23│05│韓国旅行記3日目
■某日
朝7時に目を覚ます。今日こそ行きたかったカフェに行ってやるんだ。という気持ちとは裏腹に、昨晩のお酒とご飯がまだ胃の中に残っているのを感じる。コンディションは100点満点中40点。果たしてこの状態でカフェに行って楽しめるのか?というかマジで眠いし疲れてる。しかも外は生憎の雨。少しだけ悩んで、悩んだ時点で答えは決まっていて、昨日のパン屋で買っていたあずきぱんを食べて二度寝することにする。ただ二度寝と言っても国立現代美術館にオープンから行く予定だったので大して眠れず。パフォーマンスの悪い男こと私。
国立現代美術館に行く前に景福宮寄る。1395年に建設された朝鮮王朝の王宮らしい。いやーマジで興味湧かない。しかしこれはきっと自分の勉強不足のせい。小学生の時に遠足で行った奈良の東大寺のおもしろさがわからなかったのが、大人になって行ったらかなりおもしろかったように、きっと楽しむためには楽しむための準備が必要。歴史や背景の知識がなければ王宮を見ても「へぇー」と思うしかない。まあ次に韓国来た時にまた来たいかと聞かれたら多分行かないけど。
景福宮を早々に去り徒歩5分ほどで国立近代美術館へ。チケットを買おうとカウンターに行くと「今日はフリーなのよ」と無料でチケットをもらう。どういうなに。しかしこの旅行中の数少ないラッキー。
『Only the Young: Experimental Art in Korea, 1960s–1970s』を見る。DDPデザインプラザでは1960年代のイギリスのポップアートを見たが、こちらは同年代の韓国のアーティストの展示。いくつかのテーマごとにセクションが分かれているという点で展示方法も似ている。しかし前者がカラフルである種のインスタ映えも意識したような展示だったのに対し、こちらのムードはもう少しシリアス。1960年代というのは経済成長を伴いながら急速に価値観が変容していった時代で、この展示でも社会通念や伝統的な価値観、権力やパブリックなものをテーマにした作品が多い印象。生きるとは闘うことであり、アートは一つの生き方(闘い方)だ。
アーティストでも活動家でもない市井の自分の闘い方ってのはなんなんだろうか。家族に感謝を伝えるとか、仕事をもっと頑張るとか、友達を大切にするとか、好きな人を自分の100%で愛するとか、少しでも理想の自分に近づくために努力を続けるとか、そういう日常に水をやるような、一つ一つ石を積んでいくような毎日を生きることが自分にとっての闘いな気がする。
とはいえ『戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。』という吉田健一の言葉のような思想を鵜呑みにもしたくない。日々の生活で手一杯だよ。でもこの生活は社会の中にあって、社会が変わってしまったら生活も変わってしまう。だからおれは社会も良くしたい。そして社会っていうのは隣にいる人のことでもある。自分の行いが誰かに良い影響を与えられるなんて烏滸がましくて思えないが、そうなれたらいいなとは願っている。自分のために生きることが誰かのためにもなるような、そんな人間になりたい。
一つ言えることは、この世に神様はいなくても、自分のことを見ている人は必ずいるということだ。そしてこの闘いは死ぬまで終わらない。
もう半分のギャラリースペースではゲームをテーマにした展示が行われていた。ゲーム空間を二次元のコミュニティとして、社会空間の一つの代替えとして捉えるのはすごく社会学っぽい。ただ今のゲームはおれには難しすぎる。後輩とswitchのマリオカートやった時にswitchでは1勝もできなかったけどスーファミモードでは後輩をボコボコにするようなアナログ人間なんだおれは。
美術館を後にし雨も強まる中、フェイシャルエステを受けに明洞エリアへ。韓国と言えば美容、ということでせっかくならマッサージやらエステやら何か受けてみたいと思い事前にフェイシャルエステを予約した。ノリ。人生にはノリが必要。
施術の前に面談を受ける。日本に住んでたこともあるという日本語堪能な韓国人女性。おそらくこのクリニックにくるお客さんの10割日本人。まずはお茶でも、と飲む人の体調によって味が変わる(らしい)漢方五味子茶というお茶もらう。自分が飲んだ時はベリーのような甘い味がした。甘い味がする人は膵臓機能が低下し、老廃物が溜まっているらしい。多分これ何言われても「そうなんですねー」って納得する気しかしない。そしてすかさず「このクリニックでも販売していて60袋90,000ウォンで買えますよ」と営業を受ける。恐ろしくスムーズな営業、オレでなきゃ買ってしまうね(全然買っていい)。でも良いお土産にはなりそう。
今回はスタンダードなフェイシャルエステのみを予約していたが、その場でレーザー治療の提案を受ける。『女性はたるみ、男性は毛穴のケアが重要なんですよ。』という言葉の説得力すごい。『日本だと8万円ぐらいするんですが、今日ならフェイシャルエステとセットで3万7,000円で受けれますよ』。いや、マジ絶妙。元々受けるつもりだったらアリな金額だが、急に言われて受けるには絶妙に微妙な金額。そして本当に日本だと8万ぐらいかかるのか全く分からん。ただ感覚としては韓国の物価が上がっているとはいえ、こういう美容施術に関してはまだ韓国で受けた方が安いんだろうなという気はした。ノリが大事といいつつそこまでノリの良くない人間なのでおとなしく最初に予約していたコースのみを受けることにする。ただ次に韓国来たときはレーザー治療とかポテンツァあたり受けてみたい。というか丸一日美容DAYとか健康DAYにして過ごしたい。人生にはノリが必要なので。
施術は大体1時間ぐらいだったと思うがほぼ寝ていて記憶がない。唯一覚えているのは施術が終わった後、整体受けた後の好転反応のような半端ないダルさを感じてスタッフの人に背中押してもらわなければ起きれないぐらい、泥のように体が重かったこと。疲れすぎだろ。
この旅行ではできるだけ韓国っぽいものが食べたかったので、明洞から西村方面に行き参鶏湯屋へ。ここは観光客にも有名なところで1人でも入れると聞いていたので安心して列に並ぶ。クレジットカードも問題なし。観光客多いとこに行くのはつまらないと逆張りしそうになるが、こういうとこの安心感あるのありがたい。
お次は土俗村から5本ほど歩き0fr. Séoulへ。パリにあるという本屋「0fr.(オーエフアール)のソウル支店。中はお洒落なポストカードにトートバッグ、雑貨、洋書が並び、このエリア一帯で断トツにこのお店だけ人が多い。そしてほぼ9割女性。おそらく2階にmirabelleという雑貨屋も入っているのでセットで見に来人も多いんだろう。確かに野郎向けというよりは女性のセンスに合うようなセレクトのアイテムが多いので、女性が来た方が楽しめるかも。トートバッグを買おうか迷うも、もうバッグ持ってるしなという謎の理性が働き記念にポストカードだけ購入。
その後は南下して昨日行けなかった美術館と靴屋のために再び龍山へ。改札を出る瞬間にT-moneyカードがエラーを起こし改札が通れなくなり絶望レベル10になる。自力ではどうにもしようがないのがわかるが日本のように駅員が常駐している窓口はない。備え付けのインターホンに「エラーが出て通れないんだ。助けてくれ。」と絶叫し通してもらう。君は知っているか?help meって素直に言うのはちょっと勇気がいることを。
龍山では行きたかったアモーレパシフィック美術館へ。ここはアモーレパシフィックというinisfreeなどを取り扱うコスメ企業の本社ビル内にあり、元はこの会社の創業者のコレクションを展示していた美術館だったらしい。世界には日の目を見ずに個人の所蔵品としてのみ愛されている美術品が沢山あるとは思うが、天王洲の「WHAT MUSEUM」やロサンゼルスの「The Broad」のように、こうして一般庶民にもオープンにしてもらえるのは大変ありがたい。
今回の展示は美術館の所蔵作品のコレクション。割と新しい美術館だからか、2000年以降の近代の写真やモダンアートがメインの展示だった。入り口で警備員の人に何か話しかけられるも当然わからず。「韓国語わかんないんだよね」と英語で言うと何かを諦めたようにそのまま通された。諦めてんじゃねぇ!!
