22│11│3, 2, 1 Go

■某日
 1か月ほど前に失恋してから謎の失恋ハイ(そんなものはない)になっており、とにかく思いついたことやってみるかという、自暴自棄ともやぶれかぶれとも開き直りとも言えるテンションが続いている。やりたいことで頭の中に浮かんだのはギター、ボクシング、そしてバンジージャンプの3つ。継続の必要がないバンジーが一番ハードルが低いと思いとりあえずバンジージャンプからしてみることに。都内近郊でマザー牧場と並びバンジーが飛べるよみうりランドに行く。

 この話を人にすると『なんでバンジー飛びたいの?』と聞かれたが、「自分の人生に気合が入りそうだから」としか言えない。人生に気合を入れる意味は?と聞かれたら困る。そもそも誰に頼まれてもないので究極の自己満。でも飛んでみたいと思ったなら、それは自分でも気づいていない無自覚の自分が求めてることなんじゃないかという漠然とした予感もある。

 よみうりランドに向かう道中も、入園しバンジージャンプに向かっている最中も恐怖心はあまりない。これ案外余裕で飛べる気がするな(なぜなら失恋ハイ中だからだ!)と舐め腐っていたが、いざチケットを買い誓約書を書き始めた時、これから自分がバンジージャンプを飛ぶんだという実感が湧いてきて、急に緊張してきた。一度感じた緊張は装備を付けてもらっている時、自分の足で高台の階段を上っている時とどんどん高まっていく。「おれこれからマジでバンジー飛ぶのか」。バンジーが怖くなかったわけではなく、単に他人事のように実感を持っていなかっただけで、実感が湧いてきた途端、今すぐギブアップしたい気持ちになってきた。高台に上がり、上で待っていたインストラクターの人にワイヤーを付けてもらい、先端に立つ。

インストラクター『もうちょっと前いってください』

 いや、これ以上前はないが?足の1/3ほど、つま先が空中に出るまでグイグイ前に詰められる。左手でなんとか手すりを掴んでいるだけで、それ以外の部分は既に空中に放り出されているようなめちゃくちゃ不安定な気分になり、ここで恐怖心がMAXになる。下を見た時なんかよりも、拠り所になるものがないという状態の不安定さに対する恐怖やばい。間違いなく今生きてきて一番怖いわ。

インストラクター『足から落ちると危ないので頭の後ろに手組んで、頭から落ちてください。』

 なんでみんな足から落ちないのか不思議だったけど頭からいかないといけないのか。

おれ「あ、ちょっと飛べないかもしれないです。」
インストラクター『全然飛ぶか飛ばないかはお兄さん次第なんで。ただあんまズルズルいっちゃうとどんどん飛べなくなっちゃいますよ。』

 めっちゃ煽るやん。

インストラクター『ちょっと風強いんで弱まったらいきましょうか』

 まず飛べるか飛べないかにビビってるのにその上タイミング狙って飛ばなあかんの??このまま一生風強くあれ。
 曇り空の高台の上からの景色は別に眺めのいいもんでもなく、これから空中に体を放り出そうとしている自分とは無関係にしか見えない。テレビで芸能人がバンジージャンプを飛ぶ企画で上まで登った挙句ギブアップする気持ちが今ならわかる。
 しかし今日自分が何のためにここまで来たのかを思い出す。あと単純にここまで来てギブアップはダサすぎるし自分のこと一生好きになれないかも。もう飛ぶしかないと腹を括る。誰に頼まれてもないのに自分でやると決めて、勝手にやってきて死ぬほどビビッて、自分の意地とプライドのために飛ぶ決意をする。自意識過剰の自転車操業

