22│10│Being Funny in a Foreign Language

■某日
 仕事で幕張に行く用事があり、帰りに会社の人たちとコストコに行くことに。人生初コストコ。話で聞いていた通りあらゆるものの容量が多い。ちょくちょく欲しいものを発見するものの、「これ一人暮らしにはいらないな...」と結局は諦めることを繰り返す。そもそもコストコに1人で来てるような人はほぼいなくて、家族連れやカップル、友だちなど複数で来ている人がほとんど。自分は「これもうちょっと量少なかったらな」と思うが、コストコ側は自分のような人間はそもそもお呼びではないだろう。帰りの車中で人生初コストコの感想を「自分みたいな人間が来る場所ではないんだなって思いました」と言ったら全員からネガティブだなとツッコまれ、自分ってやっぱネガティブな人間なんだなと再認識した。せっかくだからとコストコで買った寿司、家で一人で食べてたらやっぱりちょっと量多くて、少し無理をして食べ切った。

◼︎某日
 ダウ90000の新作演劇公演『いちおう捨てるけどとっておく』を見る。新宿シアタートップスには初めて来たけど、まさか太古の昔マッチングアプリで知り合った女性と新宿でご飯食べる際に使っていた韓国料理屋の上にあるとは。客入れBGMでKANA-BOONの"盛者必衰の理、お断り"が流れていて、こういう邦ロックとこのぐらいの規模のこのジャンルの劇場の不思議な相性の良さを感じる。客席を見渡すとお笑い評論家みたいな雰囲気の一般人が8割ぐらいを占めていた(ド偏見)。
 ダウの新作はセリフと設定のリアリティと精度の高さが相変わらず凄くてめちゃくちゃおもしろかった。実際には経験していないのに、なぜかその感覚すげぇわかると脳みそが錯覚起こすレベルの共感度。
 あとそこにいない人間をネタにして、欠席裁判的にその場にいる人間でその人をちょっと小馬鹿にするような笑いが年々苦手になっていて、このダウの舞台にもその種の笑いの取り方が出てきたけれど、ダウの場合は劇中のキャラに反論をさせたり、そのやり取り自体をメタ的に笑いにする部分があってそこに優しさを感じた。「人を傷つけない笑い」とか言われると冷めるけど、やっぱ優しいネタはいい。オチも救いがあってコントとしてだけでなく演劇としても後味の良い終わり方だった。おれはやっぱバッドエンドよりもハッピーエンドが見たい。あと夜パフェに入っているアルコールはマジでいらない。

 そういう意味で言うと最近やっていたオードリーが冠の特番「おるおるオードリー」は、ネタにされている側の人をただ揶揄しているような作りで、10年前なら多分そこまで気になってなかったんだろうけど、今見るとちょっとしんどいなと思ってしまった。「あちこちオードリー」のオンラインライブもかなりギリギリのラインではあるけど、若林の「逆ジョーカー」発言のような、ただ愚痴り合うだけで終わらない出口がその場の熱いやり取りから生まれるから救いがあるのかもしれない。愚痴りたい時はもちろんあるけど、その負のエネルギーをどう昇華させていくか。「逆ジョーカー」のキーホルダー買っておいてよかった。

■某日
 ダイヤモンドとフースーヤの2マンライブ『クレイジーダイヤモンド』をヨシモト∞ホールで見る。中身ゼロだけれどキレとリズムと語感とテンションで笑える最高にくだらないフースーヤが好きだ。劇場のコーナーは芸人同士の内輪ノリのような時間も多いけれど、劇場の客席で見ていると自分もその内輪に入っているような感覚になれて、本来の7割増しぐらいで笑える。だからその日のネタを改めて振り返ると「何があんなにおもしろかったんだ」となる。でもそんなネタで腹抱えて笑えるのが劇場の不思議であり魅力なんだと思う。『小学生の夏休みのような世界一ピュアな「セッ〇ス」で客席全員爆笑してた』って、今自分で思い返しても何があんなおもしろかったんだってなるもんな。
 ちなみにおれがこの日一番笑ったのは「ショート板東英二」。マジで記憶の片鱗を辿っても意味がわからない。

■某日
 THE 1975のニューアルバム『Being Funny in a Foreign Language』を聴く。3曲目の”Looking for Somebody (To Love)"を聴いた時点で、自分にとってこのアルバムはTHE 1975史上最高傑作のアルバムになると思った。"Part of the Band"のようなオルタナティブフォークへのチャレンジなどはあるが、よりアコースティックで洗練されたサウンドでありながら、歌メロはキャッチ―で1stアルバムに負けないぐらいポップ。すっきりしていて聴きやすく、それでいて心地よくなるぐらい成熟してる。
 2年前の前作『Notes On A Conditional Form』はアルバムというよりは長大でジャンルレスなプレイリストのような作品で、オープニングの"The 1975"でのグレタ・トゥーンベリのスピーチ→"People"での性急なアジテーションに始まり、ジェンダーギャップの是正や気候変動、ソーシャルメディアとオンライン上での生活など、当時の時勢や社会問題へのバンド(もしくはフロントマンのマシュー)の意識が反映されているように感じた。2年前の当時コロナ前に運よく彼らのワンマンをロンドンで見ることができた時も、その社会へのコンシャスな一面が、当時の時代のムードや自分のフィーリングにもハマって好きだったことを覚えている。
 ただ今作はそういった現代社会への態度よりも、「真実の愛はあるのか?」という"愛"という一つのテーマにフォーカスされ、曲数も前作の23曲から11曲へとそぎ落とされている。そしてちょうど自分も失恋ほやほやなこともあり、今作のムードが自分のフィーリングががっちりとハマった。歌詞もかつてないほどストレート。全曲おれの気持ちを歌ってくれてるみたいだ。今『Notes On A Conditional Form』を聴き返すと、2年前の2020年のムードが切り取られているように感じるけれど、おそらく今作の『Being Funny in a Foreign Language』は、時代を超えて何年後に聴いても、その時の自分のフィーリングに合致する普遍的な作品になると思う。

I wanna get it right this time
今度こそちゃんとやりたいんだ

 今作で一番好きな曲。全てが美しい。
 
 前に「"I’m in Love With You"を好きな人の隣で聴きたい」みたいなこと書いた気がして、相手もいないのに来日公演の横浜のチケット1日分2枚押さえてるんだけどこれを渡す人は現れんのかな。まあ現れても現れなくても、どっちに転んでもライブはめちゃくちゃ感動できると思う。これは"愛"のアルバムだから。結局全人類にとって普遍的なものの一つが"愛"と定義される何かだという事実には逆らえない。