美術館を出た後は徒歩でIYSOのショールーム店へ。韓国に来て一番買いたかったスニーカーで実際に試着するチャンスを狙っていた。雨の中を足早に店に向かう。明確な目的地に向かっている時には雨の中でだって足取りは軽い。しかしもう着いてるはずなんだが、それらしい店が見つからない。何度かマップの示すポイントを通り過ぎる。ふと雨宿りしている人の沢山いる明かりのついていない店舗を覗くと、そこが目的地のIYSOのショールーム店だった。電気の消えたISYOの軒先では雨宿りしている人が8人ほどいて、この無残な敗北の瞬間を写真に収めることも躊躇われたので「いや、別にISYOに来たわけじゃないんで。たまたま近く通ったから覗いてみただけなんで」面(ヅラ)でその場を去る。そんなことある?この日が韓国の祝日だったからか、それか数日後に始まったサンプルセールの準備のためだったか、理由はわからないがとにかく閉まっている。この旅一番の「なんそれ!」を心の中のZAZYが叫ぶ。この旅行中何度も行きたかった店にフラれ続けているが一番ショック。まあそもそも元カノにフラれて一人で始まったこの旅行なのでフラれるのは今に始まったことではないのですがはっはっは(自殺)。
メンタルと体力が限界を超えていてマジで無理になったので一刻も早くカフェに行って糖分を過剰に摂取したい。夜は知り合いの人と東大門エリアで会う予定があったので、ホテル方面に戻る途中SEOUL COFFEEに寄る。あんバターの有名なお店らしいが、おれはどうしてもここのきなこティラミスが食べたかった。ティラミスのスポンジの部分が水分を吸ってべちゃっとしているのが嫌なのだが、このティラミスはスポンジの柔らかさをキープしたまま、きなこの味が生クリームと混じりつつも存分に感じられ、疲れ切った身体に染み込む甘みはこの旅行で一番と言っていいぐらいの感動があった。これは日本でも物理的には作れるはずなのでマジでどっかのカフェでもメニューに入れてほしい。週一で食べる。韓国っぽいもの食べたいって言って食べてきたけど、結局美味しいのは自分の好きなものだわ。
20時、知り合いの人とポッサムを食べるために東大門エリアで落ち合う。古着屋をやっている人で、たまたまこのタイミングで服の買い付けのために韓国に来ていたよう。この人とも知り合ってから8年?9年?ぐらい経っているけどこうやってゆっくり話すのは初めてかもしれない。仕事の話、プライベートの話、こういう場でしか話せないこと、色々ある。パッと見は自分と全然違うタイプの人に見えるけど、結構似てるとこある気がする。おれには韓国のカラオケバーに一人で突撃してOasis歌う根性は絶対にないけど。しかし韓国に3泊の旅行に来て3人も別々の知り合いの人に会えるなんておれはめちゃくちゃ運がいい。
閉店時間まで店で過ごした後、この日は弘大のクラブに行くつもりだったのだが、その人も一緒に行ってくれることに。おれは日本ではクラブに一人で行ってフロアで音楽聴きながらずっとTwitterに勤しむタイプの人間なので、初めての韓国のクラブに一緒に行ってもらえるのはめちゃくちゃ心強い。
23時過ぎ、弘大に着く。駅に向かう人波に逆走する形でクラブエリアへ向かう。雨のため人がどのくらいいるか不安ではあったもののそれなりに賑わっていそう。韓国のクラブは入場料がフリーの箱も多いので色々回ってみようと、まずはSabotageという箱に入る。
ここが韓国のクラブかーとあたりを見渡すも閑散とした店内。客は男しかいない。音楽を聴いているようにも見えず、仲間内で溜まって談笑している。全く盛り上がっていない。なんだかおれはこの空気を知っている。これは女子と喋りたいけど喋れない男たちが「やっぱ女といるより男といた方が楽しいよなww」と逆張りでツルむ男ノリのあれ(偏見)。隅で固まって、中央をチラチラと伺いながら「あっち側にはなれないすからおれたち」と最初から牽制球投げて斜めから物事見ることでちっぽけなプライドを守ろうとするあれ(偏見)。別に女の子をナンパしに行けとは言わないが、わざわざ雨の土曜日にスカスカのクラブにきて音楽聴くわけでもなくただいつもの連れと固まって酒飲むだけでお前ら本当にいいのか?目を覚ませよ!(ここまで全部偏見)
ここにいたら男子校時代のおれに戻ってしまうと、5分でSabotageを去り次の箱へ。事前に調べて行きたかったTHE HENZ CLUBという箱が近くにあったので向かう。ネットで調べた外観が見当たらずに少し迷うも、よく見ると
外看板が変わっていた。鵜呑みにするなインターネット。入場まで少し並ぶ。並んでいるお客さんを見ると、他の箱の前で待っているお客さんとは少し雰囲気が違う。FNMNL読んでそうな感じの客層。THE HENZ CLUBは日本のKID FRESINOやゆるふわギャングもライブをしたことがあるようなヒップホップ箱として有名なクラブで、お客さんもおそらくヒップホップ好きが多いんだろう。日本も韓国もヒップホップ聴く客は服も雰囲気もなんかイケてる感じがする。そして女の子が全員かわいい。ヒップホップは神。ここではチャージ10,000ウォンがかかるが、1,000円ちょいでドリンクチケットももらえるなら無茶苦茶安い。
ドリンクチケットで頼める飲み物は種類が決まっていたが全部見たことないメニューだったので、そんなアルコール強くないだろという山勘でレモンドロップというお酒を頼む。試験管のような細長いグラスに黄色い液体が注がれ、縁にはソルティドッグのように塩がまぶされている。量が少ない=めちゃくちゃ酒強い(偏見)。完全に失敗したかもしれない。ただ意外にも飲み口は爽やかでレモンの酸味と塩の甘みもしてジュースみたいでだいぶおいしい。その後行く全てのクラブでおれはレモンドロップしか頼まないこととする。(レモンドロップはウォッカベースのカクテルらしく、調子こいて飲んだら多分めちゃくちゃ酔う)。ここは先ほどのSabotageと違い人も多く、男女比は7:3ぐらいで男性が少し多い。フロアの大半はDJブースに向かいみんな音楽を聴いている様子。かかっている曲もチャラいEDMではなくR&Bやソウル、洋楽や韓国のヒップホップが多くかなりイケてて、客のノリも良くちゃんと曲聴いて盛り上がってる。めちゃくちゃ楽しい。そして女の子は全員かわいい。ヒップホップは神。もう朝までここでいい。
しかしまだまだ時間は1時過ぎ。せっかくだから他のクラブも行ってみようと一旦出ることに。韓国のクラブは一度入れば基本再入場いつでもOKなので、入場料が無料の箱が多いのと相まってクラブ巡りがしやすい。ピークタイムでもあるからか、雨にも関わらず通りにも人がかなり多くなってきた。一回めちゃくちゃチャラい箱行きたいですね、と3軒目はMADEという箱へ。ここでも入場のために少し並ぶ。並びができている箱は人気があって人も多いので概ね盛り上がっていそう。逆に客引きがいて、待ちもゼロの箱に入るのは結構なギャンブルな気がする。
MADEのフロアは今回行ったクラブで一番チャラかった。フロア内には一段上がったよくわからないお立ち台があり、通路には謎の紙が散乱している。ガンガンのEDMがかかる中、音楽は大して聴いてないだろう男女が踊っている。連れの人が一度お立ち台に上がってみるも、既に上に登っていた男性とその仲間にやんわり下ろされる。システムわからん。しばらくすると、ウェイターのような恰好をした男性スタッフが電飾で光る「MADE」と書かれた看板を持ち、その後ろをコスプレした美女4人が花火のような火花を噴き出す瓶を頭上に掲げながらフロアを練り歩き始めた。又吉の書いた『火花』とは違う"火花"がソウルにはある。最後の花火に今年もなったな。システムがわからないし音楽もよくわからん。連れの人は女の子との接触イベントが発生しているが、おれにそんな甲斐性があればこんな人生は送っていない。一通りチャラいバイブスを感じてお腹いっぱい。もう一つロック系の箱として有名なFFというクラブに移動する。
FFとその上にある箱にはなぜか海外のお客さんが異様に並んでいる。かかる音楽のセレクトの問題か、ガイドブックにでも載っているのか。案内も英語メインで書かれていて、これまで行った3つの箱とまた全然雰囲気違う。
FFのフロアはとにかくずっと洋楽がかかっている。Bruno Marsでブチ上がり、Coldplayで叫ぶ。ここならOasisの”Don't Look Back in Anger”かかっても全員リアムギャラガーよろしく大合唱いけますよ。この箱は「Emo Night」と称してマイケミやパラモア、ブリンクにBMTHばっかかける日もあるらしい。絶対楽しいじゃん。アラサー以上しか喜ばなそうなラインナップではあるが。客席もナンパ目的というよりはみんな音楽聴いてノッてるのと、あと海外の人と交流したそうなお客さんが多そうで雰囲気よかった。
もう1軒どっか行ってみますか、と看板が派手そうなクラブに行ってみる。名前はわからないが列できてるし人も多いだろうと思うも、よく見ると男性レーンと女性レーンで分かれている。女性客が少ないのか、女性が来るとファストパスのようにそれまで並んでいる男をごぼう抜きにして箱の中に消えていく。こいつは暗雲立ち込めてる。けれどせっかくならどんな箱か入ってみたい。30分ほど並び、いよいよ身分証確認まで来た。パスポートを見せる。スタッフがなんか言ってくる。韓国語わかんないんだというと、まだ韓国語で何か言っている。とりあえずすんなりは入れなさそう。もう一度すまん、韓国語わからないと言うと『Age limit 29!』と聞こえた。…What?『Age limit 29』。どうやらこれは29歳以下しか入れないってことらしい。おれも連れの人も30 overだったので、二人して門前払い。「なんそれ」と心の中のZAZYが呆然としている。韓国のクラブはドレスコードや身長、厳しいところでは顔判定で弾かれることもあると聞いていたが、ここで年齢制限で弾かれるとは。ドレスコードやなんなら顔も努力と気合とお金でなんとかできるが、年齢という不可逆なものでハードル設けられてるの人生過ぎる。
一旦マイホームTHE HENZ CLUBに戻りひとしきり楽しむ。時刻は4時近い。ピークタイムは列がかなり長く入れなそうだったYGが運営するというnb2も列がなくなっていたので、最後はそこに行ってみることに。
着いたのは4時過ぎとピークタイムは過ぎていたのでメインの時間帯でどんな音楽がかかってるかはわからないが、この時間帯はK-POPもかなり多くかかっていた。韓国のクラブのサウンドシステムで聴くNewJeansやLE SSERAFIMは低音の鳴りが違う。お客さんもK-POPファン多そうでノリも良く、ここもかなり楽しかった。”ANTIFRAGILE”でブチ上がっていると、いきなり肩を組まれる。横を見ると韓国人の男性。盛り上がった勢いで肩組む的なノリか?とも思うが、なんか様子が違うっぽい。もう一度横をみる。めっちゃ見てくる。昔カナダのフェスでDescendentsを見てる時に白人のおじさんにキスされそうになった記憶がフラッシュバックする。女性をナンパもできないのに男性に逆ナンされるのはいくらおれが拗らせていても捻じれがイカツすぎる。自分のナチュラルノリ悪いの29倍ぐらい過剰にテンション低い雰囲気を出して難を逃れる。難もうええて。
時間はもうすぐ6時近い。そろそろ帰りますかと2人して外に出ると空もだいぶ明るくなっていた。半端ない疲労と、韓国のクラブを結構楽しんだんじゃないかという心地いい達成感を感じながら知り合いの人と別れる。韓国のクラブのナンパを目の当たりにし、おれたちは少しだけナンパに近づいた。人間にとっては小さな一歩だが 人類にとっては偉大な一歩だ。まあおれがクラブで女性をナンパする日が来たとしたら、それはもうおれではないという気もするが。
ホテルに着いたのは6時頃。今日は帰国日で昼には空港に着いてないといけない。ワンチャン空港前にカフェ行けるか?と一瞬考えるも、なんでこんなに生き急いでいるんだろうなとふと我に返る。流石に22時間動き回ったら疲れるに決まってる。体に少し馴染んできたベッドに飛び込み、気が付くと意識を失っていた。
