22│06│Yet To Come

■某日
 同じ部署の同僚が諸般の事情で、今抱えているプロジェクトをこれ以上続けることができなくなったという話を聞く。そのチームの噂は度々耳には入ってきていたが、実態は噂よりも過酷だったようだ。こういう時、外野の人間としては「もっと早く相談してくれれば。」という気持ちになってしまう。外からは中で何が起こっているかわからない。何か少しでもSOSを出してくれれば、多少なりとも自分にできることもあったはずだ。でもそのような状況下に置かれた当人にとっては、「相談する」ということは他人が思う以上に心理的に負担を感じることか、もしくは選択肢にも最初から入らないような状態なのかもしれない。それに自分はその悩みを打ち明ける対象ではなく、もっと言うと社内のほとんどの人がその対象ではなかったのか可能性もある。周囲にその悩みを打ち明けられず、状況が一向に改善されない中で、過度なプレッシャーに追い詰められ抱え込んでしまったものが溢れてしまった結果が今。そのチームはもちろん会社にも部署にも自分にも責任がある。かなり気が落ち込む。でも何もできなかったのに落ち込むのも、ひどく偽善的だなとも思う。

 

■某日
 会社の先輩に飲みに誘われ仕事終わりに渋谷へ。普段ただでさえ会社の人と飲みに行かない上にコロナ禍でもあったので、こうして社内の人と飲むのはすごく久しぶりだ。昨年に自分が異動してから同じ部署になったものの、一度もちゃんと話したことのない先輩も同席しており上手く話せるか緊張。しかし実際に話をしてみると職場のイメージとは違い気さくで人間味を感じ、飲み会の後は以前よりも距離が近くなれたように感じた。当たり前だが自分の勝手なイメージに相手を当てはめ決めつけるのはよくない。まあ友達ではないので、会社の人と別に仲良くしたくないと言われたらそこまでだが。ただ「大した話もしないのに仕事終わりに飲みにばっか行くおじさんはダサい」と思い飲み会を断りまくっていた昔の自分に、「それはもしかしたら少しもったいないことをしてるかもしれないよ」とは言ってあげたい。

 

■某日
 Creepy NutsオールナイトニッポンでDJ松永が「自分が何をしたいかがわからない」と言っていて首がもげるほど共感した。「彼女を作らないのもありえる」「結婚しないのもありえる / するのもありえる」「子どもを持たないのもありえる / 持つのもありえる」「別居婚事実婚もありえる」、全ての選択肢に対して同じ距離感でフラットになっているらしい。「おれは子孫を残す気があるのか?」「そもそも結婚したいかもわからない。」というDJ松永に、自分と同じように思っている人間がいるんだということに、少しだけ肩の荷が下りた気持ち。それに対してAwichは「何やっても元気があればギャルじゃん?」と、話が長いと一刀両断していたが。

 

■某日
 BTSが今後はしばらくグループとしての活動を控え、それぞれのソロ活動にフォーカスしていくことを発表した。その発表の数日前に公開された新曲のタイトルは「Yet To Come(The Most Beautiful Moment)」。"best moment is yet to come"(最高の瞬間はこれから)。世界一のボーイズグループになったと言っても過言ではない中で抱えていた葛藤をRMが涙ながらに話す姿には、熱心なファンではない自分の胸にも迫るものがあった。その上で、グループとしても一人の人間としても成長し、そしてファンのために「最高の瞬間はこれから」と歌う姿は、自分の願う人の最も美しい在り方のように映った。
 「Yet To Come」を聴いて、人生で一番好きになったアイドルである橋本奈々未乃木坂46を卒業する際、最後にファンに送ってきたメッセージに「私の絶頂は絶対にここではない。」と書いていたことを思い出す。
 自分は良い人間ではない。そうなる日も決してこない。自分にできることは"良い人間であろうと努力し続けること”しかない。

 

■某日
 年に一度の健康診断の日、人生で一番太ったことを知る。腹囲を計測するスタッフの女性に「昨年よりも(腹囲が)4.9cm増えておりますが大丈夫ですか?」と聞かれる。全然大丈夫じゃないが大丈夫じゃないと言えば助けてくれるのか。「階段は辛いものではなく、運動するチャンス!」。館内の階段に張られた標語のようなポジティブ思考が自分にもほしい。痩せねば。

 

■某日
 日記を書き始めて3週目だが全体的に暗いなと我ながら思う。テンション上がるような、ハッピーになるようなことが起きていないので仕方なくもあるが、もうちょいアガる話でも書きたい。Drakeのニューアルバムはがっつりなハウスでかなり調子が良かった。アガったのはそれぐらい。

22│06│Reasons To Live

■某日
 ついこの前夏のような暑さを記録したはずがやけに涼しい日だ。涼しさと雨はセットなのだが。昔高円寺で見てもらった占い師に「君は常に余力を残しているから、一度全力を出して、濡れるのを厭わずに雨の中をワァーって走り出すようなことをした方がいいよ。」と言われたのを今でも覚えている。