おれ「多分いけます。まだ風強いですかね?」
インストラクターの人『あ、いけます?風強いですが、まあもういっちゃいましょう』

 風とはなんだったのか。正直『まだ風強いんで待ってください』待ちだったんだけど。というこっちの疑問を無視して一気にカウントに入る。

インストラクターの人『3!2! 1!』
おれ「(え、待って待って待って早い早い早い)」

 と0.3秒の間に20回ぐらい思うも待ってはくれず、ただ体は自然とカウントに合わせるために空中に向かって倒れていく。その後のことは全てが一瞬だったが、「こえー!!!」と叫びながら落ちていったこと、人間が地面に落下してくスピードはまじでヤバいこと、びよーんとリバウンドで上空に跳ね返ったタイミングでワイヤーについてる抱き枕のようなクッションに夢中でしがみついたこと、恐怖が人生一を記録して「怖すぎワロタwwwwww」みたいなテンションになりずっと爆笑していたことは覚えている。あと地面に帰ってきた時、ぐったりするぐらい疲れていて10歳ぐらい老けた気分になった。装備も外され解放された時、こわばって締まった心臓とおぼつかない足取りの中、よく飛んだなーという微妙な達成感と、バンジー飛んだぐらいでは変わらない人生観を感じる。ただ間違いなく生きてて一番怖かった。勇気出した自分を褒めてやりたい気持ちもあるが、飛べたのは心の準備ガン無視でカウント始めるあのインストラクターの人のおかげな気もする。物理的には背中は押してないが、気持ちの面ではあのインストラクターの『3!2! 1!』が背中を押してくれた(飛べよという圧にも感じたけど)。

 人生でなにか迷った時、決断を迫られた時に「今だ!」なんて教えてくれる合図はない。合図がないから本当にいっていいのかと迷うし不安になる。そのせいで今まで何度もタイミングを逃してきたんだろう。人生にインストラクターはいないから、自分に気合入れるのも自分の背中を押すのも自分次第。勇気出ない時は、とりあえず『3!2! 1!』ってカウントしてみてもいいかもしれない。

↑飛び終わった後にこの曲のことを思い出した

 そのあとせっかくよみうりランドに来たからとジェットコースターにも乗ったけど、ちゃんとめっちゃビビった。
 怖いもん経験したからと言ったって怖いもんがなくなるなんてことはない。ちゃんと全部怖い。でも絶対また死ぬほどビビるのがわかってるのに、最近はもっと高いところのバンジーの場所を調べてる。

■某日
 THE 1975のCDを渡すために高校の時の友達に会う。大人になってからもたまに連絡を取り会っている数少ない友達。久しぶりに会ったからと言って大した話をするわけでもないが、普段接している人とはしないような話ができるのは同級生だからかもしれない。高校の時同じクラスだった奴がボディビルダーを目指しめちゃくちゃ鍛えてる写真を見せられ当時との違いに驚く。自分は学生時代の同級生に会っても「変わらない」としか言われたことはないけど、10年以上経ってれば変わってない方がおかしいのかもしれない。

■某日
 出張で大阪に行く。3マンのライブで、自分の担当以外の2組のライブは初めて見る。バンド名とアー写、そしていくつかの曲をチラッと聞いただけの印象と、実際にライブを見た印象はかなり違った。生で聴く方が良い。ただ同時に、生で見る機会のない人に伝わっているイメージが、そのバンドの実像を正しく伝えられているのかというアーティストブランドについても考える。イメージがないと興味を持ってくれないし、イメージと実態に乖離があり、それがマイナスのギャップではファンにはなってくれない。
 ライブの後は会社の後輩と行きつけになっているたこ焼き屋へ。大阪に住んでる時はたこ焼きの美味しさに気づかなった。もったいないことをしていた。何度か来ているからか店員さんに顔を覚えられており、帰り際に名前まで聞かれてしまった。「マッチングアプリでは可愛いと思う子としか会わないやろ」などど後輩に話していたクソ調子こき発言を思いっきりイジられたので今後行きづらさがすごい。

■某日
 SNSで10年来のフォロワーの人に某ブランドの展示会に誘われる。こういう機会でもないと参加できないものではあるので二つ返事でOKの連絡を返す。当日はそのフォロワーの人を誘った別のデザイナーの人もいたようではじめましの挨拶をする。学生時代は華道をやっていて、今はフリーのデザイナーをしながらアパレルブランドもやり曲も作っているという20代前半の少年。どうやったらそんな人生に行きつけるのか、大阪でロクにやりたいことや将来のことも考えず学生時代を過ごしてきた自分には想像もつかない。某ブランドのオーナーの人も上司が仕事で接点があるらしく意外と距離が近そう。こういう展示会で身内同士っぽい人たちの中に自分が入っていくのはすごい苦手だけど、来てよかった。
 その後は誘ってくれたフォロワーの人とともに原宿に今年できたハンバーグ屋へ。いわゆる「挽肉と米」的なハンバーグと米推しのお店。正直ハンバーグが美味しいからというより米が美味いから成立してる気がするが、それでもいいぐらい白米が美味しい。今年子どもが生まれライフステージが変化しつつあるその人の話に、その変化を経験していない自分が答えても説得力ないなと、毒にも薬にもならない相槌を打っていた気がする。7歳下の女の子に「あんま年上感ないですね」って言われたアレ、あんまり良いことじゃないんじゃないか。