23│05│韓国旅行記2日目
■某日
旅行に来たからには朝から動かないともったいないという貧乏根性に支配されているので朝7時に目覚ましをかけるも無事二度寝。美術館の前にカフェに行くつもりがスタートでつまずく。お目当ての安国の8時オープンのカフェに9時頃に着くも既に長蛇の列。近場のもう1軒を覗いてみるもこちらは更に長い列ができており敗北を悟る。そもそもおれのような韓国ビギナーがネットで調べて行ってみたいと思うようなカフェは他の観光客も目を付けてるに決まってる。安国はカフェが多いのでその2店舗にこだわらなければ雰囲気の良さそうなカフェは見つかりそうな感じはしたが、予約した美術館の入場時間も迫っており、壁の外から帰ってきた調査兵団(成果が無かった時の例えが進撃の巨人しかない人)の気持ちになりながら、安国に後ろ髪を引かれつつ梨泰院エリアへと向かう。
梨泰院エリアの漢江鎮駅から徒歩7分ほど、坂を少し上がっていくとリウム美術館が見えてくる。写真のイメージだともっと広い敷地を勝手にイメージしてたけど、実際は狭い坂道に面する形で突如現れる。
10時のオープンのタイミングに合わせて来たのでまだ人もまばら。現在リウム美術館の全ての展示は完全予約制で、ホームページでログインをして事前に予約したチケットのQRコードを表示させなければならない(後半は当日知る)。今回見れたのは常設展の「Traditional Korean Art」と期間限定の「Maurizio Cattelan WE 」の2つ。本当はもう一つの常設展の「Modern and Contemporary Art」の方もかなり見たかったが時間の関係で今回は断念。こちらはまたいつか韓国に来た時のための楽しみにしておく。なので韓国絶対また来るぜ。
最初に入ったのは「Traditional Korean Art」。韓国の伝統的な工芸品やウン百年前に書かれた屏風など、おそらく歴史資料として価値の高い陶磁器や絵画が並んでいる。ビックリするぐらい興味がもてない。工芸品に関してはその精巧な作りと美しい曲線の醸し出す品のような、上質な気配を味わったり、各作品の製造過程や由来から当時の時代背景みたいなものも見えてくるのだとは思うが、工芸品への関心が薄い上に、過去の生活様式や社会制度にもそこまで興味が持てないのだからそりゃリアクションも薄くなる。
途中階では「Strange Walkers」というVR作品のコーナーがあった。ゴーグルをつけた状態で区画内を歩くと星空の下の砂漠、ヨーロッパの難民、オーロラのような光の煌めきと画面が切り替わっていく。スペースの奥にはこの作品の基になったオリジナルの絵画もあり、ただ絵を見るだけでなくVRを使うことで自分がその絵の描かれた時代、その場にまさにいるような感覚を味わえる(というテーマの作品っぽい)。これはゴーグルかけた瞬間に「おぉー!」と声出たぐらいのアハ体験。個人的には京都の清水寺の胎内めぐりぐらい楽しかった(伝われ)。
美術館に行って、何百年前も前に作られた作品を目の当たりにする時、その作品を通じてその瞬間だけ、時間的な概念を超え、自分の意識も過去を巡れるような感覚はなんとなくわかる。それの没入体験バージョン。
ゴーグルを渡してくれたスタッフの人に日本人だと言うと、その人も英語が得意ではなかったみたいで、つたない英語同士のコミュニケーションでゴーグルを装着するだけで2分ぐらいお互いに格闘してしまった。「안경(眼鏡)」が何かわかってもそれをどうすればいいかわからない察しの悪い人間ですまん。更にゴーグルをつけてる間は他の人や壁にぶつからないように傍にスタッフの人がついてくれ(多分おれにだけずっと付いてくれてたっぽい)、「Turn Right」や「Stop!!(強め)」とずっとガイドしてくれた。そのままいっそこの難破船のようなおれの人生もガイドしてほしい。
次のフロアは仏像や宗教画が集められており、陶磁器や屏風よりはなんだか興味が持てた。おれは多分宗教には興味があるらしい。無宗教な自分にとってはそこまで実感はわかないが、宗教の与えている教育、生活習慣やカルチャー、人の思考への影響はめちゃくちゃデカい。これは割と残りの人生で勉強していきたい分野。
展示は1時間ほどで見終えたが次に予約しているカテラン展まで時間があるので、梨泰院で目星をつけていたお店で買い物でもしようかと駅方面に戻る。そして気づく。お気に入り登録していたいくつかのお店すべての開店時間がまだということに。「あんたバカぁ?」。という声が宮村優子ボイスで完全再現される。いや、おれはマジでバカなんだよ。調べてるようで調べきれてないというか、詰めが甘いというか。クソ真面目なくせにおおざっぱで抜けがある。かと言って梨泰院に限って行きたいカフェも特にない。このすさまじく半端な時間どうしてくれようかと悩むが悩んでいる時間がもったいない。意を決して「NICE WEATHER MARKET」のあるカロスキルへ向かう。
「NICE WEATHER MARKET」はお店の中で商品が更にカテゴリ別に分かれており、服や雑貨、食器からインテリアまで置いてある。置いてあるもののチョイスが絶妙なのとオリジナルアイテムがめちゃくちゃ可愛いくて、使う予定ゼロのアイテムもついつい買ってしまいそうになる。
しかしここでもクレジットカードが読み込まない事案が発生。ここまで連続して使えないとおれのクレカもう使えないのでは?という疑心暗鬼にもなる。しかしこのままクレカ使えなかったらマジでヤバイ。手持ちの日本円全部ウォンに変えたらいくらだ?あとLINE PAYに金入ってたら韓国の銀行でウォンで下ろせるって何かで見たな。それか最悪人に借りるか、などと資金繰りに脳みそをフル回転させる。地に足の着かない状態で次の目的地の「SOIL BAKER」へ向かうが、店舗の前に来ると工事により店は臨時休業中のよう。今日のおれはとことんツイてない気しかしない。結局「NICE WEATHER MARKET」を見ただけでまたすぐにリウム美術館にトンボ帰り。燃費の半端なく悪い中古車のような無駄ムーブ。
リウム美術館に戻り今回の韓国旅行で最も楽しみにしていたことの一つである「Maurizio Cattelan WE 」へ。カテランはバナナを壁にテープで止めただけの「Comedian」が有名だけれど、実際に生で個展を見るのは人生初。わかりやすいモチーフにブラックユーモアを込めた彫刻とインスタレーションはポップでいて挑発的。それが"何か"はわかるのに"どういうことか"は一見しただけではわからない。ただそのモチーフには意味があって、裏をかくようなユーモアとシリアスな問いがそこにはある。
おれが博物館に並ぶような工芸品にはそこまで興味が持てず、アートと呼ばれる類の芸術作品がすごく好きなのはそこに"意図"を読めこめるかどうかの違いなんじゃないか。壺や皿にはきっと意図のようなものはなくて、その時代の技術と、社会と、生活が宿っている(もちろんおれが勉強不足なだけの可能性は大いにある)。けれどアートはそれが視覚的な効果や錯視を狙った構図であれ、アーティストの抱える願望や内面の表現であれ、権力批判や社会通念に対するプロテストであれ、何かしら創作者の意図が込められている。その意図と、意図を表現するためのアウトプットとして彼らが選んだマテリアルとプロセス、そして完成した作品は常に自分の想像の範疇を超えていて、人間やべぇというか、人の想像力には限界がないんじゃないかってワクワクしてくる。そしてただ意図だけを伝えられるよりも、遠回りにも思えるがその作品を通すことで、よりその意図が雄弁に、クリアになる時もある。自分が中央揃え杓子定規タイプのクソつまらない人間な分、余計にそう思うんだろう。おれが人生を100回やっても思いつかないアプローチはそれに触れるだけでめちゃくちゃ刺激的だ。
アートを見る時、単に形が好きとか、タッチが好きとか、色が好きとか、なんかわかんないけど好きとか、そんなのでも好きの理由は十分だけど、自分の"好き"と作者の"意図"への驚嘆や感動がマッチしたらそれは大好きになる。きっと音楽もそう。メロディや歌詞やサウンドが好きな上に、アーティストのアティテュードにシンクロできたら、それはきっと特別になる。おれが人生で一番好きな絵はニューヨークで見たバーネット・ニューマンの《英雄にして崇高なる人》だし、人生で一番好きな音楽はELLEGARDENだよ。そしてそれには言語化可能な厳然たる理由がある。
展示室の1F~3Fまでカテラン作品が並ぶさまは圧巻で、ここで2時間弱ぐらい時間使ってしまったが大満足というかもう今日ええかという気分。流石にこの時間になれば梨泰院のショップもとっくにオープンしているので美術館を後にしぶらぶらとショッピングを楽しむ。明洞、弘大、聖水堂、梨泰院のあたりを回った感じショップは梨泰院エリアの雰囲気が一番好きだった。代官山っぽさ。
梨泰院を散策しているとLINEに一通のメッセージ入る。会社の同じ部署の女性からだ。たまたまおれと同じタイミングに旦那さんの仕事がてら、お子さんも一緒に家族で韓国にいるという話は聞いていたけど、少し時間ができたらしい。ちょうどのど渇いてカフェ行きたかった。彼女の泊まっているホテルからも近く、自分の行きたい場所でもあったので龍山で落ち合うことに。しかし冷静に考えると2人でちゃんと話したことはほぼない。ゆっくり話すのがいきなり韓国でって不思議だ。
息子さんを抱えながらエスカレーターを降りてきた彼女は会社で見る時とはマジで別人ってぐらいテンションが高くて少しビックリした。まあ職場でプライベートと同じ感じで過ごす人も少ないかもしれないが、にしてもギャップでかい。お子さん(仮名:ゆうとくん)もまだ小さいので、とりあえず近場のカフェに入る。
おそらく5年以上は同じ会社で働いていたはずだが、この5年間を一瞬で凌駕するぐらい色んな話を聞いた。会社の話、産休中の話、子どもができてどう変わったかの話。どれだけ長い時間を一緒に過ごすかよりも、どういう体験を共にして、どういう話を一緒にするかが、相手がどういう人かを知る上では大事らしい。当たり前か。彼女の子どものゆうとくん(仮)もすごい良い子で全然ぐずったりせず、おれに対しても一切人見知りせずに絡んできてくれた。自分にも子どもできたとしたらこういう感じになんのかなと、疑似家族体験をさせてもらう(するな)。むしろおれの方がゆうとくん(仮)に対して人見知りをバリバリに発揮していたので、傍から見ても夫婦や家族には見えなかったとは思うが。しかし子どもにも敬語で話してしまいそうになるが小さい子どもに人見知りをして敬語で話すのは教育上どうなんだろうな。
カフェの通りに行きたい雑貨屋があったので付いてきてもらったが移転したのか見つけられず(もうええて)。近場のHYBEのビルにまで付きあってもらう。ビル丸ごとHYBEの所有で"資本"をまざまざと見せつけられる。
その後は駅の方まで戻り三松パン屋へ。会社の人にオススメしてもらったコーンパンが有名なお店らしい。
その後は軽くショッピングセンターをぶらぶらとし、彼女は旦那さんたちとのご飯会へ、おれは別の知り合いの人と合流する予定だったのでここで別れる。特に何かをしたわけではなく、彼女といたのはほんの2~3時間程度だったが、会えてよかった。ここで会わなかったら多分今後もそんな交わる機会はなくて、まあそれでもお互いに困らないかもしれないけど、示し合わせたわけでもないのに偶然韓国で会えるなんてのは人生何が起きるかわからない。ホテルに戻る途中、目星をつけていたカフェに一瞬寄れるかなと思い立ち寄るも閉店30分前で入れず本日5敗目。予定組むの下手すぎて生きるのが辛い。
夜は7,8年ぶりの知り合いに会うために乙支路へ。韓国に行く数日前、たまたま彼女も韓国に来ていることを知りとんとん拍子で会うことに。その連絡からして数年ぶりだったのだが。お互い相手の顔を覚えてるか覚えてないかレベルのあやふやさだったが無事合流できタッカンマリ屋へ。彼女は韓国語がペラペラなので店員さんとのやりとりは全てお任せしてしまった。やっぱこうやって韓国語でコミュニケーションがとれるのはいいよな。3回始めて3回挫折してる韓国語の勉強、4度目の正直を誓う。
