ると、目に入ってきたのはLEDパネルを備えた巨大な漆黒のステージ。さらに大きな透明のスクリーンがステージを隠すように天井から吊るされており、ステージの両サイドには人丈ほどのLEDの柱も14本ずつ設置されていた。

客席は時刻が進むにつれ次々にやってくる人、人、人の波で開演時間の19時を迎える頃にはアリーナから2階の最上段までもパンパンに人が入っていた。これほどの人で埋め尽くされた武道館を見たことがない。

そして開演予定時刻の19時をすこし過ぎた頃、暗転。

最新アルバム『Keeper Of The Flame』に収録されている「Interlude」が静かに流れ出す。すると客席上空から吊るされたスクリーン中央部に小さな光が現れる。その光の周囲を青い光の粒子が次々と漂い、流れ、昇り、落ちていく。目の前に深い海の中のような、幻想的で、静謐な世界が広がる。

スクリーンの映像に目を奪われていると1曲目、「Roller Coaster Ride Memories」が始まる。伊澤が奏でる重厚なピアノと細美の太く、伸びのある歌声が、心の底に降り積もっていく。曲中も吊るされたままの幕には光の粒子が溢れ、色を変え、形を変えながら、LEDの光の柱とともにステージを染め上げていく。そしてスクリーン越しには、陽炎のように揺れる5つのシルエットが浮かぶ。そして不意に幕が下りメンバーが姿を現すと、割れんばかりの歓声が巻き起こる。

1曲目から火の点いた観客が余韻に浸る間もなく次にプレイされたのは「The Ivy」。不気味な赤い照明が禍々しさを醸し出し、不協和音のような轟音と息を呑むような静寂が繰り返される。そして柏倉の鬼気迫る怒濤のドラミングとストロボのように激しい点滅を繰り返す照明が合わさり、まるでステージが爆発する惑星のように光で燃え上がる「The Flare」、深々と沈んでいく重厚な世界観に引き込まれてゆく「My Own Worst Enemy」と、混沌と美しさの同居したthe HIATUSのシリアスな曲が連続して披露される。

ステージの上の5人は普段通りプレイしているつもりだっただろう。しかし、すり鉢上の広大な日本武道館の空間と次々と色を変えるLEDの照明が、the HIATUSの持つ曲のパワーをより引き出し、拡張していた。

少し間を空けてこの日初めてのMCへ。

「テンション上がり狂ってわけわかんなくなっちゃう前に言っておくわ。今日は俺たちをここ武道館に連れて来てくれてどうもありがとう!」
細美はいつもと変わらない調子で、この日訪れたファンに感謝を告げた。

MC後は一転して「Storm Racers」、「Centipede」、「Monkeys」とmasasucksと細美のツインギターが唸るアグレッシブなナンバーを立て続けに投下。ソリッドなギターは膨張してゆく客席の熱量を受けてダイナミズムを増しながらドライブしてゆく。アリーナエリアではダイブやモッシュが至るところで起こり、フロアの熱もステージと呼応するようにヒートアップしてゆく。

そんな中意外な選曲だったのは「Centipede」だ。1stアルバムに収録されていたこの曲だが、ライブで聴いたのは4、5年ぶりではないだろうか。記憶は定かではないが、おそらく2ndアルバムの『ANOMALY』がリリースされて以降は全くと言っていいほど歌われてこなかった曲のはずである。

エモーショナルなギターの隙間を埋めるように儚く鳴るピアノ。
切なさを内包しながら疾走してゆくメロディ。
喪失をともなった歌。

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And have lost sight of a trinity

3人組を見失ってしまった
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それは単なる歌詞の一片かもしれない。
架空の物語の1ページに過ぎないかもしれない。

それでも、ELLEGARDENが活動を休止した後、the HIATUSとして初めてリリースされたアルバムでこの曲を聴いた時、どうしてもその3人を想像してしまわずにはいられなかった。