■某日
 マッチングアプリで知り合った女性と会う日。しかしなぜかダブルブッキングをしてしまっていたようで、2人の女性が同じ店同じ時間に集合してしまい鉢合わせる形に。地獄のような空気。片方の女性に無言で睨まれ自己嫌悪で人生最高の死にたさに吐きそうにな…ったところで目が覚めた。マッチングアプリの夢を見るってどれだけマッチングアプリに精神を侵食されているのだろうか。
 夕方は仕事で某ライブ会場へ。コロナ禍に新しくできたアリーナで、この場所に来るのは今日が初めて。しかしなぜ最近の新設の箱はコンクリート打ちっぱなしのような会場が多いのか。コストをできるだけ抑え、ホスピタリティも最小限。その中でどれだけ多くのお客さんを収容してお金を落とさせるか、そういった考えが透けて見えるような「効率」を重視した会場でややテンションが下がる。この規模の会場は数が足りておらず、アーティスト同士で箱のスケジュールを取り合っている現状ではありがたい存在ではあるが、もうちょいどうにかならなかったのか。ライブ自体は安定の内容。
 帰りは反町にある二郎インスパイア(正確には蓮爾インスパイア)に寄る。横浜に住んでた時は通勤路の途中にあったため頻繁に通っていたが、引っ越ししてからは中々行く機会も減ってしまったのでこういうタイミングは逃せない。ボキボキと形容される極太麺にホロホロの豚と甘じょっばい醤油スープ。一定の周期で必ず食べたい欲求に駆られるこの魔力は一体何が生み出しているのか。昔は小(量の話)を涼しい顔で食べれたのが少なめ(量の話)でお腹いっぱいになってしまう自分に加齢を感じる。


■某日
 Pale Wavesの「Reasons To Live」にハマる。この曲の歌詞に出てくる"You"は自分にとっては音楽だ。そういう生き方をしてきたし、これからもそういう生き方をしていくだろう。11月の来日公演行きたいな。


■某日
 Mr.Childrenのライブを見に日産スタジアムへ。天気予報ではちょうどライブの始まる時間から雨の予報。7年前にミスチルのライブを日産で見た時は雨具を忘れたおかげで土砂降りの雨に降られ、次の日に熱を出したことを思い出す。日産スタジアムに向かう道中では既に人、人、人の異様な人の数。7万人の人間が一つの場所に集まるってこういうことだったな。みんなミスチル見に来てるって凄すぎるな。
 30周年を記念したライブは最新曲を交えながらも、ミスチルを知る人なら誰もが知っている大ヒット曲のオンパレードで、この場所に集まった全ての人を満足させるに足る圧巻のライブだった。自分たちが何を求められているのか、そしてその期待に応えるつづけるということがどういうことなのか、その重圧は自分には想像もつかない。ただこうしてドームやスタジアム規模のバンドを30年も続けるということは、奇跡が起き続けるような途方もない偉業なのは間違いない。
 予報されていた雨はアンコールの最後の曲まで本降りにはならなかった。「天気予報によれば 夕方からの降水確率は上がっている
でも雨に濡れぬ場所を探すより 星空を信じ出かけよう」
 歌詞が現実とオーバーラップする。これが奇跡なら、おれたちの人生に奇跡は起きるってことだろう。ずっと聴きたかった曲も遂にライブで聞くことができ、感無量の1日。


■某日
 ずいぶん前にマッチングアプリで知り合い連絡は取っていたものの、一度も会っていなかった女性とご飯へ。趣味が似ており、誕生日も近く星座も同じ。話していた雰囲気では物の考え方もかなり近いように感じた。しかし、2時間飲んだが手応えはゼロで、2回目はきっとないだろう。
 マッチングアプリを通じて知り合った人と会う時は、少なくともプロフィールの写真の雰囲気上はお互いの許容範囲内であり、かつ趣味が似ているだとか話が合うだとかでそれぞれが「会ってみたい。」という気持ちが少なからずあり、場合によっては「この人と付き合うことになるかもしれない。」という期待を多少なりとも持って会うものだと思う。しかしそういったハードルを越えてやってきた女性に「もう会わなくていいな。」と思われる自分とは、一体どれだけつまらなくてダメな人間なのだろうと、選ばれない度に自己肯定感を完膚なきまでにへし折られる。どうしたらよかったかという答えはないのでどうすることもできないのだが、フィーリングが合わなかったでは片づけれられない。
 彼女が欲しいか、結婚したいか、子供がほしいか。正直どれもわからない。自分にとっての正解かもしれないし、正解ではないかもしれない。昨日のミスチルのライブに奥さんと来ていた高校の同級生のインスタのポストを見つける。"正解"を見つけたように見える人と自分を比べてしまい、未だに"正解"に辿り着けていない自分は未熟でどうしようもない人間なんじゃないかという気分になる。実際にそうだとういことは、受け入れられないままで。