会社を辞めることが決まり、有給期間を使ってヨーロッパと東南アジアを回り、最終地の韓国にはタトゥーを彫りに来ていたという彼女の話はめちゃくちゃおもしろい。自分の人生で未だ一度も見たことのない景色ばかり。7年生きてればお互い色々あるはずだが、7年ぶりのギャップを埋めるよりもこの2週間の話を聞くだけで手いっぱいだ。
この乙支路のあたりは今かなりホットな場所らしく、2軒目へと向かう。
2軒目はお酒も手伝ってかよりガードの下がった話に。ここで自分の恥ずかしい話をしたところでそれをバカにする人はいない。普段の生活で、もっと言うとこれまでの人生で、おれはなにから自分を守りたくてあんなにガードを上げて生きていたのかと思う。結局は自分のちっぽけなプライドを守るために馬鹿にされたり笑われたくないと、自分のダメな部分を晒すことからずっと逃げていただけなんだが。確かに世の中には他人の足を引っ張ったり嘲ることをやめられない人もいるが、そうじゃない人も沢山いる。その人たちを信じて、自分のダメなとこや情けないとこも見せるのが信用なんだろう。仮に自分の持っているものが100だとして、その100を晒して足りないなら、その100を120や150にするための努力をするしかない。最近人間味が出てきたと言われたのは、この年にしてようやく、余りにも遅いが、自分のダメな部分やカッコ悪いところを無理して隠さないようにしているからかもしれない。おれの人生全てが遠回りにも程がある。
彼女と別れホテルに戻ったのは1時近く。おれのぎっしぎしに詰めたスケジュールは一つでもピースが欠けたら全部崩れるジェンガのよう。スケジュール通りには全くいかなかった。行きたかった展示や店、食べたかったもの、まだまだ沢山ある。まあそもそもこの旅行の始まりからして予定通りではないんだが。けれど予定通りではなかったから、今日あの2人に会えたんだな。この未来ははこの旅行が決まった時には一瞬たりとも想像できなかったことだ。旅なんてのは想像した通りにはいかないもので、しかし予定通りではないからこそ巡り合えるものがある。
初日から動き回って体はだいぶ疲れが溜まっているのかいやに重い。けれど、昨日よりは心はずいぶん軽くなった。
明日こそ7時に起きようと、きっとうまくいかないことがわかっていながら目覚ましをセットして、ベッドに突っ伏した。
23│05│韓国旅行記1日目
◼︎某日
前日も仕事があり、準備もまだ完璧に終わっていなかったので結局ベッドに入ったのは2時頃。その2時間後にはもう目を覚まし支度を済ませ、最寄り駅の始発電車に乗り込まなければいけない。睡眠不足待ったなし。が、ここ最近の自分のメンタルはジェットコースターのようで、3時や4時まで寝れないということもザラにあるので寝不足なのは今に始まったことではない。睡眠時間がどれだけ短くも絶対に遅刻をしたことがないのは数少ない自分の長所な気もするが。海外に行くのは3年前のロンドン振り。
韓国に行くのはおそらく28年振り。「韓国行くの初めて?」と聞かれ初めてと言うと嘘になるので28年ぶりと律義に答えていたが、ほぼ記憶なし。今回の韓国旅行は元々は付き合っていた彼女と行く予定で計画を立てていたのが、旅程の前月にフラれたために急遽一人で行くことになるという大マイナスからのスタート。こんなフィクションみたいなことが自分の身に起こるなんて思わなかったし絶対に人生に起こらなくていい。3泊4日の行程を全部ひとりで回る想定なんてもちろんしていなかったので、出発までの2週間ソウルのことを調べまくり、NAVERマップには行きたい店や場所をどんどん登録していき、その数は最終80カ所にもなった(結局この内行けたのは20あるかないかだったが)。
成田空港の国際線ターミナルでチェックインを行う。航空券は元々彼女の分と2枚取っており(この場合"元"彼女が正確だけど"Girlfriend"ではなく"She"という意味での彼女と書いているので彼女じゃないだろとか言わないでくれ)、キャンセルしてもお金が戻ってこないためそのままにしていたのだが、自動チェックイン機の画面に自分の名前と彼女の名前が表示された上に、搭乗券を発券しない彼女の名前部分がグレーアウトされておりメンタルに80,000のダメージを受ける。おまけにサポートで付いてくれたエアーのスタッフの人に「お一人ですか?」と自動チェックイン機とのコンボ攻撃を食らい心に159,000のダメージを負う。気づいて欲しい、言葉の持つ暴力性に。機内に乗り込み自分の隣の絶対に人の座ってくることのない空席という現実にトドメを刺され、おれの中の杏子が「もうやめて!とっくにライフはゼロよ!」と絶叫しながら、飛行機は日本を静かに離れていく。
成田空港からソウルまでは約2時間のフライト。おれの最寄駅から成田空港までかかる時間とほぼ変わらない。機内ではエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読む。内容の解像度が上がった部分と共感しがたい部分の境界が4,5年前に読んだ時よりもクリアになった感覚があるけど、これは絶対に今読む本ではない。
韓国・仁川空港には予定を少し遅れて到着。しかしここからが長い。まずコンコースからターミナル1への移動に始まり次に入国審査だが、平日にも関わらず入国審査の外国人旅行者レーンには長蛇の列ができており、全ての審査が完了し、荷物をピックアップし解放されるまで飛行機の着陸から1時間以上はゆうにかかった。
そして到着ゲートを抜けホテルへ向かうために駅の改札を目指すも、ここはもう韓国。全てハングルで書かれており(それはそう)その光景にビビる。韓国語は一応少しは勉強していたが、全部ハングルの情報量を前にするとおれの脳みその処理はハングルをただ読むことにさえも全く追いついてくれない。単語わからん!こわい!
ネットの情報を鵜呑みにしていたのでまずはT-moneyカードをコンビニで購入しないと。ただコンビニを遠巻きから見るもそれらしきものがわからず、かと言って店に入っていく心の準備がこっちはまだできていない。億劫さが勝ち、特に勝算もないのにいきなり駅の改札の方を目指してみる。すると改札のすぐ横にT-moneyカード専用自販機が置いてあった。自販機には観光客向けに補助のスタッフの人も付いてくれており自販機にて問題なくT-moneyカードを購入。サポートしてもらったので、入国後ファースト韓国語として「カンサハムニダ」とお礼を言うと『左の方の改札にそのカード当ててください』とめちゃくちゃ綺麗な日本語で返され、生まれてきた上に調子こいてすみませんという気持ちになる。
仁川空港駅からソウル市内までは普通電車で約1時間。ホテルは東大門のあたりだったので、弘大入口駅を経由して向かう。
市内に向かう電車の中、今回の旅行のために作ったプレイリストを流す。移動と音楽の相性の良さの不思議。電車の窓を流れる景色と、RMの"seoul"やHYUKOHの曲はめちゃくちゃマッチして、この旅で韓国のことをもっと知りたいという気持ちがふつふつと湧いてくる。
チェックイン時間前だったため一旦フロントにスーツケースを預け、昼食へ。この時点で時刻は14:30頃。成田空港を出発してから6時間が経過していた。
目指すソルロンタン屋はホテルから頑張れば歩ける距離だったため、東大門の街を散歩がてら向かう。気温は歩けば少し汗ばんでくる程度。この5月の時期だったからか、もしくは自分の思い込みかはわからないが、午後の太陽の光を浴びる東大門の街は、フィルターを通したようで、フィルムカメラで撮った写真のような色合いに映った。2010年代的なものと1980年代、90年代的なものが混在していて、そのギャップが東京よりも更に大きい。誰かがソウルを"哀愁のある街"と言っていたが、このフィルターのかかった新旧の混在する景色が、韓国カルチャーの持つ淡い色合いや独特のレトロ感のようなものに繋がっているような気がしなくもない。
韓国は一人でご飯屋に行くと断られることもあると聞いていたのでビビりながらソルロンタン屋に入ると、先客は2組のみのようでホッとした。1名であることを伝えるために人差し指を上げると、「一人なん見たらわかるは早よ入って適当に座れや」という意志を1秒で伝えてくる身振りと手ぶりで店内に誘導され洗礼を受ける。韓国の飲食店はこういう対応が珍しいことではないと聞いてはいたけど、疲労と緊張で肉体と精神が弱っているところにそれされると泣きますよ???席に着くとメニューと水を持ってきてくれたけど、多分メニューも勝手に取ってよかったっぽい。わかるかい!注文も席まで取りにきてはくれず、今年4番目ぐらいに声張ってソルロンタンを頼む。
家を出てからここまで約11時間。ようやくホッと一息付け肩の荷が下りたような気持になる。やはり慣れない海外は無意識に気を張っていて結構疲れてしまうらしい。席に座りボーッとしながら風を浴びていると、謎の達成感がでてきた。しかし会計時クレカが何度やっても読み込まれずめちゃくちゃ焦る。4度目のトライでなんとか成功。マジで不要なとこでヒヤヒヤさせないでくれ。
ホテルへの帰り道、DDPデザインプラザに寄り、展示スペースで行われている「デイヴィッド・ホックニー&ブリティッシュポップアート」へ。チケットを買い入場口でスタッフの人に見せると韓国語で何か言われるがもちろん分からず。「日本人なんだ」と韓国語で言うと「日本語わかんないんだよね」と英語で説明を受ける。どうやら写真撮影はOKだけどフラッシュは禁止、あと再入場できないよと説明していたらしい。韓国来る前は結構日本語通じるよなんて話をよく聞いたけど、やっぱ第二外国語としては英語の方がポピュラーな気はする。
この展示ではデイヴィッド・ホックニーを中心に1960年代のイギリスのポップアーティスト数名の作品をセクションごとに展示し、当時のイギリスの社会背景を辿っていく。自分の理念や社会への主張をポップアートという万人が楽しめるフォーマットに落としこんで表現するというのは現代でも変わらずアートやクリエイティブの持つ役割の一つだけど、1960年代は反権力や社会通念に対するプロテストとして、パーソナルなテーマよりも"公"に対してのアンチテーゼとしての作品が多い印象だった。
展示内の各作品のキャプションは韓国語と英語で書かれていたので、Papagoを使って韓国語を日本語に翻訳して読む。Papagoは画像を一瞬で翻訳してくれ(精度は不明)、韓国の美術館ではめちゃくちゃ重宝した。
ちなみにデイヴィッド・ホックニーの展示会は2023年7月15日から東京都現代美術館でもスタートする予定。日本で大規模個展をするのは28年ぶりらしい。行かなきゃね。
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/hockney/index.html
その後は一度ホテルに戻りチェックインをして休息をとる。海外でホテルの部屋にたどり着いた時の安堵感は異常。その砂漠の中のオアシスのような安らぎ空間の居心地の良さにずっとホテルの部屋にいたい気持ちになるも、老体にムチ打ち某所へ。去年失恋した時はバンジージャンプを飛び、そして今回の失恋ではソウルで某所に行くという謎ムーブ。やったことないことをすると自分がどういう人間かよりわかるというか、自分の輪郭が浮かび上がってくるのがおもしろい。某所に関してはもっかい行きたいかと言われたらだいぶ微妙だけど。
ホテルの近くに戻ってきた時には23時30分頃になっていたものの夕飯を食べていなかったのでまだ空いてる店を探す。東大門のあたりは平日夜はナイトマーケットが開き朝までやっている店もあるらしいのでもう一度デザインプラザの周辺へ。店員の女性が「ニホンゴメニューアルヨ」とメニュー片手に日本語でピンポイントで話しかけてきた定食屋に思考停止で入る。ローカルのお店に入るのにビビっているおれのような日本人観光客にその戦法は効果は抜群だ。ただしここでも会計時にクレカが使えず、結局現金で払う羽目になる。こういうとこで精神削ってくるの勘弁してもらってもいいですか?