しかし、そんな痛みを感じさせるこの曲も、この日の武道館では他の曲と同様に並列に演奏された。それは勝手な想像に過ぎないかもしれない。しかし『乗り越えた』、そう感じさせるような新たな決意を感じた“Centipede”だった。

「おれさ、お前らが楽しそうに笑ってる顔を見るのがこの世で一番好きなんだけどさ。普段だったらさ、こっち(アリーナエリアを指す)にしかねぇんだけど今日はさ、横見ても上見ても。おれ、超好きかもしんないこの景色。」

再びのMCを挟み、細美はギターをアコースティックギターに持ち替え、「Deerhounds」、「Bitter Sweet / Hatching Mayflies」、「Superblock」と3rdアルバム『A World Of Pandemonium』の楽曲を演奏する。

音楽であることにより自由になったこのアルバムは、これまでよりも更に一回り大きなスケールを獲得し、有機的で色彩豊かな音色を奏でている。収録されている曲はどれも瑞々しい生命力に溢れており、まるでたった今この世界に産み落とされたばかりのようだ。

「Superblock」を終えたところで細美から5年ほど前に矢野顕子さんから1通の電子メールをもらったという話がされる。そこには「とても素敵よ」という言葉とともにURLが貼られており、そのURLの先にはある海外のフェスで客席に聴覚障害者の人のためのブロックを作り、手話通訳士の方が音楽に合わせてその聴覚障害者の人達のために手話をする動画が映っていたという。

「今日はそれをやってみようかなと思って、手話通訳者を呼んでいます。」

その細美の言葉を受けステージに招かれたのは、手話通訳士のペン子。
彼女と共に演奏する曲は「Horse Riding」。
跳ねるようなアコースティックギターのサウンドと大地を駆けるようなドラム、流れる清流のように澄んだピアノの旋律が青く、美しい一曲。

そんな「Horse Riding」に合わせてステージの一角で曲に合わせ、リリックの一つ一つを丁寧に手話で伝えていくペン子の一つ一つの所作は、とても緩やかで、穏やかで、そして優雅だった。踊りとはそれ自体何かを表現したものだが、その手話は歌に挟みこまれた祈りを体現した舞いのようだった。

それは雄弁な踊り子のように、歌詞の一つ一つに込められた情景を見る者の瞼の裏に映し出し、伝承される神話のように、人々の記憶に焼き付いただろう。

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Revolution needs a soundtrack
革命にはサウンドトラックが必要だろ
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 細美がそう歌う傍らで、ペン子は右手を胸に当てていた。そして、左手から伸びた一差し指と彼女の眼差しは、武道館の舞台に立つ5人の男達に向けられていた。

晴れやかな「Horse Riding」を終えたところで、細美は再びゲストを招き入れる。
『A World Of Pandemonium』に収録されていた「Souls」で共演を果たし、何度かライブでも顔を合わせているRentalsのJamie Blakeだ。

Jamieを迎えて披露されたのは「Tales Of Sorrow Street」。細美の擦り切れてしまいそうな切実なボーカルに、Jamieの力強いコーラスが重なる。2人の慈しみを纏った歌声がサウンドスケープを描き、会場を包む。ペン子の手話も、我が子に絵本を読むかのように温かく、客席へ語りかけていた。そして続く「Souls」祈りは花開き、会場は祝祭的な幸福感に満ち溢れていた。

2人のゲストを送りだした後、e-bowの不穏な響きが漂う中幕を開けた「Thirst」では、ハイパーなシンセの高速ビートでアリーナは一転してダンスフロアへと変貌し、柏倉の変幻自在のリズムと溶け合いどこにもないカタルシスを生みだした。