22│05-06│need something

■某日
 母親が神奈川にある実家に来るとのことで中華街で母親、叔母、自分の3人で中華を食べる。家族仲は定期的にご飯を食べる程度には悪くはないが、かと言って頻繁に何かを報告しあうほどよくはない。姉の近況に至っては母親と叔母経由で知る始末。でも幸せならOKです。特に弾むわけでもない他愛のない話で時間が流れる。ふとこういう時間にもいつか終わりが来ると思うと、ゾッとする。帰りの電車内で「トーフビーツの難聴日記」を読む。tofubeatsの日々の出来事が書いてあるだけなのに、なんでこんなに面白いのか。実は人は他人の生活を知りたい生き物なのかもしれない。それが真実なら週刊誌やガーシーの需要がなくならないのも無理はない。


■某日
 仕事で都内のライブハウスへ。ある程度集客できるキャパの会場は、どこも少々アクセスが悪い。徐々にコロナ禍から脱しつつある音楽業界だが、一度ライブに行く習慣を失った人達をライブ会場に呼び戻すには時間が必要なようで、有名アーティストも集客に苦戦しているという話を聞く。ライブは無事終了。現場で余ったお弁当をもらい家路につく。深夜に冷めた弁当を食べる時、最も"労働"が押し寄せてくる。


■某日
 2日連続でライブハウスへ。プライベートでは参加しないようなイベントに仕事で来れるのは幸か不幸か。当日担当以外の出演者は全組ライブを見たことがなかったので、業務の合間にライブを観覧する。当たり前だが音源を聴いたりYouTubeを見るのと、実際にライブ会場でパフォーマンスを体感するのでは全く違う。ライブを見てより良い印象に変わるアーティストもいれば、肩透かしを食らうアーティストもいる。
 会場を出たのは23時半を回った頃。この時間の渋谷の道玄坂上は箱も店もコロナ前とは様相が一変している。体感ではコロナ前よりも更にチャラく(チャラいに代わる言葉が思いつかなかった)なった気がする。店が変われば街が変わり、街が変われば人も変わる。「こういうノリは自分の人生には一度も訪れなかったな」と、自分よりも一回りは若いであろう若者の集団を見る度に思う。24時を回った頃最寄り駅に着く。お腹は空いていないがどうしても何か食べたくなりセブンイレブンで牛肉のフォーを購入。最近お腹が空いていないのに何かを食べたくなる時が多々ある、というよりほぼ毎日そうだ。食べることでストレスを発散しようとする気が自分にはある。フォーは美味しかった。フォーが何で出来ているはわからないが。わからなくても美味しいものは美味しい。ネットにはわからないことを決めつけてまでわかったような気になろうとする人がいる。わからないままでいいこともある。


■某日
 週末、終日仕事で空けておいたが「来なくても大丈夫」の一言で予定はバラシ。一日休みのベストな過ごし方問題に直面する。この日は午前中はpodcastを聴きながらの掃除と英語の勉強、午後は韓国語の勉強に勤しむ。こういう時は生産的なことをしてるつもりで、ただ「自分は生産的なことをしている」と自分を慰めたいだけなんじゃないかと常に思う。年齢を重ねるごとに自分の可能性の扉が閉まっていくような焦燥感への空疎な抵抗。これ意味あるのかな。
 夜は「トップガン マーヴェリック」をIMAXで鑑賞。劇場には軍服を模したMA-1ジャケットを着た往年のトップガンファンと思しき人たちが集まり写真を撮りあっている。36年待った後、自分の大好きな作品の続編が公開されたら自分はどう思うだろうか。待つ時間が長ければ長いほど、その願いが叶った時のカタルシスは相当なものがありそうだ。以前会社の人に「フルマラソンは最後37kmからが本当に苦しくて辛いが、完走した時の達成感と快感はSEXの100倍は気持ちいい。」と力説されたことを思い出す。忍耐 is 大事。
 映画は前作を予習していったおかげでかなりストーリーに入り込めた。見たいもの全てが過不足なく行き渡った「トップガン」を愛する人たちのロマンの結晶ともいえるような作品で、映画というフォーマットで味わった中でも最高レベルのエンターテイメントだった。ただ今回「トップガン」の続編を見ようと思ったのはネットの評判の高さ故で、おそらく口コミがなければ見てなかっただろう。映画は文句なしで素晴らしかったが、こういう失敗しない確率を高めるような選択ばかり続ける生き方は正しいのかという疑問が頭をもたげる。マーヴェリックのような無茶が足りないんじゃないか。「トップガン」を見てF-18を操縦したくなるような安直な影響の受け方とその衝動で走り出すような浅薄さが、今の自分にはもっと必要かもしれない。


