23│04│Breathing
■某日
失恋のダメージを引きずった状態で出社。プライベートで何があろうと大丈夫ですというツラをして仕事に勤しまなければならない、それが生活するということであり生きるということ。みんな落ち込んだり傷ついたり悲しいことがあってもそれを見せずに学校に行ったり仕事をしているの偉すぎる。
相談しまくっていた会社の先輩たちに事の顛末を話す。みんなすごく話を聞いてくれ、励ましてくれ、中には元気出せよと人気店のカレーパンを買ってきてくれた先輩までいた。おれは色んな人に話聞いてもらってたんだなーと気づくと同時に、こうやって話聞いてくる人がいることのありがたみを実感する。これ一人で抱えてるだけだったら絶対もっとメンタルヤバかった。ただ油断してると人の好意に甘え、悲劇のヒロイン気取って自分の話ばかりしてしまうから危ない。人に聞いてもらった分、自分も誰かが話をしたい時、そばにいて話を聞いてあげられる人間にならないと。
8年一緒に働いている先輩に「最近人間味でてきた」と言われた。自分では自覚症状はないが、昔はもっと社会性がなくてヤバい人間だったらしい。にしても人間味でてくるの遅すぎるけど。3歩進んで2歩下がる。1歩でも進んでるなら、遠回りにも意味はある。
■某日
同じ部の10年間働いていた先輩が退職するとのことで部のお疲れ様会も兼ねた飲み会。今の部は人の入れ替わりが多く半分近くはここ2カ月以内に入社した人たち、かつ残りの9割の人もこういう場でちゃんと話したことがないので緊張というか気まずいというか、どういう顔でなんの話をしたらいいかわからない。なんとなーくつつがなく会は進行。みんな良い人だけれど、「こういう場で自分の話を率先して自らすることはダサい」という染みついた固定観念に縛られあまり喋らず。人見知りなわけでも喋るのが嫌いなわけでもなく、全ては自意識の問題。自分を含めて人が5人以上いる飲み会がおれはやっぱり得意ではない。
退職する先輩は今の部でリーダー的な立ち位置の人で仕事も沢山持っていたから、その人が抜けてどうなるのか先行きは不安。でもなんとかならなくても残された人でなんとかしていくしかない。いなくなったら困ったり寂しい気持ちになる人は沢山いるけど、いなくなったらなったで人間は良くも悪くも適応してしまう。いや、適応せざるをえないだけか。
■某日
The 1975の横浜公演のためにぴあアリーナへ向かう。クリマンの3A先行で半年以上前から2日間を確保していたチケットだが、Mattyの例の件で何とも言えない気持ちになって2日目はリセールに流し、テンションもそこまで上がらずな状態が続いていた。しかし彼女に振られた直後にThe 1975の曲を聴き返したら曲の聞こえ方が以前までと大きく変わり、特に”It's Not Living (If It's Not With You)"や"About You"、"Somebody Else"が刺さりまくって急にめちゃくちゃライブが楽しみになってしまった(そのノリで2日目のチケットを知り合いから買い直してしまうほど)。人生のタイミングで、以前までピンとこなかったもののことが急に”わかる”感覚がたまに訪れる。今The 1975を見ることに意味があるんじゃないか、そんな気がしてくる。
今回一緒に行く人は昔アイドル現場で顔を合わせていた人で、会うのはおそらく7,8年ぶり。会うなり開口一番「雰囲気変わりましたね」と言われる。髪型か眼鏡かけてるからかと思っていたら「昔は話してても目が全然合わなかった。」「まさに『モテキ』の幸世だった。」らしい。昨日会社の先輩に「人間味がでてきた」と言われたことを思い出す。昔のおれ、どんだけヤバかったん?