ホテルに戻ってきたのは24時30分。まだまだソウルの街に慣れていないので、何をするのも一つ一つ立ち止まって「これ合ってんの?」と確認したり「これどうすんの?」とわからなかったり、精神が緊張に晒されてるのを感じる。でもこの「わけわかんね」状態に対してスリルのような興奮を感じてテンションが上がるのも事実。どんだけ意味がわかんなくても自分でどうにかしない限りどうにもならない状況は、かなり自分を試されてる。
あと韓国は何語で話しかけるかがスーパー自意識過剰人間のおれには難しい。「日本語通じるやろ前提で日本語で話しかけるのはおこがましいのでは?」という考えと「日本人が英語で話しかけるのはイキっているのでは?しかもそれに日本語で返答されたら赤っ恥すぎないか?」という考えと「韓国語で話しかけて普通に韓国語で返答されたら普通にわからない」という考えが同時に頭の中に存在する。どれか一つ決めてスパッと話しかければいいんだけど、毎回3択クイズに答えてる気分。今のところ正答率は27%ぐらい。これもし彼女と来てたらどうなってたんだろうなー、もしかしたら空気悪くなったりしてたかも。まあこの想像をすることには何の意味もなくて、そして意味のないことを考えることをやめられない自分はすごく情けない。
普段ならここから思考がぐるぐる回って眠れないモードに入っていくはずだが、疲れからか気が付けば眠りについていた。
23│04│Breathing
■某日
失恋のダメージを引きずった状態で出社。プライベートで何があろうと大丈夫ですというツラをして仕事に勤しまなければならない、それが生活するということであり生きるということ。みんな落ち込んだり傷ついたり悲しいことがあってもそれを見せずに学校に行ったり仕事をしているの偉すぎる。
相談しまくっていた会社の先輩たちに事の顛末を話す。みんなすごく話を聞いてくれ、励ましてくれ、中には元気出せよと人気店のカレーパンを買ってきてくれた先輩までいた。おれは色んな人に話聞いてもらってたんだなーと気づくと同時に、こうやって話聞いてくる人がいることのありがたみを実感する。これ一人で抱えてるだけだったら絶対もっとメンタルヤバかった。ただ油断してると人の好意に甘え、悲劇のヒロイン気取って自分の話ばかりしてしまうから危ない。人に聞いてもらった分、自分も誰かが話をしたい時、そばにいて話を聞いてあげられる人間にならないと。
8年一緒に働いている先輩に「最近人間味でてきた」と言われた。自分では自覚症状はないが、昔はもっと社会性がなくてヤバい人間だったらしい。にしても人間味でてくるの遅すぎるけど。3歩進んで2歩下がる。1歩でも進んでるなら、遠回りにも意味はある。
■某日
同じ部の10年間働いていた先輩が退職するとのことで部のお疲れ様会も兼ねた飲み会。今の部は人の入れ替わりが多く半分近くはここ2カ月以内に入社した人たち、かつ残りの9割の人もこういう場でちゃんと話したことがないので緊張というか気まずいというか、どういう顔でなんの話をしたらいいかわからない。なんとなーくつつがなく会は進行。みんな良い人だけれど、「こういう場で自分の話を率先して自らすることはダサい」という染みついた固定観念に縛られあまり喋らず。人見知りなわけでも喋るのが嫌いなわけでもなく、全ては自意識の問題。自分を含めて人が5人以上いる飲み会がおれはやっぱり得意ではない。
退職する先輩は今の部でリーダー的な立ち位置の人で仕事も沢山持っていたから、その人が抜けてどうなるのか先行きは不安。でもなんとかならなくても残された人でなんとかしていくしかない。いなくなったら困ったり寂しい気持ちになる人は沢山いるけど、いなくなったらなったで人間は良くも悪くも適応してしまう。いや、適応せざるをえないだけか。
■某日
The 1975の横浜公演のためにぴあアリーナへ向かう。クリマンの3A先行で半年以上前から2日間を確保していたチケットだが、Mattyの例の件で何とも言えない気持ちになって2日目はリセールに流し、テンションもそこまで上がらずな状態が続いていた。しかし彼女に振られた直後にThe 1975の曲を聴き返したら曲の聞こえ方が以前までと大きく変わり、特に”It's Not Living (If It's Not With You)"や"About You"、"Somebody Else"が刺さりまくって急にめちゃくちゃライブが楽しみになってしまった(そのノリで2日目のチケットを知り合いから買い直してしまうほど)。人生のタイミングで、以前までピンとこなかったもののことが急に”わかる”感覚がたまに訪れる。今The 1975を見ることに意味があるんじゃないか、そんな気がしてくる。
今回一緒に行く人は昔アイドル現場で顔を合わせていた人で、会うのはおそらく7,8年ぶり。会うなり開口一番「雰囲気変わりましたね」と言われる。髪型か眼鏡かけてるからかと思っていたら「昔は話してても目が全然合わなかった。」「まさに『モテキ』の幸世だった。」らしい。昨日会社の先輩に「人間味がでてきた」と言われたことを思い出す。昔のおれ、どんだけヤバかったん?
席はアリーナ2列目という奇跡レベルに良い席で、もうこんな近くでThe 1975を見る日はないだろうと、ただただ"近さ"にとにかくテンションが上がる。
ライブは去年のサマソニにニューアルバムの曲を加えたようなオールタイムベストなセットリスト。正直オープニングから「近い!!!」と目と鼻の先にメンバーがいることに興奮しっぱなしで曲はちゃんと聞けてなかった気がする。肉眼でメンバーの指先や表情まで見れるライブの情報量は膨大で、自分にはその全てを同時に処理する能力はないらしい。ただライブ中「Matty調子悪いのか?」と途中で気づくぐらいにはMattyのテンションは低めで、淡々とライブは進んでいく。後から聞けば初日のガーデンシアターよりもMCも短い上に4曲も少なかったらしい。そんなのありかよ。でもメンバーの一挙手一投足を眺めながら聴く大好きな曲たちは格別で、永遠にこの時間が続いて欲しいと思っていたこの気持ちに嘘はない。おれが初日のガーデンシアターを見ていたとしてどのぐらい感動したかなんてわかりようがないのに、それと比べて今日の自分の感動が劣っているかのように考えてしまうのはもったいないよな。
ライブ後は一緒にライブを見たその人とご飯へ。ここでも彼女に振られた話を聞いてもらう。その人は最近料理中に指を抉るように切ってしまい血がずっと止まらず、その傷はもう一生治らないんじゃないかと思っていたらしい。そう言って見せてくれた指先は、今では言われないと気づかないくらい傷跡はほとんど残っていなかった。『人間て凄いんですよ。もう治らないと思っていた傷も、時間はかかってもいつかは治るんですよ。』その人なりにおれの失恋の傷もいつかは癒えるということを伝えたかったんだと思うけど、励まそうとしてくれてる説得力が強すぎてちょっと笑いそうになってしまった。
おれ「人生の目標というか生きる意味みたいなものがなくなってしまって、それをもっかい探し直さないとと思ってるんですよね。」
その人『生きる意味とか目標を持つのも大事だけど、生きていればやりたいことが出てくるからそういうもの(目標や意味)がなくても大丈夫ですよ。』
そういえばライブ中、The 1975を海外でまた見たいなと自然と考えていたことを思い出す。こういうことを積み重ねていくのか。目から鱗が落ちるような、宙に浮いていたアイディアが腑に落ちて自分の体に落ちてくるような感覚。7,8年という傍から見ればそれなりに長い時間を経てもう一度この人に会えたこと、今日The 1975を見れたこと、やっぱり意味があるなと思う。
■某日
2日連続でThe 1975を見るためにぴあアリーナへ。ライブ前に知り合い2人に会う。一人は3年ぶりくらいで、もう一人は7,8年ぶりくらいに会う。2日連続で数年ぶりの人に連続で会うことなんてそうそうない。おまけに今日チケットを譲ってくれる人はSNSで10年ぐらい相互フォローだけどメッセージを数回交わしたことがある程度で一度もちゃんと会って話したことはない人。 もしもおれが彼女に振られてなくて、The 1975やっぱめっちゃ良いやんとなってなくて、2日目のチケットを流したままだったらこの3人にはここで出会ってない。論理の飛躍。こじつけに過ぎない。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局何もわからない。でもこういうことが起こるのが、人生のおもしろいところだなと思う。
今日の座席は3階席の2列目。会場全体は見渡せて今日もいい席。今日は昨日よりもっと曲を集中して聴きたいところ。
2日目はオープニングから初日と違い、初日はステージ上のレコードにMattyが針を落とす演出からいきなり1曲目の”Looking For Somebody (To Love)"が始まったが、今日はアコースティックの"Oh Caroline"に続くメドレーからスタート。この弾き語りのパートが信じられないぐらい良くて鳥肌が止まらなかった。昨日と今日の差なに?