■某日
 横浜の赤レンガ倉庫で行われた「YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL 2022」へ。当日の天気は雨予報だったので事前の段階では行こうか迷っていたところ、TwitterでDMをもらう。4年前に一度だけ会ったことのあるフォロワーさんからで、もし行くなら一緒に行きませんかという内容だった。この4年間特に連絡を取っていたわけでもなかった上に彼はこの2,3年ほとんどツイートもしていなかったのでかなり驚いた。4年ぶりの対面でちゃんと話せるか不安はあったが、わざわざ自分に連絡をくれたことありがたみの方が大いに上回ったので行くことに。
 当日実際にその彼に会って話をしてみると、今彼の働いている会社は業界的にかなり近く、なんなら自社が仕事で付き合いのある会社で働いていることがわかった。SNSを通じて繋がった人と、こうした形で実生活でも関わりがあることは稀にあるが、その度に不思議な縁だなと思う。SNS上の名前しか知らない間dが、今度彼と自分の名前がクレジットに入った作品が出るので、本名を探してみよう。
 目当てだったtofubeatsのライブを見るのはコロナ禍になってから初めてで約2年3か月ぶり。セットリストはコロナ禍のこの2年にリリースした曲を交えつつも初見のファンも楽しめるような盤石のセットリスト。野外のデイイベントで昼からお酒を飲みながら彼のライブを見ていると、コロナ前にはこれが当たり前だったんだなと少し懐かしくなる。久々のtofubeatsのライブは安定の楽しさでやはり自分はtofubeatsが好きだなと再確認する一方、コロナ前の最後のイベントで一度だけ聞いた「陰謀論」の楽しさが未だ脳裏に焼き付いているので、『「陰謀論」もうちょっとライブでやってくれないかな』などという贅沢なことも言いたくなってしまう。


■あとがき
 日記を始めたきっかけは「トーフビーツの難聴日記」を読んで自分も日記を書いてみようと思ったから、という「ヒカルの碁」を読んで囲碁を始めるくらい安直に影響を受けたのが理由だ。過去「今年はブログをもっと書こう。」と決意しては途中でやめたこと数知れず。そもそも改まると自分の人生にブログに書こうなんて出来事はそうそうないし、いざ書き始めても自分の書く文は常に冗長さがつきまとい、どの文章も書ききるのに5時間~長い時は20時間ぐらいかけてしまう。そして大半の文章は書いてる途中でめんどくさくなり、道半ばで放棄されてきた。そう思うとこの「ライジングインパクト」を読んでゴルフを始めるレベルのモチベーションがどこまで続くのかだいぶ疑わしいが、この無味乾燥な毎日に少しでも変化が欲しいので、大いに感化されてみようと思う。

 例えばtofubeatsの作品群を聴くと、その作品がリリースされた当時の時代性と当人のムードをアルバムを通じて感じることがある。アーティストはそのように自身の創作物にその時の感情や思考、そして時代性のようなものが本人の意図するしないにかかわらず内包されるように思うが、自分にはそれに類するものが何もない。この日記が後々、自分の気分や変化、自分の目を通した時代性のようなものが堆積する場所となり、未来の自分が見返した時におもしろがれるものになったらいいな。黒歴史も何も思い出せないよりはマシに違いない。

Trash We'd Love

 ■オンライン英会話を始めた。知らない人と話すのはすごく苦手だ。話をしたい気持ちはあるが、何を話せばいいかわからない。昔キャバクラに行った時、2時間の滞在中45分はトイレにいたのを今でも思い出す。おしゃべりな人見知り。最悪の組み合わせだ。ましてやそれを海外の人と全部英語でするなんて。とは言え”この生活を有意義なものにしなければならない”という強迫観念からは逃れられそうもない。しかし嫌なものは嫌だ。やりたいけどめちゃくちゃやりたくない。そうだな、マッチングアプリで知り合った女性と初めて会う時の17倍は嫌だな。正常に繋がるのか、ちゃんと受け答えはできるか、そもそもおれって英語話せたっけ?余計なこと考えすぎる選手権があれば、自分は近畿代表ぐらいにはなれると思う。しかしそんな自分の不安は驚くほどあっけなく崩れる。

相手はフィリピンに住む35歳の女性。画面の向こうの先生はすごく優しくて、授業が初めてだというと話すスピードを落とし、丁寧に教えてくれた。緊張するとまとまっていない話をグダグダと話始めゴールを見失うことが多々あるが、自分の話を理解しようと努めてくれている。まあそのやさしさの大半は彼女にとっては仕事だからだと思うが、それでも人に優しくされ、励まされ、褒められるということはすごく自分の心を豊かにしてくれていると感じれた。日々生きていて、人に褒められることも、自分で自分を褒めることもほとんどない。ただ自分に厳しくあろうとし、その自分の立てたハードルを超えれないことで自己嫌悪に落ちる。そのループ。もしかすると、キャバクラも同じ構造だったのかもしれないな。あの場所では、誰かの心が豊かになっているのかもしれない。人と言葉を交わし、どんなささやかでも自分の生活を労ってもらえるということはとても尊い。またキャバクラ行ってみたいかもな。とっくに気づいてるが、一人で生きていけるほど自分は強くない。もちろん、トイレの個室に逃げれるお店に限るけど。

 