席はアリーナ2列目という奇跡レベルに良い席で、もうこんな近くでThe 1975を見る日はないだろうと、ただただ"近さ"にとにかくテンションが上がる。
ライブは去年のサマソニにニューアルバムの曲を加えたようなオールタイムベストなセットリスト。正直オープニングから「近い!!!」と目と鼻の先にメンバーがいることに興奮しっぱなしで曲はちゃんと聞けてなかった気がする。肉眼でメンバーの指先や表情まで見れるライブの情報量は膨大で、自分にはその全てを同時に処理する能力はないらしい。ただライブ中「Matty調子悪いのか?」と途中で気づくぐらいにはMattyのテンションは低めで、淡々とライブは進んでいく。後から聞けば初日のガーデンシアターよりもMCも短い上に4曲も少なかったらしい。そんなのありかよ。でもメンバーの一挙手一投足を眺めながら聴く大好きな曲たちは格別で、永遠にこの時間が続いて欲しいと思っていたこの気持ちに嘘はない。おれが初日のガーデンシアターを見ていたとしてどのぐらい感動したかなんてわかりようがないのに、それと比べて今日の自分の感動が劣っているかのように考えてしまうのはもったいないよな。
ライブ後は一緒にライブを見たその人とご飯へ。ここでも彼女に振られた話を聞いてもらう。その人は最近料理中に指を抉るように切ってしまい血がずっと止まらず、その傷はもう一生治らないんじゃないかと思っていたらしい。そう言って見せてくれた指先は、今では言われないと気づかないくらい傷跡はほとんど残っていなかった。『人間て凄いんですよ。もう治らないと思っていた傷も、時間はかかってもいつかは治るんですよ。』その人なりにおれの失恋の傷もいつかは癒えるということを伝えたかったんだと思うけど、励まそうとしてくれてる説得力が強すぎてちょっと笑いそうになってしまった。
おれ「人生の目標というか生きる意味みたいなものがなくなってしまって、それをもっかい探し直さないとと思ってるんですよね。」
その人『生きる意味とか目標を持つのも大事だけど、生きていればやりたいことが出てくるからそういうもの(目標や意味)がなくても大丈夫ですよ。』
そういえばライブ中、The 1975を海外でまた見たいなと自然と考えていたことを思い出す。こういうことを積み重ねていくのか。目から鱗が落ちるような、宙に浮いていたアイディアが腑に落ちて自分の体に落ちてくるような感覚。7,8年という傍から見ればそれなりに長い時間を経てもう一度この人に会えたこと、今日The 1975を見れたこと、やっぱり意味があるなと思う。
■某日
2日連続でThe 1975を見るためにぴあアリーナへ。ライブ前に知り合い2人に会う。一人は3年ぶりくらいで、もう一人は7,8年ぶりくらいに会う。2日連続で数年ぶりの人に連続で会うことなんてそうそうない。おまけに今日チケットを譲ってくれる人はSNSで10年ぐらい相互フォローだけどメッセージを数回交わしたことがある程度で一度もちゃんと会って話したことはない人。 もしもおれが彼女に振られてなくて、The 1975やっぱめっちゃ良いやんとなってなくて、2日目のチケットを流したままだったらこの3人にはここで出会ってない。論理の飛躍。こじつけに過ぎない。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局何もわからない。でもこういうことが起こるのが、人生のおもしろいところだなと思う。
今日の座席は3階席の2列目。会場全体は見渡せて今日もいい席。今日は昨日よりもっと曲を集中して聴きたいところ。
2日目はオープニングから初日と違い、初日はステージ上のレコードにMattyが針を落とす演出からいきなり1曲目の”Looking For Somebody (To Love)"が始まったが、今日はアコースティックの"Oh Caroline"に続くメドレーからスタート。この弾き語りのパートが信じられないぐらい良くて鳥肌が止まらなかった。昨日と今日の差なに?