そして「Unhurt」へ。この曲ではメンバーへ照明が当てられることはなく、妖しく光る緑と紫の照明が、暗がりに包まれたステージと会場を警戒灯のように照らし続ける。BPMが速いわけでも音数の多い派手な曲なわけでもない。しかし浮遊感のあるシンセ、逞しいベース、確信に満ちたボーカルが、終盤に向かうにつれドラマチックに重なり、加速してゆく。身体の奥底で眠る何かが核爆発を繰り返すように、閉じ込められていた感情が引きずり出されるように、全身が躍動する。それはダンスミュージックの機能ではなく、ロックミュージックの本能で訴えかけてくる。

この曲を初めて聴いた時、細美がこの歌詞を書いているということに大きな衝撃を受けた。

「Unhurt」の歌詞の中にこんなフレーズがある。

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We never know who wins this game again
誰がこのゲームに勝つのかはわからない
-----------------------------------------------------------

 今までの細美なら、きっとここまでしか言わなかったはずだ。

誰がこのゲームに勝つのかはわからない。
明日がどうなるかなんて誰にもわからない。
永遠に続くものなんてない。

この日演奏された「Centipede」の一節もこうだ。

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But who knows the game goes on today
今日もゲームが続くなんて誰が言ったんだ
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今日もゲームが続くなんてわからない 。

だからこそ「今」、その瞬間に命を燃やすことにどこまでも本気な男。
それが細美武士という人間だ。

だが「Unhurt」のラスト、言葉はこう書き換えられている。

-----------------------------------------------------------
We never knew to win this game again
to win this game again
このゲームに勝てるかなんてわからなかった
勝てるかなんて
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細美はずっと「希望」 を歌ってきた。

それはある意味では、常に孤独や絶望と隣り合わせだったということかもしれない。
でもこの曲は違う。

これは紛れもない「勝利」の歌だ。

一度は全てを失った。この日を迎えられると思わなかった。
ここまで来れるとも思ってなかった。たくさんのことが過ぎ去った。

細美は言う。「今でも一人で何でもできると思ってる。」
だが己の信念を曲げず、貫き続けてきた道を振り返れば仲間がいた。
目の前には数えきれないほどの笑顔があった。
屈服させられたこともあった。
でも結局そのまま、まるで無傷だ。

幾多の困難を乗り越えてきた男達の勝利の歌が、超満員の日本武道館に掲げられた。

そのまま「Lone Train Running」へと続く。
もっと遠くへ、どこまでも遠くへ。
ここまで辿り着いた。でもまだ先がある。もっと遠くへ。
masasuksのギターソロは、停滞を許さないように、焦燥感と切迫感を内包しながら激しく刻まれていく。
そしてサビの「Away now」の大合唱は、このバンドとならどこまでも行けるというオーディエンスの信頼がそのまま表れたかのような希望に溢れていた。

「この年まで生きてくると、わりかし先にあの世に逝っちまった仲間がいて、また一人また一人と増えていくんだけど、多分お前らもそうだと思うんだけど。まあ今日ぐれぇはここに来て一緒に聴いててくれるといいなと思っています。まあそのうちおれらも行くからよっていう、そんな歌です。」

そんな細美のMCを受け歌われたのは「Something Ever After」。永遠に続くものなどない。

真っ暗な夜の海を照らす灯台のように、両サイドのLEDの柱の底から、温かいオレンジ色の光の玉が浮き上がる。寄り添うような慈愛と寂寥の宿る細美のボーカルに観客は息を呑む。

いよいよライブはラストスパートへ。「Insomnia」では「Save me」と再び大合唱が起こる。
観客はthe HIATUSの音楽に自分たちの抱える言葉にならない、発露できないエネルギーを乗せて、この世界に放出する。

続く「紺碧の夜に」ではアリーナエリアではダイブやモッシュ、サークルがあちこちで発生していた。しかしそんなアリーナエリアでもスタンディングエリアでも、オーディエンスの表情はみな笑顔で輝いていた。

そして本編の最後に歌われたのは「Save The World」のアナグラムが隠された1stアルバム『Trash We’d Love』のリードトラック「Ghost In The Rain」。the HIATUSの曲として初めて発表された曲だ。水面を走るような流麗なピアノに導かれ、温かい日差しが世界に広がっていくように、場内は光に覆われる。