■家から徒歩30秒。最寄りのコンビニに向かう途中で必ず通る店がある。今まで全く気に留めたことはない。最近そのお店のガラスに「テイクアウトOK」という紙が貼られた。今飲食店はどこもかなり大変なんだろうな。手書きで書かれた文字が余計に胸を締め付ける。外に立てかけられた看板を見ると寿司屋らしい。中に入ってみる。旦那さんと思しき人は厨房で、奥さんと思しき人が入口で迎えてくれる。客は自分以外誰もいない。海鮮丼のテイクアウトを頼む。約5分後、一杯の海鮮丼にしては過剰なほど感謝され、家に持ち帰る。

自分はガリが好きではない。嫌いな食べ物はほとんどないが、ガリは数少ない天敵だ。そもそも寿司を食べに行って、ガリを食べる意味がわからないと一生思ってる。しかし寿司にガリは付きもので、海鮮丼にもガリは当然のように居座っている。お前がいなければそのシャリの上にもう一枚他のネタを載せられるんじゃないか?ガリへの敵意を浮かべながら、ガリをそっとよける。海鮮丼自体は徒歩30秒で食べれることを考えたらかなり美味しかった。こんなことならもっと前から行けばよかったな。しかしこうなると、ガリだけを残すということに何とも言えない罪悪感が生まれてくる。親切にしてくれたご夫婦の顔が浮かぶ。よけたガリを口に運んでみる。「..美味くね??」これまで食べてきたガリは酸味が強すぎて口に入れた瞬間に顔をしかめたくなるものばかりだったが、ここのガリはギリギリのちょうどいい酸味の中に甘みも感じる。丼から退場させられたガリを1枚1枚味わってみる。「美味しい。」確信に変わる。まさか30歳になって、これまで見向きもしなかったお店のおかげでガリが食べれるようになるとは。今の状況は最悪だが、人生何が起こるかわからないものだ。

でも同時に、あのお店がもしなくなってしまったらと考える。今はテイクアウトを買いに行くと、お店の人が「いつもありがとうございます」と言ってくれるようになった。自分が行く時、いつもお客さんは自分以外にはいない。余計なお世話かもしれないが、なくなってほしくないなと思う。なくなってしまったら、きっと寂しくなる。ご夫婦の顔を知らなければ、こんな気持ちにはならなかったかもしれない。もしこのお店の存在を気に留めないままだったら、なくなったところで何も感じなかったかもしれない。ガリと心の痛みを天秤にかける。考えるのをやめた。考えても、自分を傷つけるしかできなさそうだ。

 

■最近SNSで「バトン」や「リレー」を回すのが流行っている。何かしらのお題に自分が答え、その後同じお題を自分のフォロワーに回して、ということを数珠つなぎで繰り返す、とでも説明すればよいのか。自分の元にも数度回ってきた。自分はそういう企画が回ってきたら、「あんまこういうの得意じゃないですけど感」を出しながらも内心はすごく嬉しい。その人がこの企画を次誰に回そうか考えた時に、自分のことを思い出してくれたことがすごく嬉しい。でもいざ自分が誰かに回す順番がくると悩ましくなる。回されるのが嫌という人もいるようだし、次の人に回すことなく自分で終わらせる人もいる。何事も考えすぎな自分には、この選定は綱渡りのような緊張感を感じざるをえない作業だ。つまるところ「自分を生きづらくしているのは自分自身だ」ということを、その後の数週間にわたるこの生活を経て客観的に気づいたため、そのことを今この場に書き記しておこうと思う。ただ素直に頭に浮かんだ人に回せばいい。「素直になる」。いくつになってもそれが難しい。

 

■今更ながらNetflixにハマっている。現実は心が疲れる。物語に傾倒し、作品の世界に没頭できる時間は現実を忘れさせてくれる。『セックス・エデュケーション』を見た。優しい世界だった。コンプレックスを抱える者、家庭環境に苦慮する者、マイノリティであることを恥じる者、くだらない意地を捨てられない者。理性をコントロールできず、嫉妬や虚栄、嘘を並べて、すれ違い、傷つけ、傷つけられる。それでも許し、許され、助け合い、わかり合おうとする。心を開くことで、何度こんがらがった糸も、一つ一つ結び目を丁寧にほどいていける。自分の目には、その世界に悪い人間は一人もいないように見えた。ただみんなが少しだけ不器用で、凸凹している。ただそれだけだ。こうであればいいのにな。こうでありたいな。胸の内を満たす温かい何かが、どうしようもなくそう思わせる。

 