本編もMattyのテンションは昨日よりも高く、「みんな静かなのに僕が近づくとワァーってなるよね」「日本でこんなに沢山の人の前でプレイすることにまだ慣れないよ」とMCも饒舌。”Sincerity Is Scary"では客席から投げ込まれた馴染みの帽子を被りパフォーマンスするなどサービス精神に溢れていた。昨日が家で一人で寝間着を着た状態のMattyだとするなら、今日はネクタイをしてステージの上でパフォーマンス(エンターテインメント)をするMattyというぐらい違う。曲も"Guys"や"I Always Wanna Die (Sometimes)”含め昨日よりも曲数多いし公演時間も20分以上長い。昨日と今日で本当に同じバンドか?ただ何があったかはわからないが、バンドは生き物で、人間がやっているのだからこういうことは起こりえるものだ。だからこそその瞬間に意味があるし、見逃してはいけないんだとも思う。どっちの瞬間にもそこにしかないものがある。結果的に2日間行けて本当によかった。初日はやっていた"She's American"を2日とも聞けなかったのは残念だけど、いつか生で"She's American"をライブで聴きたいという夢をもらったとも言える。3年前にThe 1975をロンドンで見たのは、間違いなく2019年のサマソニで”見逃した”から。後悔のない人生を送れた方がいいかもしれないけど、後悔だけが連れて行ってくれる場所もある。
ライブ後は数年ぶりに再会した2人と野毛へ一杯だけ飲みに。会っていなかった数年の、自分の生きてる世界は狭くて、生きてれば色々あるよなという話を聞く。でも元気そうで良かった。ある人が「遠くに住んでいてずっと会えないということと、亡くなってしまって会えなくなることの違いがわからない。」と言っていた。全然違うよ。生きていれば、惑星の軌道のようにそれが何年周期だとしても、こうやってまた会えるんだから。銚子に移住して漁師の奥さんをやっているその人に会いに行くという約束は、いつかちゃんと果たさないとな。
■某日
人生初のARABAKI ROCK FESTに参加するため4:40に起きる。前日も夜まで仕事だったため2時間睡眠だったが、こういう時に遅刻したことが一度もないのは自分の偉いところだなと思う。仙台に行くのはいつ振りか思い出せないぐらい久しぶり。仙台駅から会場へ向かうシャトルバスに乗り込むも、通常1時間~1時間半かかる道のりのはずだが、渋滞にはまってしまい会場に着くのにさっそく2時間40分ほどかかる。物事予定通りにいっちゃくれない。
昨年のアラバキは豪雪だったと聞き防寒対策をかなりしていくも、当日は拍子抜けするほどの快晴に春を通り越して初夏の気温。暑い。会場に着くなり先に到着していた知り合い夫婦に会う。この2人とは待ち合わせしてないのにMONOEYESのライブのフロアで何度も会ったりと何かと縁があるし、こういう場所でまた会えるのは嬉しい。
堂島孝平とTeleを見た後は会社の人と合流し、みんなでご飯を食べる。不思議なことだけど、東京で会うより地方で会った方が心理的距離が近く感じるっていうのは本当にある。ずいぶん話し込んでしまい見る予定だったライブをだいぶ見逃してしまったけど、たまにはいいよねこういうのも。
流石にBRAHMANを見逃すわけにはいかないので陸奥ステージへ。BRAHMANのライブを東北で見るのは大船渡でのイベント以来6年ぶりだ。セットリストは普段と変わらずだったけれど、"露命"や"鼎の問"はこの東北で聴くと聞こえ方が全然違う。
TOSHI-LOW「調子狂うよ。予定通りいかない。」
昨年のBRAHMANの出番時には大雪、その前の年は開催予定が急遽中止になりオンラインライブへの切り替え、そして今年ようやく予定通り開催できると思ったらThe Birthdayがキャンセルになりチバさんがいないと。でも予定通りにいっていたらバンドどころか歌うこともやめていたし、東北の人たちにも出会っていなかったと。BRAHMANのライブ中、周りからすすり泣く声が聞こえてくる。2011年から12年間、今も変わらず東北に来続けているBRAHMANと東北の間には、他の土地に住む外野には絶対にわかりえない繋がりがあるんだというのが痛いほど伝わってきた。最後、チバさんへと"満月の夕"を歌った。この曲も阪神淡路大震災がなければ生まれていなったかもしれない。