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I’m a ghost in the rain The rainbow
You can’t discern I’m standing there
Ghost in the rain The same old
You carry on
The world will find you after all

僕は雨に立つ亡霊

君は僕を見分けられない
雨に立つ亡霊
変わらぬもの
君はそのまま進むんだ
やがて世界が君を見つけ出す
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初めは孤独を歌った曲のはずだ。
しかし歌われるほどに、この曲は希望に変わる。

「君はそのまま進むんだ」
「やがて世界が君を見つけ出す。」

ゼロから始まったthe HIATUSの5年間。

その始まりの1曲は彼らのここまでの道程が間違っていなかったことを証明するかのように、強烈な閃光のように眩しく、鳴り響いていた。

爆発して砕け散ったガラス片のようなキラキラとした輝きと硝煙のように燻る熱と余韻を残し、5人はステージを去った。

本編終了後も観客の興奮は冷めやらず、メンバーが去るや否や即座にアンコールが巻き起こる。

そんなアンコール1曲目、「Twisted Maple Trees」。リフレインするギターと細美の静かなボーカル、そこにピアノ、ベース、ドラムが重なり合っていき、曲のラスト5人の激情は収束し一つになる。

エルレが止まったおかげでこいつら(the HIATUS)に出会えた。震災が起きたおかげで新しい仲間ができた。本当なら”せいで”って思うことかもしれないけど、前向いて生きていこうぜ。そうやらないと生きていけないっていうのもあるけど、あれたちみたいな馬鹿野郎は、お前らもだよ?、下向いて落ち込んでたってしょうがないんだよ。バカみたいに笑って生きていこうぜ。」

そうして歌われたのは「Silver Birch」、仲間の歌だ。弾むようなピアノはワクワクするような高揚感を生み、この日、この場所に集まった全ての仲間達とともに、今日という日を祝っていた。

しかしまだアンコールは終わらない。それは素晴らしいライブの余韻をいつまでも感じていたい、今日という日を終わらせたくないというファンのささやかでわがままなお願いのようでもあった。けれどその想いはメンバーも同じだったのか、5人はこの日三度目となる姿を現す。

最後の1曲に選ばれたのは「Waiting For The Sun」。柏倉のドラムはまるで生き物かのように凄まじい手数でありながらも変則的かつ気まぐれで、かつマシンのように正確にリズムを作りあげてゆく。客電は点いたまま、「WOW WOW WOW」と言葉にならない叫びは一人一人を繋ぎ、強固な一体感を生み、大きなうねりとなって会場をわたった。

こうして約2時間弱のライブは大団円を迎えた。

ステージを去り行く5人に向けられた惜しみない拍手は、いつまでも、いつまでも鳴り止まなかった。

これは特別なライブではない。
勝ち負けのある闘いでもない。
本人たちにもそのつもりはない。
どこかの街の小さなライブハウスも、日本武道館も、やることは同じだ。
ただいつもより少し会場が大きくて、少しだけ人の数が増えた、それだけのことだ。

それでもこの日の武道館のライブを見て、the HIATUSのこれまでを振り返らずにはいられなかった。

細美はthe HIATUSの一員となり、作曲のスタイルを変えた。
『A World Of Pandemonium』では、メンバーとのセッションから生まれた種を大切に育て上げるように曲を生み出していった。
いつからか柏倉のことを「柏倉くん」ではなく「隆史」と呼ぶようになった。

伊澤は堀江が抜けた後、サポートではなくバンドのより中核を担う存在として「ミュージシャン」ではなく「バンドマン」として、タフな全国ツアーを仲間とやり遂げた。

スペースシャワーTVで放映された「Keeper Of The Flame TOUR」のドキュメンタリー番組の最後、ナレーションを務めたBRAHMANTOSHI-LOWは「the HIATUSは(このツアーを通して)バンドになったんだな」と言って締めくくった。