■失恋をした。失恋と呼ぶほど大層なものではなく、何も始まっていないにも等しいが。その人のことはずっと「気になる人」と言っていた。感情的には好きだと思うが、「好き」と言えるほどその人のことを知らないなと思い、あえて「好きな人」ではなく「気になる人」と呼んでいた。自分の良いところでもあり、悪いところでもあると思う。結果を言うと、想いを伝えるまでもなくその人には相手がいるということがわかり、いそいそと不戦敗を自己申告し撤退している今だ。これがドラマや映画なら「ダメでも自分の気持ちを言った方がいい」と言われるだろう。他人の話なら自分もそう答えるかもしれない。だが実際はそう簡単に言えないから「好き」なんだ。嫌われたくない、迷惑と思われたくない、そんな風に見てたのかマジキモイなんて思われた日には余裕で死ねる。まあそうやって過剰防衛で何も言えないのはただの自意識過剰であり、自分の悪い癖の一つのはずだったんだが。3年前、同じ人に4回告白した。4回とも振られたけど。好きだったからこそなかなか好意を伝えられず、手を繋ごうとも言えず、いつでも逃げれるような態度をとり、出会ってからの数か月はただ時間だけを費やした。意を決して告白した時には「OKな時もあったけど今はもう無理」と言われた。そう思うと今のこの気持ちも同じ失敗を繰り返してることになるが、人を好きになったのが久しぶりだったからしょうがない。そう言い訳をして自分のことを許した。ロロという劇団がYouTubeでオンライン演劇をしていた。「会いたいっていうのが先にあって 会えるかどうかは二の次なんだよね」。劇中のセリフが眩しかった。報われない恋は辛いけど、そう思える相手がいるということがすごく素敵なことだ。そう言えばこんな気持だった。自分はまた振り出しに戻ったが、またがんばろうと思える。

ちなみに今は新しく好きな人ができた。Netflixの『梨泰院クラス』に出演しているクォン・ナラだ。念のため言っておくとここは笑うとこでも憐れむところでもない。まあこの場合は「好きな人」ではなく「好きな女優」という、明確に引かれた一線の手前で抱く気持ちでしかないが。それでも心臓を握られるような痛みを和らげてくれる存在は、今の自分にはこれ以上ないほどありがたい。ドラマを見て覚えた。韓国語で「好き」は「チョアへヨ」と言うらしい。使う予定はないけど、覚えておこうと思う。

いつかどこかで、また何かがあるなら、その時に今感じてる気持ちが背中を押してくれたらいいな。いつもすぐに忘れてしまうから、ここに書いておく。

2020.2.21 イギリス旅行記2日目 後編

イーストロンドンエリアにあるショーディッチのGOODHOODという服屋へ向かう。ソーホーが原宿なら、ショーディッチは代官山だろうか。GOODHOODは日本で言うとBEAMSのようなセレクトショップで、ストリート系のアイテムを中心にメンズ・レディース、雑貨も揃っている。今回のロンドン滞在中に行った服屋の中では断トツで好きなお店だった。店内を物色していると、見覚えのあるTシャツを見つける。ロンドン限定の河村康輔×F-LAGSTUF-F×GOODHOODのトリプルコラボだ。まだ売ってたのか!

スタッフ『それめっちゃイケてるだろ?』

「すごいかっこいい。日本だと売ってないしね。」

スタッフ『そうそうロンドン限定なんだよ』

「これ試着してもいい?」

スタッフ『もちろん』

ロンドンに来て初めて"会話"が成立した気がする。知らない人に話しかけられるは苦手なはずなのに、ささやかなコミュニケーションが取れるだけでこんなに嬉しいとは。アウターは376ポンド。Tシャツは79ポンド。合わせると日本円で63,000円ほど。日本にいたら間違いなく躊躇する値段だが、ここはロンドン。「せっかくロンドンに来たから」と迷いなく購入。こうして「せっかくだから」の貧乏根性によって、人は貧乏になっていく。でもお店オリジナルのお香もサービスしてくれたし、良い買い物だった。

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↑買ったアウターのルック。モデルは舐達麻。このイカツさは自分が着ても当然出ない。

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↑オマケしてくれたGOODHOODのお香。14ポンド。日本円で1,900円ぐらい。使い方はわからない。

そしていよいよロンドン旅行のメインイベントの一つ、THE 1975のライブへ。ノースグリーンウィッチ駅を出て1分。目の前にO2と看板を掲げた巨大な建物が現れる。O2は飲食店やショッピングエリアなども入った大型の商業施設で、その中にあるアリーナが今日の会場だ。左手にはボックスオフィスとグッズ売り場が見える。ここでも「せっかくだから」の精神で列に並ぶ。売り場に目をやると、全ての窓口にクレジットカードの読み取り機がある。現金で払ってる人間は一人もいない。現金は使えないのかな?わからないが、とりあえずクレジットカードで払っておいた方が無難そうだ。物販では悩んだ末にTシャツとキャップを購入。全体的にのんびりした雰囲気の物販。イギリスが緩いのか、日本がきっちりしすぎなのか。けれどアリーナに入る際には空港の保安検査場のようなセキュリティゲートがあり、金属探知機とスタッフの手により厳重な手荷物チェックを受けた。過去のテロ事件のこともあってか、こちらは日本の手荷物検査の緩さとは対照的にかなりシリアスだ。