本編もMattyのテンションは昨日よりも高く、「みんな静かなのに僕が近づくとワァーってなるよね」「日本でこんなに沢山の人の前でプレイすることにまだ慣れないよ」とMCも饒舌。”Sincerity Is Scary"では客席から投げ込まれた馴染みの帽子を被りパフォーマンスするなどサービス精神に溢れていた。昨日が家で一人で寝間着を着た状態のMattyだとするなら、今日はネクタイをしてステージの上でパフォーマンス(エンターテインメント)をするMattyというぐらい違う。曲も"Guys"や"I Always Wanna Die (Sometimes)”含め昨日よりも曲数多いし公演時間も20分以上長い。昨日と今日で本当に同じバンドか?ただ何があったかはわからないが、バンドは生き物で、人間がやっているのだからこういうことは起こりえるものだ。だからこそその瞬間に意味があるし、見逃してはいけないんだとも思う。どっちの瞬間にもそこにしかないものがある。結果的に2日間行けて本当によかった。初日はやっていた"She's American"を2日とも聞けなかったのは残念だけど、いつか生で"She's American"をライブで聴きたいという夢をもらったとも言える。3年前にThe 1975をロンドンで見たのは、間違いなく2019年のサマソニで”見逃した”から。後悔のない人生を送れた方がいいかもしれないけど、後悔だけが連れて行ってくれる場所もある。
ライブ後は数年ぶりに再会した2人と野毛へ一杯だけ飲みに。会っていなかった数年の、自分の生きてる世界は狭くて、生きてれば色々あるよなという話を聞く。でも元気そうで良かった。ある人が「遠くに住んでいてずっと会えないということと、亡くなってしまって会えなくなることの違いがわからない。」と言っていた。全然違うよ。生きていれば、惑星の軌道のようにそれが何年周期だとしても、こうやってまた会えるんだから。銚子に移住して漁師の奥さんをやっているその人に会いに行くという約束は、いつかちゃんと果たさないとな。
■某日
人生初のARABAKI ROCK FESTに参加するため4:40に起きる。前日も夜まで仕事だったため2時間睡眠だったが、こういう時に遅刻したことが一度もないのは自分の偉いところだなと思う。仙台に行くのはいつ振りか思い出せないぐらい久しぶり。仙台駅から会場へ向かうシャトルバスに乗り込むも、通常1時間~1時間半かかる道のりのはずだが、渋滞にはまってしまい会場に着くのにさっそく2時間40分ほどかかる。物事予定通りにいっちゃくれない。
昨年のアラバキは豪雪だったと聞き防寒対策をかなりしていくも、当日は拍子抜けするほどの快晴に春を通り越して初夏の気温。暑い。会場に着くなり先に到着していた知り合い夫婦に会う。この2人とは待ち合わせしてないのにMONOEYESのライブのフロアで何度も会ったりと何かと縁があるし、こういう場所でまた会えるのは嬉しい。
堂島孝平とTeleを見た後は会社の人と合流し、みんなでご飯を食べる。不思議なことだけど、東京で会うより地方で会った方が心理的距離が近く感じるっていうのは本当にある。ずいぶん話し込んでしまい見る予定だったライブをだいぶ見逃してしまったけど、たまにはいいよねこういうのも。
流石にBRAHMANを見逃すわけにはいかないので陸奥ステージへ。BRAHMANのライブを東北で見るのは大船渡でのイベント以来6年ぶりだ。セットリストは普段と変わらずだったけれど、"露命"や"鼎の問"はこの東北で聴くと聞こえ方が全然違う。
TOSHI-LOW「調子狂うよ。予定通りいかない。」
昨年のBRAHMANの出番時には大雪、その前の年は開催予定が急遽中止になりオンラインライブへの切り替え、そして今年ようやく予定通り開催できると思ったらThe Birthdayがキャンセルになりチバさんがいないと。でも予定通りにいっていたらバンドどころか歌うこともやめていたし、東北の人たちにも出会っていなかったと。BRAHMANのライブ中、周りからすすり泣く声が聞こえてくる。2011年から12年間、今も変わらず東北に来続けているBRAHMANと東北の間には、他の土地に住む外野には絶対にわかりえない繋がりがあるんだというのが痛いほど伝わってきた。最後、チバさんへと"満月の夕"を歌った。この曲も阪神淡路大震災がなければ生まれていなったかもしれない。
そしてELLEGARDEN。昨年のLost Songs Tourからアルバムツアーまで全てのチケットに外れまくっているためライブを見るのは久しぶり。そして何よりダイブやモッシュのできるライブに至ってはコロナ前以来3年以上ぶり。懸念がないと言えば嘘になるけれど、自分の大好きな曲に全身どっぷり浸かって体全部使って楽しめる場所はやっぱりライブしかない(ただし人に迷惑にならない範囲で楽しもう)。アンコールではエルレによるThe Birthday"涙がこぼれそう”のカバー。「チバさん待ってるぞー!!」と叫ぶ細美さんとバンドから、チバさんとThe Birthdayへのリスペクトをヒシヒシと感じた。
BRAHMANもエルレも、チバさんが病気になっていなくて、The Birhdayの出演がキャンセルになってなければどんなライブをしてたんだろうか。震災がなければ、目の前の景色は全く違うものになっていたんだろうか。悲しいことが沢山起きて、今振り返ってもそれが良いことだったとはとても言えないけど、けれど起こってしまったことにどう向き合うか、そしてどう生きていくか。問われているのは常にそんなことな気がする。
その後のストレイテナーとACIDMANのライブでは2組とも坂本龍一さんへと、それぞれに曲を演っていた。特にこの日のストレイテナーは瞬間最大風速ではエルレを超えるぐらい良かった。"Melodic Storm"なんて何十回聴いてるかわからないのに、今日も込み上げるものがあって危うく涙がこぼれそうになった。Silver Lining Tourの東京公演も武道館も仕事で行けないのが確定しており散々だが、地方でもいいからどこか行きたい。
帰りは朝会った夫婦の車に乗せてもらい仙台市内へ行き餃子を食べる。2人の旅行を邪魔しちゃってるようで申し訳ないけど、一人でいると色々考えてしまうので誰かといれるのがホントありがたい。餃子屋でも失恋話を聞いてもらう(マジでお前何回目だよ)。知り合って結構長い期間が経つが、こんな風にがっつりこの2人と話をするのは実は初めてだった。そう思ってるのが自分だけだったらどうしようとか、なんか自分がその人との関係にすごい自信があるやつみたいで傲慢だなと考えてしまって自分から誰かのことを「友達」と言うことにすごい抵抗があったけど、超今更ではあるがこの2人のことは友達と呼ばせてもらいたいと思った(そう思っているのが自分だけだったらそれはマジ調子こきましたすみません)。
■某日
1日だけ参加予定のはずが2日目も急遽参加が決まり、アラバキ2日目の会場に向かうべく早起き。体がバキバキで疲労しか感じず、おまけに顔は日焼けで鼻が赤くなっておりボロボロの状態。そしてこの日も行きは友達夫婦の車に乗せてもらう。感謝カンゲキ雨嵐。会場ではささやかすぎる御礼として玉こんにゃくと生ビールを献上する。2人は来年結婚式を挙げるらしい。おれは普段世界中の人間が幸せになってほしいと願っておきながら「私たち今世界で一番幸せです」というツラをしたカップルに悪態をつくような人間だが、この2人の結婚は心からおめでとうという気持ちになれた。おれの結婚式のためにエルレの"チーズケーキファクトリー"を残しておくと言ってくれたけど使う予定がマジでないから、是非結婚式では"チーズケーキファクトリー”を流してほしい。
2日目は初日よりもぐっと気温が下がり少し寒いぐらいで、1日目と完全に恰好を間違えてる。初めて行くフェスはこの服装問題がむずい。
2日目の個人的ベストはハンバート ハンバート。それが県民性の問題なのかシーンの問題なのかはわからないが、東北ではロックバンドの方が人気がある。このアラバキもメインステージはほぼロックバンドで、その中でハンバート ハンバートのようなアーティストのステージは少し異質で、流れる時間が違うように感じる。ギターとボーカルのミニマルな編成で、歌とギターの音色だけが響く。優しくて、寄り添うような、空気と自分を調和させるような音楽で、ずっとこのままでいたいなと思ってしまう。
ただ"どこにいてもおなじさ"を聴いた時、余りにも良い曲で、そして元彼女へのおれの気持ちはまさにこれだったよと考えてしまい死ぬかと思った(これあと1か月ぐらいはやってると思うが勘弁してくれ)。
帰りの新幹線の時間があるため早めに会場を後にする。初めてアラバキに参加して、その土地とフェスの持つ歴史や文脈があって、バンドにもストーリーがあって、そしてもちろんそれは参加するファンの人も同じで、それらが一カ所で交差することでドラマやマジックが起きるのがフェスなんだと思った。東北で聴くこと、今のこの自分の状況でその曲を聴くこと、そこに意味がある。ロッキンみたいに快適さや合理性に全振りするわけじゃなくて、でも自らここにやってくる人のことは全力で迎えてくれるようなちょっとシャイなフェス。また好きなフェスが一つできた。もう東京ではとうに見れない桜もアラバキだと見れるんだよ。また必ず来たい。
■
この1週間は彼女に振られたダメージを引きずりふとした時に彼女のことを思い出してゲボ吐きそうになったり、すごい久しぶりの人含め沢山の人に会ったり、同じ曲でも今までと聞こえ方が全然変わるような体験があったり、この1年どころか人生でもハイライトに残るようなライブに参加したりと、とにかく濃い1週間だった。
昔「ロマンチストだね」と言われたことがある。おれの想像するロマンチストはもっとドラマチックでキザなものだったけど、言われてみればそうかもしれない。おれは自分の身に起こることに〈意味がある〉と捉えるから。何かが起こった時、ある音楽や映画や漫画のことを思い出して「あれはこれのことだったんだな」と一人でよく腑に落ちるし、だからブログを書く時も自然とその時のフィーリングに合う作品のことが自然と浮かんできて、それになぞらえて書いてしまう。これはただのこじつけで、自分の身に起こること全てに意味はなくて、ただ自分は死んでいくことだけが確定した人生を無作為に生きているだけの可能性は大いにある。でも自分は全てのことに意味があると思ってしまうし、その内のいくつかを運命のようなものとも信じているし、そう思っていたい、という願望の裏返しでもある。だから自分の性格はネガティブだと思っているけど、人には意外とポジティブと言われるんだろう。
この1週間、頭の中で鳴っていたのはこの曲だった。
やせ我慢と空元気でなんとか前を向こうとするけど、人生で一番好きになった人にフラれたダメージというのはやっぱりそう簡単には癒えてはくれない。何のために生きるのかをもっかい考えないといけなくて、そしてそれはまだ見つかってはいない。人生は予定通りいっちゃくれない。でも予定通りいかなかったから、今ここにいる。この1週間の間に自分の身に起こったことは彼女にフラれたから起きたこととも言える。彼女と別れたことが良かったことだなんておれは死んでも思わないけど、けれど起こってしまったことにどう向き合うか、そしてどう生きていくか。問われているのはそういうことだ。