今回のツアーのチケット代は2600円。
「このままじゃ会社が潰れます。」そう言われた細美は、スタッフの人数を可能な限りなく少なくするために、機材車の運転から機材の搬入・搬出までも自分で行っていた。

前回のHorse Riding TOURのチケット代は2500円。
「100円値上がりしちまってごめんな。」細美はラジオでファンに謝っていた。

1stアルバムから4thアルバムまで万遍なく取り入れられたセットリスト。
会場内に設けられたいくつものチャリティブース。
ここまで共に歩んで来たメンバー、スタッフ。
日本中から集まったファン。笑顔。
来たくても来れなかった人達も沢山いただろう。

その全てが、始まりのあの瞬間から、今日この瞬間まで積み重ねて来たものだ。

振り返らずに走り続けてきた5年間の旅の間、自分たちに対し、ファンに対し、音楽に対し、誠実で真摯であり続けた。時に愚直なまでの揺るぎない信念を貫き続けたバンドの軌跡が、この日の武道館にはあった。

「でかいとこでやるたびに思うんだけど、似合わないおれたちには。LEDも似合わないし。武道館はやってみて凄い楽しくて好きになったけど、やっぱりお前らまでは遠いし。だからまた、どっかの町のきったねぇ路地裏で会いましょう!」

最後の最後、マイクを通さず肉声で叫ぶ細美の声は、2階席の最も遠くはなれた場所に立つファンの元へもはっきりと届いていた。

別に武道館だからなんだ。
感傷的なムードもない。
振り返るなんてしみったれているかもしれない。

彼らは変わらない。
これまでも、きっとこれからも。

それでもこの日、the HIATUSというバンドは見せてくれた。彼らの生き様を。
今まで歩んで来た道程が間違っていなかったことを。

2014年12月22日。
いつも通りの5人が見せた、いつも通りの、
でもほんの少しだけ、特別な夜だった。

 

12月22日(月) the HIATUS Closing Night –Keeper Of The Flame TOUR 2014- @日本武道館
1. Interlude
2. Roller Coaster Ride Memories
3. The Ivy
4. The Flare
5. My Own Worst Enemy
6. Storm Racers
7. Centipede
8. Monkeys
9. Deerhounds
10. Bitter Sweet / Hatching Mayflies
11. Super Block
12. Horse Riding
13. Tales Of Sorrow Street feat. Jamie Blake
14. Souls feat. Jamie Blake
15. Thirst
16. Unhurt
17. Lone Train Running
18. Something Ever After
19. Insomnia
20. 紺碧の夜に
21. Ghost In The Rain
encore1
22.Twisted Maple Trees
23.Silver Birch
encore2
24.Waiting For The Sun

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細美武士が気づかせてくれたもの

元記事掲載:音楽情報ブログ『musicoholic』 http://bit.ly/2mkZ2i7

細美武士

ELLEGARDEN/the HIATUS、現在2つのバンドでフロントマンを務めるバンドマンだ。彼のライブはチケットもグッズの値段も安い。CDには初回限定盤もなければ特典もつかない。地上波のTVやマスメディアには一切出ない。あれは嫌だ、これは嫌だ。ひたすら愚直なまでに、ファンの想いを直接感じられるライブを、何よりファンの事を1番に考え、細美はここまでやってきた。周りとの意見のぶつかり合いも少なくなかっただろう。もっとラクな道ならいくらでもあったはずだ。

何が彼をそこまで駆り立てるのか。

細美は挫折の人間だ。学校や社会の要求する規則や常識に馴染めず周りから浮いていた。高校を中退し工場で働いたが未来は見えなかった。バイクレーサーになりたいという夢も自分より優れた才能を前に諦めた。ELLEGARDENの前に組んでいたバンドがメジャーデビュー目前まで行った時も納得がいかず話は頓挫、結局バンドは解散する事になった。音楽の道すら一度は諦め就職もした。