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↑グリーンウィッチ駅で迎えてくれた看板

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↑左がチケット、右がグッズ売り場。

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↑O2の中。

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↑アリーナの入り口。入場口で手荷物検査を受ける。


チケットにはDOOR OPENの時間しか書いていない。開場は18:30だが、ライブは何時からスタートなんだろ?ちなみにこれは後で気づいたことだが、ライブの前日、チケットを買う際に登録していたメールアドレス宛にちゃんとタイムテーブルが送られていた(オープニングアクトのBeabadoobeeが19:30、THE 1975は20:45からの予定となっていた)。もちろんそんなことは知らなかったので、ガラガラの会場に開場時間から入ってしまう。座席はステージ正面向かって右寄り、最上段のエリアの1列目。少し遠いが、会場全体を見渡せるのでまあ悪くはないか。しかし暇だ。場内の探検にでも行くか。フードとドリンクコーナーの雰囲気はさいたまスーパーアリーナに近い。グッズ同様、場内の飲食物も全てクレジットカードか電子マネーでしか購入できないようだ。財布の中には、まだまだ使ってないポンド紙幣が詰まっている。絶対こんなに換金しなくてよかったな。差っ引かれた手数料を思うと些か気落ちする。

「コーラひとつ」

スタッフ『&+○♪〆?』

何か聞かれているがわからない。サイズ以外に何を聞くっていうんだ。

スタッフ『カップ?』

「紙コップのこと?うん、紙コップでちょうだい。」

スタッフ『こっちはボトルでしか売ってないから、紙コップならあっちのカウンターで注文してくれ』

わからねぇわ!なんだそのルール。おそらく「フードとドリンクを売っている場所」と「ドリンクだけを売っている場所」では買えるものが微妙に違うらしい。コーラはコーラでも、ペットボトルと紙コップの違い。ペットボトルでも全然よかったのに、ビビってその場の流れに逆らえずペットボトルで注文できなかった自分が情けない。半泣きになりながら紙コップに注がれたコーラを飲む。コーラはどこで飲んでも美味しいから偉い。

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↑アリーナ内のフード、ドリンクのあるエリア

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↑会場の中でもグッズは売ってた。無理して外で並ばなくてもよかったな。

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↑これはコーラ、ではなく一緒に買ったチキンバーガー。12ポンド。日本円で1,600円ぐらい。日本円で言うと切ない気持ちになってくる。


19時過ぎに座席に戻ると、両サイドにもそれぞれ人がやってきた。左の通路側には南米系の顔つきの2人組。右の奥側にはイギリス人らしい白人の3人組。3人組はライブ前から大盛り上がりで、何度もビールをおかわりしに席を立つ。その度に彼らが通れるよう、通路側に座る自分は身体を縮ませなければならない。「ソーリー」「ごめんよ、これが最後だから」。最後って言った後に、少なくとも2回はおかわりに行ってたな。


19:30。オープニングアクトのBeabadoobeeのライブが始まった。去年Dirty Hit (THE 1975の所属してるレーベル)と契約した18歳の女性シンガーソングライターだ。ライブはまだ荒削りな印象だけど、メロディと声が抜群に心地良い。乾いたギターの、夢見心地なドリームポップ。歌詞の意味もわかると、きっともっと良いんだろうな。なんて考えてたら少しウトウトしてしまう。しかしオープニングアクトが始まっても、まだ客席は半分も埋まっていない。みんなのんびりしてるなー。


20:50。ようやく客席も埋まりかけた頃、暗くなる照明を合図に怒号のような歓声が上がる。流れてくる"The 1975 (ABIIOR)"。音が鳴るたびに、悲鳴があちこちから聞こえる。ヤバい、緊張してきた。あんなに楽しみにしてたのに、いざ始まると自分が一挙手一投足を見逃さずにいれるか不安になってくる。

1曲目は"People"。初めて映像で見たTHE 1975はセクシーで優雅だった。しかし目の前のマシュー・ヒーリーは、憤りを爆発させるかのように叫んでいる。

Wake up! Wake up! Wake up!

It's Monday morning and we've only got a thousand of them left

目を覚ませ!

月曜日の朝だ。おれたちに月曜日の朝はあと1000回しか残されていない。

People like people

They want alive people

The young surprise people

Stop fucking with the kids

みんながみんなを愛してるって

みんなに生きてて欲しいらしい

若い世代がそんな奴らに喰らわせる

キッズを馬鹿にするのはいい加減にしろ

これまでの彼らにはない程、パンク精神を孕んだインダストリアルロック。この怒りは誰に向けられたものだろうか。政治家、システム、格差、旧来の価値観、自己中心的な人間、もしくは自分自身かもしれない。この曲でマシューはハッキリと聴く者をアジテートしている。観客もマシューの声に合わせ「Wake Up」の大合唱。テート・モダンでも見た闘いの歴史は、現在進行形で目の前で作られている。

2曲目の"Sex"を終えると、背後のスクリーンに文字が映し出される。「ROCK & ROLL IS DEAD. GOD BLESS. THE 1975.」。ピンチの時にヒーローが登場するシーンは、いつの時代も胸を熱くさせてくれる。まさにそんな、ヒーローが現れたかのような演出。カッコよくて鳥肌が立つ。そんな感覚をロックバンドが味あわせてくれるなんて最高だ。