そしてELLEGARDEN。昨年のLost Songs Tourからアルバムツアーまで全てのチケットに外れまくっているためライブを見るのは久しぶり。そして何よりダイブやモッシュのできるライブに至ってはコロナ前以来3年以上ぶり。懸念がないと言えば嘘になるけれど、自分の大好きな曲に全身どっぷり浸かって体全部使って楽しめる場所はやっぱりライブしかない(ただし人に迷惑にならない範囲で楽しもう)。アンコールではエルレによるThe Birthday"涙がこぼれそう”のカバー。「チバさん待ってるぞー!!」と叫ぶ細美さんとバンドから、チバさんとThe Birthdayへのリスペクトをヒシヒシと感じた。
BRAHMANもエルレも、チバさんが病気になっていなくて、The Birhdayの出演がキャンセルになってなければどんなライブをしてたんだろうか。震災がなければ、目の前の景色は全く違うものになっていたんだろうか。悲しいことが沢山起きて、今振り返ってもそれが良いことだったとはとても言えないけど、けれど起こってしまったことにどう向き合うか、そしてどう生きていくか。問われているのは常にそんなことな気がする。
その後のストレイテナーとACIDMANのライブでは2組とも坂本龍一さんへと、それぞれに曲を演っていた。特にこの日のストレイテナーは瞬間最大風速ではエルレを超えるぐらい良かった。"Melodic Storm"なんて何十回聴いてるかわからないのに、今日も込み上げるものがあって危うく涙がこぼれそうになった。Silver Lining Tourの東京公演も武道館も仕事で行けないのが確定しており散々だが、地方でもいいからどこか行きたい。
帰りは朝会った夫婦の車に乗せてもらい仙台市内へ行き餃子を食べる。2人の旅行を邪魔しちゃってるようで申し訳ないけど、一人でいると色々考えてしまうので誰かといれるのがホントありがたい。餃子屋でも失恋話を聞いてもらう(マジでお前何回目だよ)。知り合って結構長い期間が経つが、こんな風にがっつりこの2人と話をするのは実は初めてだった。そう思ってるのが自分だけだったらどうしようとか、なんか自分がその人との関係にすごい自信があるやつみたいで傲慢だなと考えてしまって自分から誰かのことを「友達」と言うことにすごい抵抗があったけど、超今更ではあるがこの2人のことは友達と呼ばせてもらいたいと思った(そう思っているのが自分だけだったらそれはマジ調子こきましたすみません)。
■某日
1日だけ参加予定のはずが2日目も急遽参加が決まり、アラバキ2日目の会場に向かうべく早起き。体がバキバキで疲労しか感じず、おまけに顔は日焼けで鼻が赤くなっておりボロボロの状態。そしてこの日も行きは友達夫婦の車に乗せてもらう。感謝カンゲキ雨嵐。会場ではささやかすぎる御礼として玉こんにゃくと生ビールを献上する。2人は来年結婚式を挙げるらしい。おれは普段世界中の人間が幸せになってほしいと願っておきながら「私たち今世界で一番幸せです」というツラをしたカップルに悪態をつくような人間だが、この2人の結婚は心からおめでとうという気持ちになれた。おれの結婚式のためにエルレの"チーズケーキファクトリー"を残しておくと言ってくれたけど使う予定がマジでないから、是非結婚式では"チーズケーキファクトリー”を流してほしい。
2日目は初日よりもぐっと気温が下がり少し寒いぐらいで、1日目と完全に恰好を間違えてる。初めて行くフェスはこの服装問題がむずい。