「目標をもって生きていくことももちろん良いと思うけど、そういうゴールがなくても、生きていたらやりたいことは出てくるよ。」
ほんとその通りだと思う。この1週間だけでも、したいこと、行きたい場所、また会いたい人、沢山あるって気づいた。そうやって一つ一つを拾い集めてやっていくしかない。この先に何が待っているのかは分からない。けど、
生きていれば やりたいことがきっとまたでてくるから
生きている限り また会えるから
だから君はただ諦めず 息をし続けろ
23│04│ジターバグ
■某日
失恋ブログを書くのは半年ぶりだ。
いや、お前はいったいあと何回失恋ブログを書いたら気が済むんだよ。この半年ブログの更新が疎かになり、久々に書いたと思ったら傷心ポエム。情けないにも程がある。ただ一人では今はちょっと抱えきれなくて、その気持ち書いたものを誰か読んでくれたらそれで少しは救われるっていう、そういう独りよがりな、寂しくて辛いっていうかまってちゃん気質が自分の中にはあるんだろう。Twitterも不幸な時の方が筆が走る。
付き合った期間は短かった。でも付き合った3日後には「この人と結婚したいな」と思ってた。生きてきてそう思った人は初めてだった。なんでって聞かれても「そう思ったから」としか言えない。理由は後から言語化しようと思えばできる。でも最初から一点の曇りもなく、100%の確信をもってそう思えてたから、この気持ちは本物だったと自分ではわかる。理屈ではない。
今まで人間関係は友情も恋愛も、合うか合わないかでしかないと思っていて、人間の形はパズルのピースのように決まっていて、その形がハマる人と一緒にいることが幸せだと思っていた。でも彼女と付き合ってから自分という人間の形がぐにゃぐにゃと変わっていった。
今年から料理を始めたが、それは彼女が料理をしない人だったから。彼女がしないならおれが料理できるようになった方がいいななんて考えて、頼まれもしないのに勝手に始めた。彼女が食べたいと言ったものを事前に試作してから彼女に作ったりした。今までの自分なら想像すらしたことない。
彼女に最初にプレゼントしたのは花瓶だった。付き合うことはゴールではなくて人の気持ちは変わるものだから。だから彼女に好きでいてもらうためにはどうしたらいいのか、もっと言えば自分の好きって気持ちが変わる可能性もあるから、自分の初心を忘れないようにするためどうしたらいいのか、そんなことを考えて、それから月1回ぐらいのペースで会う度に花を渡していた。頼まれもしないのに勝手に渡していた。
彼女と付き合う前は休みの日も1人で過ごすのが好きだったはずなのに、気が付いたら仕事のない休日は全部空けていた。もう休みの日一人でどうやって過ごしていたか思い出せない。それもおれが勝手にしたことだ。彼女に頼まれてやったことは一つもない。
こうやって書くと激重人間で、その重さが彼女にプレッシャーを与えていた可能性は大いにある。でもだからといってどうしたらよかったかわからないから、後悔のしようはない。少なくとも、自分ていう人間は本当はこんな奴だったんだと、これまで「自分はこういう人間だ」と思い込んでたものほとんど全部どうでもいいと思えた人は初めてだった。人を好きになるってことは自分が変わるってことかもしれないと思った。
ただ人間関係なんてのは自分一人がどれだけ想ったところで相手の気持ちがなければ意味がない。お互いの気持ちがかみ合わなければどちらかが無理しなければいけなくなる。本当のところは彼女にしかわからないし、彼女にさえわからないかもしれないが、なんにせよ終わってしまった。
ラブソングの「君さえいれば何もいらない」みたいな歌詞を聴くたびに内容薄いと思っていたけれど、あれは本当だ。女々しすぎてバカだなと思う。でも今のおれの気持ちはあれ。そして彼女に出会って自分という人間の形が変わった結果、元々自分がどういう人間だったかわからなくなってしまった。
今のこの辛さは、もちろんそのぐらい好きな彼女と別れたことで1,000回死にたいくらい辛いのもあるけど、同じくらい、自分がこの先なんのために生きていけばいいかわからなくなってることが大きい。
もう一度このぐらい好きだと思える人に出会える確率は奇跡みたいなもんだ。そしてその人が自分のことを好きになってくれるなんて奇跡×奇跡で、その上でお互いに好きという気持ちを持ちながら、それが結婚という形かはわからないけれど、死ぬまで一緒に生きていくなんて一生に一度の奇跡を何回起こさないといけないんだ。
この先生きていてそんなことができるなんて今はとてもじゃないけど思えない。というか無理。結婚しない男女が増えてるなんて当たり前だろ。おれからすればそんな奇跡がバンバン起きてる方が非現実的だ。
じゃあ一人で生きていくしかないとする。残りの人生で何がしたいか?思いつかない。好きだったはずのものへの興味も薄れてしまった。お金と時間がもっとあったとしたら?したいことが思いつかない。自分を形づくっていたほとんどのものが重要ではなかったことに気づいた今、自分の中に残ってるものは何があるんだろうか。どこに行きたいとか何がしたいかとかなくて、ただ彼女と一緒にいたいだけだった。ここまで書いてこの恋愛の状態は結構不健康だったなと今ならわかるけど、失ってからじゃないとそういうのはわからないもんだ。
理由がなくても人は生きていくものかもしれない。でもしたいことも目標もわからず、自分がどういう人間かわからず、ただ時間だけを浪費して年齢だけ重ねていく人生はおれにはかなりきつい。この辛い状態の中でもう一度、自分はどういう人間なのか、何がしたいのか、燃えカスになった灰の中にわずかに残っている興味や好奇心、情熱の在りかを手探りで探すことからやり直さないといけない。
しんどい。正直今が人生で一番、正真正銘死にたい。生きてる意味がわからないから。ボタン押せば楽に死ねるなら、マジで押してしまいたい。
でも押さない。押したらこの現実に負けた気がするから。現実に呑まれて自暴自棄になることをカッコ悪いと思っているから。「諦めたらそこで試合終了ですよ」って一生思ってる。この超スーパー自意識過剰人間がカッコつける相手は自分自身。自分のことを好きでいるために。自分という人間の形が変わっても、この期に及んでクソの役にも立たないプライドは残ってる。自分はこんなもんではないと、訳も分からず中指を立てている。きっとこれが自分の根幹なんだと思う。
でも遠回りして気づいたことも確かにある。失敗したから自分が変われたことも。今いる場所がゴールなんて思わない。でも自分には過去の過ちも全部必要なことだった。そんな経験せずに生きれるに越したことはないけど、自分はダメな人間だからきっと、そういう風にはできていない。だからきっと彼女と出会って付き合ったことも、意味はある。
失恋ブログだと言って、彼女のことだけ書いたらきっと7,000字は書けるぐらいには未練タラタラ。でも未練タラタラで、いつか彼女が心変わりするんじゃないかって思いながら生きるのはダサい。死ぬほど悲しいことを死なずに受け止めて、少しでもマシな人間になって、自分にとっての幸せに向かって一歩ずつでも向かっていける人間をカッコいいと思う。間違ったことがいつか君を救うから、数え切れないほど無くしてまた拾い集めるしかない。いつかそんな人間になるために。今はカッコ悪くて情けないだけだけれど、カッコ悪い中でカッコつけることが、今自分という燃えカスの灰の中に残ってるものだ。大丈夫じゃないけど大丈夫だよ。
大丈夫じゃないけど 大丈夫なんだよ
23│02│Clone
■某日
昨年の5月に毎週日記を書くと決めたものの見事に挫折。リハビリかのようにこうして3か月振りの日記を書いている。日記を書かなくなった主な原因は昨年の12月に「もうパズドラしかできない」と吐露した麦ばりにTikTokとインスタのリールとYouTube Shortsしか見れない状態になりマジで全てのモチベーションが皆無になったことが原因な気がする(縦型動画がどれだけ脳死でも見れるのか改めて分かる)。チケットを取っていたライブ3つも特に理由もなく行かなかったの冷静に考えると意味不明で怖い。
総じて色んなことにモチベーションがなくなった原因が何かと聞かれると難しい。ただ体感2022年は厄年でもないのにマジで良くない年だったという自覚があるので、色んな不調が積もったところでガタがきたということにしている。無理、よくない。2023年は10年以上ぶりに初詣に行き大吉を引き当て、モチベーションも少しずつ回復してなんかいい感じになっていきそうな気がするのでこの調子で頑張りたい。2023年になって早くももう2カ月が経ってしまうが。
以下簡単なこの2カ月まとめ。
■12月
某日
2回目のゴルフの打ちっぱなしに行ったが1回目の3065倍ぐらい下手になっていて心が折れる。
某日
取引先との忘年会で行った西麻布の怪しい謎高級店で3万のコースを食べる。「三冠王」というフォアグラとキャビアとフカヒレを使った料理の品の無さに眉をしかめるも悔しいがめちゃくちゃ美味しくて金の暴力を感じる。
某日
バンプのライブを見る。"アルエ"でバカでかい声が出る(出てない)。
某日
担当しているアーティストとのご飯会。初めてライブを見たのは10年前の大学生の時。そこから10年後にあの日ライブを見ていたアーティストの目の前で自分がご飯を食べることになるなんて人生は何が起こるかわからない。仕事仲間っていうのは友達とは違う関係性で、でも結局人間同士だから気持ちで動く部分は必ずある。「正論だけでは人は動かない」っていうのは前職の先輩に言われた言葉で今も鮮明に覚えている。昔は「会社の飲み会」というイベントがダサいという勘違いした尖り方をしていたけれど、相手がどういう人かわかるとか、人間同士だから関係性を作っていくっていうのは凄く大事。当たり前すぎるか。
某日
ELLEGARDENの16年ぶりのアルバム『The End of Yesterday』の発売。フラゲ日の午前中にCDショップに行き、展開を見てワクワクしながらレジに並ぶっていう中学生の時と同じ気持ちでCDを買うのはおそらく人生最後になる。このアルバムのことは未だに上手く言語化できない。ただ1周目聴いた時には「これはそんなにハマらないな」って思ってた曲もずっと聴いてるとどんどん良さに気づいていくというか、好きになっていくのは本当に不思議。今では1曲も飛ばすことなく毎日アルバムを通しで聴いてる。この日記を書いている2月の現時点でおそらく100回近くは聴いてるけど全く飽きない。昔の曲はもちろん大好きな曲は沢山あるが、音として聴いた時に今作は圧倒的に気持ちよくて何回も聴いてしまう。これはロスでのレコーディングの影響が間違いなく出ている。特に好きなのは"Bonnie and Clyde"の2番のAメロ。
どこかでアルバムのことはもうちょっとちゃんと書きたいなと思ってる。なのでツアーに行かせてくださいお願いします(チケットなし)。
■1月
某日
10年以上ぶりに初詣に行く。当たり前に込んでたけれど、こういう儀式めいたものの重要性を年々感じる。おみくじで大吉を引く。それだけでなんか良い一年になるんじゃないかって気になってくる単純思考。三が日は99%晴れてる気がする。きっと神様に祈るのに向いている。