彼は自分の信念が報われてこなかった人間だ

その後、偶然残っていた一つの電話番号から引き寄せ合うようにELLEGARDENは生まれた。でもまだ信じられない。1stアルバムのタイトルは『Don' Trust Anyone But Us』。「おれたち以外は信用するな」。しかしそれからライブを重ね、アルバムをリリースする度にファンの数は増えていった。2007年にはELLEGARDEN幕張メッセでワンマンライブを行うまでになった。

あの頃信じていた道は間違いじゃなかった。

細美の信念とは純粋過ぎる程の理想主義と潔癖なまでの完璧主義を貫くことだ。
誰もが自分の理想を持っている。それなのに多くの人は最初から何かを諦めて生きている。『二兎を追うものは一兎をも得ず』。その言葉を飲み込み、二兎を得た方が幸せな事をみんな知っているのに、両方を失う事を恐れて、初めから一兎しか追わない。傷つくことを恐れているから。そして二兎を追う道が最も困難な事を知っているから。
そんな生き方を細美はしたくなかった。別に誰かを困らせたいわけでも傷つけたいわけでもない。でもだからって自分を曲げたり押し殺したりなんてできない。自分も皆も、全員で幸せになりたい。その結果、たとえ二兎を失うことになっても。細美はそうやって生きてきた。

「人生はそんなに甘くない」
「綺麗事だ」
「現実を見ろ」

どれほど周囲と摩擦を生もうと細美は自分の信念を決して曲げなかった。すると少しずつ、少しずつ、彼と同じ道を歩む仲間が増えていった。誰も信じてくれなかった言葉を信じてくれる仲間ができた。そしてファンの存在は、細美に1人じゃないことを教えてくれた。細美の言葉に救われたファンは多いと思う。しかし細美こそが、そんなファンの存在に救われていた。だから彼は誰よりもファンのために歌う。周りに受け入れてもらえなかった自分を信じてくれる仲間のために。

the HIATUSのThe Afterglowツアーで彼らがライブの最後に演奏していた曲は「Silver Birch」だった。『仲間の歌』と言ってこの曲を歌う前、細美はしきりに仲間の大切さを話していた。ELLEGARDENからthe HIATUSになり音楽性は変わった。曲作りの方法だって変わった。
そもそも人間というものは成長し変わっていくものだ。

でも彼にとって本当に大切なものはずっと変わっていない。

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降参するなんて言わないでくれ
奴らに妥協させられるな
理想を実現するんだろ
君は弱虫じゃない

すでに諦めた奴らが君の強い意志を妬む
奴らは君を負け犬の輪に引きずり込もうとしてる

僕は君からやりたいことは
なんでもやっていいと教わった
僕は君から結局王道なんてものは
ないんだということを教わった

奴らは君の信念をぐらつかせようとする
何故なら既に自分の分を失ってしまったから
君には出来ないなんて誰にも証明できない

願い続けさえすれば
いつか気付くかも知れないじゃないか
一緒に歩いている人がいるってことに

僕は君と一緒に行くよ

(Cuomo)

itun.es

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僕たちは全く完璧じゃないし失敗ばかり。クソッたれのダメ人間。おまけに世界は不条理で物事はびっくりするぐらい上手くいかない。泣きたくなる夜もあれば信じているものを諦めたくなる時だってある。

でも『音楽』の下で、赤の他人の僕らがバカみたいに笑い合って一つになれたあの瞬間を僕たちは知っている。周りの人が「そんなものはない」と言っていたその世界は確かに存在した。諦めたくない。信じたい。その道がたとえ最も辛い道だとしても。仮に全てを失ったとしても。

だけどそんな道を一人で生きていけるほど人は強くない。心配事が消えさることなんてない。でもだからこそ僕たちは音楽に勇気をもらい、ライブでその存在を確かめるんだ。不安な時はここに帰ってくればいい。

 

「君は1人じゃない」

 

そんな彼の音楽を僕は今も信じている