2日目の個人的ベストはハンバート ハンバート。それが県民性の問題なのかシーンの問題なのかはわからないが、東北ではロックバンドの方が人気がある。このアラバキもメインステージはほぼロックバンドで、その中でハンバート ハンバートのようなアーティストのステージは少し異質で、流れる時間が違うように感じる。ギターとボーカルのミニマルな編成で、歌とギターの音色だけが響く。優しくて、寄り添うような、空気と自分を調和させるような音楽で、ずっとこのままでいたいなと思ってしまう。
ただ"どこにいてもおなじさ"を聴いた時、余りにも良い曲で、そして元彼女へのおれの気持ちはまさにこれだったよと考えてしまい死ぬかと思った(これあと1か月ぐらいはやってると思うが勘弁してくれ)。
帰りの新幹線の時間があるため早めに会場を後にする。初めてアラバキに参加して、その土地とフェスの持つ歴史や文脈があって、バンドにもストーリーがあって、そしてもちろんそれは参加するファンの人も同じで、それらが一カ所で交差することでドラマやマジックが起きるのがフェスなんだと思った。東北で聴くこと、今のこの自分の状況でその曲を聴くこと、そこに意味がある。ロッキンみたいに快適さや合理性に全振りするわけじゃなくて、でも自らここにやってくる人のことは全力で迎えてくれるようなちょっとシャイなフェス。また好きなフェスが一つできた。もう東京ではとうに見れない桜もアラバキだと見れるんだよ。また必ず来たい。
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この1週間は彼女に振られたダメージを引きずりふとした時に彼女のことを思い出してゲボ吐きそうになったり、すごい久しぶりの人含め沢山の人に会ったり、同じ曲でも今までと聞こえ方が全然変わるような体験があったり、この1年どころか人生でもハイライトに残るようなライブに参加したりと、とにかく濃い1週間だった。
昔「ロマンチストだね」と言われたことがある。おれの想像するロマンチストはもっとドラマチックでキザなものだったけど、言われてみればそうかもしれない。おれは自分の身に起こることに〈意味がある〉と捉えるから。何かが起こった時、ある音楽や映画や漫画のことを思い出して「あれはこれのことだったんだな」と一人でよく腑に落ちるし、だからブログを書く時も自然とその時のフィーリングに合う作品のことが自然と浮かんできて、それになぞらえて書いてしまう。これはただのこじつけで、自分の身に起こること全てに意味はなくて、ただ自分は死んでいくことだけが確定した人生を無作為に生きているだけの可能性は大いにある。でも自分は全てのことに意味があると思ってしまうし、その内のいくつかを運命のようなものとも信じているし、そう思っていたい、という願望の裏返しでもある。だから自分の性格はネガティブだと思っているけど、人には意外とポジティブと言われるんだろう。
この1週間、頭の中で鳴っていたのはこの曲だった。
やせ我慢と空元気でなんとか前を向こうとするけど、人生で一番好きになった人にフラれたダメージというのはやっぱりそう簡単には癒えてはくれない。何のために生きるのかをもっかい考えないといけなくて、そしてそれはまだ見つかってはいない。人生は予定通りいっちゃくれない。でも予定通りいかなかったから、今ここにいる。この1週間の間に自分の身に起こったことは彼女にフラれたから起きたこととも言える。彼女と別れたことが良かったことだなんておれは死んでも思わないけど、けれど起こってしまったことにどう向き合うか、そしてどう生きていくか。問われているのはそういうことだ。
「目標をもって生きていくことももちろん良いと思うけど、そういうゴールがなくても、生きていたらやりたいことは出てくるよ。」
ほんとその通りだと思う。この1週間だけでも、したいこと、行きたい場所、また会いたい人、沢山あるって気づいた。そうやって一つ一つを拾い集めてやっていくしかない。この先に何が待っているのかは分からない。けど、
生きていれば やりたいことがきっとまたでてくるから
生きている限り また会えるから
だから君はただ諦めず 息をし続けろ