某日
自炊を始める。他人様にとっては何を偉そうに言ってるんだという感じだとは思うが、過去ロクに自炊をしてこなかった自分にとっては、自炊をするということはもはや革命。ロクな料理でもないのに米を炊いて、包丁で切り、フライパンで炒めているだけで自己肯定感爆上がり。おれえれぇー。
いつものパターンだと最初張り切りすぎて途中で息切れしてしまうので、なんとかうまく続けていきたい。
某日
BABYMETALの復活ライブを見に幕張メッセへ。とんでもないセットとシアトリカルかつ常に観客の期待の斜め上をいく演出。チケット代は半端なく高いが、それも致し方なしと思わざるをえないクオリティ。どれだけ長くても1時間30分しかやらないのに何回見ても飽きない。本当に凄い。
某日
the HIATUSのBLUE NOTE TOKYOでのライブへ。普段のライブ会場とは違うシックで大人な雰囲気に流石に襟の付いている服をチョイスする。1,900円のカクテルなんて普段絶対に頼まないが、「せっかく来たのだから」という貧乏根性ゆえの逆張りでカクテルとミルフィーユを頼む。
Jive Turkeyシリーズはライブ自体はMCも込みで1時間程度だけれど、普段のセットとは異なるアレンジでどの曲もがらりと雰囲気が変わり、ステージとの物理的な距離の近さも相まって親密で濃密な1時間になる。"Clone"の前のMCで細美さんが「人にはとても話せないような過去があって、でもその時に傷ついた昔の自分が、誰よりも自分の背中を押してくれることがある(意訳)」という話をしていた。
自分は超自意識過剰な人間だ。人の目も気にするが何よりも「自分の目」を気にしてる。でもそのもう一人の自分のおかげで、まだ何とか自分のことを嫌いにならずにいれている。
細美さんもMiddle Age Crisis(=中年の危機)について話すような年齢になった。自分ももう33歳。うっすらと可能性の扉が閉じ続けているような感覚をずっと持っている。でも歳をとった分だけ、その時間を生きてきたもう一人の自分が救ってくれると思うと、そいつは結構頼りになるかもしれない。
いつか必ずくる終わりができるだけ遠くにあって、そしてその瞬間がくるまで、この人たちと一緒に生き続けていきたいと思う。
22│11│3, 2, 1 Go
■某日
1か月ほど前に失恋してから謎の失恋ハイ(そんなものはない)になっており、とにかく思いついたことやってみるかという、自暴自棄ともやぶれかぶれとも開き直りとも言えるテンションが続いている。やりたいことで頭の中に浮かんだのはギター、ボクシング、そしてバンジージャンプの3つ。継続の必要がないバンジーが一番ハードルが低いと思いとりあえずバンジージャンプからしてみることに。都内近郊でマザー牧場と並びバンジーが飛べるよみうりランドに行く。
この話を人にすると『なんでバンジー飛びたいの?』と聞かれたが、「自分の人生に気合が入りそうだから」としか言えない。人生に気合を入れる意味は?と聞かれたら困る。そもそも誰に頼まれてもないので究極の自己満。でも飛んでみたいと思ったなら、それは自分でも気づいていない無自覚の自分が求めてることなんじゃないかという漠然とした予感もある。
よみうりランドに向かう道中も、入園しバンジージャンプに向かっている最中も恐怖心はあまりない。これ案外余裕で飛べる気がするな(なぜなら失恋ハイ中だからだ!)と舐め腐っていたが、いざチケットを買い誓約書を書き始めた時、これから自分がバンジージャンプを飛ぶんだという実感が湧いてきて、急に緊張してきた。一度感じた緊張は装備を付けてもらっている時、自分の足で高台の階段を上っている時とどんどん高まっていく。「おれこれからマジでバンジー飛ぶのか」。バンジーが怖くなかったわけではなく、単に他人事のように実感を持っていなかっただけで、実感が湧いてきた途端、今すぐギブアップしたい気持ちになってきた。高台に上がり、上で待っていたインストラクターの人にワイヤーを付けてもらい、先端に立つ。
インストラクター『もうちょっと前いってください』
いや、これ以上前はないが?足の1/3ほど、つま先が空中に出るまでグイグイ前に詰められる。左手でなんとか手すりを掴んでいるだけで、それ以外の部分は既に空中に放り出されているようなめちゃくちゃ不安定な気分になり、ここで恐怖心がMAXになる。下を見た時なんかよりも、拠り所になるものがないという状態の不安定さに対する恐怖やばい。間違いなく今生きてきて一番怖いわ。
インストラクター『足から落ちると危ないので頭の後ろに手組んで、頭から落ちてください。』
なんでみんな足から落ちないのか不思議だったけど頭からいかないといけないのか。
おれ「あ、ちょっと飛べないかもしれないです。」
インストラクター『全然飛ぶか飛ばないかはお兄さん次第なんで。ただあんまズルズルいっちゃうとどんどん飛べなくなっちゃいますよ。』
めっちゃ煽るやん。
インストラクター『ちょっと風強いんで弱まったらいきましょうか』
まず飛べるか飛べないかにビビってるのにその上タイミング狙って飛ばなあかんの??このまま一生風強くあれ。
曇り空の高台の上からの景色は別に眺めのいいもんでもなく、これから空中に体を放り出そうとしている自分とは無関係にしか見えない。テレビで芸能人がバンジージャンプを飛ぶ企画で上まで登った挙句ギブアップする気持ちが今ならわかる。
しかし今日自分が何のためにここまで来たのかを思い出す。あと単純にここまで来てギブアップはダサすぎるし自分のこと一生好きになれないかも。もう飛ぶしかないと腹を括る。誰に頼まれてもないのに自分でやると決めて、勝手にやってきて死ぬほどビビッて、自分の意地とプライドのために飛ぶ決意をする。自意識過剰の自転車操業。
おれ「多分いけます。まだ風強いですかね?」
インストラクターの人『あ、いけます?風強いですが、まあもういっちゃいましょう』
風とはなんだったのか。正直『まだ風強いんで待ってください』待ちだったんだけど。というこっちの疑問を無視して一気にカウントに入る。
インストラクターの人『3!2! 1!』
おれ「(え、待って待って待って早い早い早い)」
と0.3秒の間に20回ぐらい思うも待ってはくれず、ただ体は自然とカウントに合わせるために空中に向かって倒れていく。その後のことは全てが一瞬だったが、「こえー!!!」と叫びながら落ちていったこと、人間が地面に落下してくスピードはまじでヤバいこと、びよーんとリバウンドで上空に跳ね返ったタイミングでワイヤーについてる抱き枕のようなクッションに夢中でしがみついたこと、恐怖が人生一を記録して「怖すぎワロタwwwwww」みたいなテンションになりずっと爆笑していたことは覚えている。あと地面に帰ってきた時、ぐったりするぐらい疲れていて10歳ぐらい老けた気分になった。装備も外され解放された時、こわばって締まった心臓とおぼつかない足取りの中、よく飛んだなーという微妙な達成感と、バンジー飛んだぐらいでは変わらない人生観を感じる。ただ間違いなく生きてて一番怖かった。勇気出した自分を褒めてやりたい気持ちもあるが、飛べたのは心の準備ガン無視でカウント始めるあのインストラクターの人のおかげな気もする。物理的には背中は押してないが、気持ちの面ではあのインストラクターの『3!2! 1!』が背中を押してくれた(飛べよという圧にも感じたけど)。
人生でなにか迷った時、決断を迫られた時に「今だ!」なんて教えてくれる合図はない。合図がないから本当にいっていいのかと迷うし不安になる。そのせいで今まで何度もタイミングを逃してきたんだろう。人生にインストラクターはいないから、自分に気合入れるのも自分の背中を押すのも自分次第。勇気出ない時は、とりあえず『3!2! 1!』ってカウントしてみてもいいかもしれない。
↑飛び終わった後にこの曲のことを思い出した
そのあとせっかくよみうりランドに来たからとジェットコースターにも乗ったけど、ちゃんとめっちゃビビった。
怖いもん経験したからと言ったって怖いもんがなくなるなんてことはない。ちゃんと全部怖い。でも絶対また死ぬほどビビるのがわかってるのに、最近はもっと高いところのバンジーの場所を調べてる。
■某日
THE 1975のCDを渡すために高校の時の友達に会う。大人になってからもたまに連絡を取り会っている数少ない友達。久しぶりに会ったからと言って大した話をするわけでもないが、普段接している人とはしないような話ができるのは同級生だからかもしれない。高校の時同じクラスだった奴がボディビルダーを目指しめちゃくちゃ鍛えてる写真を見せられ当時との違いに驚く。自分は学生時代の同級生に会っても「変わらない」としか言われたことはないけど、10年以上経ってれば変わってない方がおかしいのかもしれない。
■某日
出張で大阪に行く。3マンのライブで、自分の担当以外の2組のライブは初めて見る。バンド名とアー写、そしていくつかの曲をチラッと聞いただけの印象と、実際にライブを見た印象はかなり違った。生で聴く方が良い。ただ同時に、生で見る機会のない人に伝わっているイメージが、そのバンドの実像を正しく伝えられているのかというアーティストブランドについても考える。イメージがないと興味を持ってくれないし、イメージと実態に乖離があり、それがマイナスのギャップではファンにはなってくれない。
ライブの後は会社の後輩と行きつけになっているたこ焼き屋へ。大阪に住んでる時はたこ焼きの美味しさに気づかなった。もったいないことをしていた。何度か来ているからか店員さんに顔を覚えられており、帰り際に名前まで聞かれてしまった。「マッチングアプリでは可愛いと思う子としか会わないやろ」などど後輩に話していたクソ調子こき発言を思いっきりイジられたので今後行きづらさがすごい。
■某日
SNSで10年来のフォロワーの人に某ブランドの展示会に誘われる。こういう機会でもないと参加できないものではあるので二つ返事でOKの連絡を返す。当日はそのフォロワーの人を誘った別のデザイナーの人もいたようではじめましの挨拶をする。学生時代は華道をやっていて、今はフリーのデザイナーをしながらアパレルブランドもやり曲も作っているという20代前半の少年。どうやったらそんな人生に行きつけるのか、大阪でロクにやりたいことや将来のことも考えず学生時代を過ごしてきた自分には想像もつかない。某ブランドのオーナーの人も上司が仕事で接点があるらしく意外と距離が近そう。こういう展示会で身内同士っぽい人たちの中に自分が入っていくのはすごい苦手だけど、来てよかった。
その後は誘ってくれたフォロワーの人とともに原宿に今年できたハンバーグ屋へ。いわゆる「挽肉と米」的なハンバーグと米推しのお店。正直ハンバーグが美味しいからというより米が美味いから成立してる気がするが、それでもいいぐらい白米が美味しい。今年子どもが生まれライフステージが変化しつつあるその人の話に、その変化を経験していない自分が答えても説得力ないなと、毒にも薬にもならない相槌を打っていた気がする。7歳下の女の子に「あんま年上感ないですね」って言われたアレ、あんまり良いことじゃないんじゃないか。