聴いてると涙が出そうになる "Sincerity Is Scary"。ピカチュウのような帽子を被り、ムービングステージで踊るマシューをYouTubeで100回は見た。これは自分の目で見る、大切な1回目だ。"It's Not Living (If It's Not With You)"は飛び跳ねたくなるポップソングだ。この曲がドラッグのことを歌ってるなんてとても思えないな。新曲の"Guys"では仲間のことを歌っている。その出会いに感謝し、戻らない日々を懐かしむよう。その郷愁は、そのままファンにとってはバンドとの出会いに言い換えられる。「The first time we went to Japan was the best thing that ever happened.」なんて、日本への言及も嬉しい。"Lostmyhead"のアウトロのバンドアンサンブルとエモーショナルなギターは、ロックバンドだけに許された特権だ。その引力に、目が離せなくなる。"I Like America & America Likes Me"は自分がTHE 1975を好きになったきっかけの曲と言っても過言ではない。激情に身を任せるかのように、アリーナ席へと飛び込むマシュー。時代に対する切実な訴え、これは代弁者の歌だ。

Would you please listen?

Would you please listen?

We can see what's missing

When you bleed, say so we know

Being young in the city

Belief and saying something

頼むから聞いてくれないか?

耳を傾けてくれないか?

何が足りないかおれたちは分かってる

傷付いて血が出たら、おれたちに言ってくれ

この街に住む若者であるおれたちは

信念を持って声を上げるんだ

終盤、"I Always Wanna Die (Sometimes)"ではマシューも客席に歌を委ね、会場が歌で一つになる。「いつも死にたい、時々ね」。矛盾してるようだけど、どうしようもない時の気分を表すとまさにそんな感じ。こんな歌詞で会場が一つになるなんて不思議な話だと思う。でも死にたいと思うのは、希望を持っているからだ。ここにいる人たちは、みな同じ気持ちを抱えているのかもしれない。

一曲終わるたびに、終わってほしくないという気持ちが積み上げられていく。去年のサマソニは現地に行けず、彼らのライブは配信で見ることになった。見れなかったことを一生後悔するような、素晴らしいライブだった。数日間、THE 1975の曲を聴きながら気を落とすほどに。けれどその後悔が、自分をこの場所に連れてきた。ずっと映像で見てきた彼らが目の前にいる感慨は、なんとも言葉に表し難い。全身の毛が逆立つような、血管を血液が拡張するような、身体の中で新しい細胞が生まれるような、興奮と覚醒の連続。胸の底に沈んだ後悔が、いつか自分の手を引っ張って、光の当たる場所まで連れてきてくれることもある。

マシュー「次の曲の間は少しだけ、みんな静かにして聞いてほしい。」

スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリの5分弱にわたるステートメントが使われた"THE 1975(NOACF)"。グレタはこの曲で、地球温暖化の危機を前に人々は行動を起こすべきだとメッセージを送る。

It's time to rebel

今こそ反逆の時だ

そんな曲の後に続くのは"Love It If You Made It"。「おれたちが何かを成し遂げられたら最高さ」と歌うこの曲は、当事者は自分たちだという明確なアティテュードを示している。

ラブソングを歌っている人が、次の曲で戦争のことについて歌ってたら偽善者だと思うだろうか?けれど、甘酸っぱい片想いも、連絡のつかない恋人への不安も、ドラッグに溺れることも、眠れない夜も、経済格差への憤りも、政治への疑問も、地球温暖化を危惧することも、愛する人への愛を綴ることも、全てが生活であり、地続きの、自分たちの話だ。

Truth is only hearsay

We're just left to decay

Modernity has failed us

真実はただの噂だ

おれたちは取り残され腐っていくだけ

現代がおれたちを壊した

But I'd love it if we made it

Yes, I'd love it if we made it

でも、だからこそ何かを成し遂げることは素晴らしいのさ

そう、何かを成し遂げることは素晴らしいのさ

自分がTHE 1975をここまで好きになったのは、そのコンシャスなバンドのスタイルが、今の自分が求めていたものと完璧に重なったからかもしれない。「何かを成し遂げるのは自分たち(私たちであり、おれたち)だ」グレタのモノローグからの"Love It If You Made It"は、間違いなく今回のライブのハイライトだった。

ライブに没頭していると、右肩を突然誰かに叩かれる。3人組の一人が何か話しかけてくる。

3人組『テイク ピクチャー』

「あぁ、写真撮って欲しいの?いいよ。」

3人組『違う違う、お前のだよ』

なんでおれの写真を撮ってくれるんだ??どういうノリだよ。よくわかんないけど、まあ記念になるしいいか。写真を撮ってもらったあと、3人組と謎のハイタッチ会が始まる。これがウェイか。

3人組「どこから来たんだ?」

『日本だよ』

日本から来たと言うと差別されるかもしれないという考えが、一瞬頭の片隅をよぎる。

3人組の一人「トーキョー¥☆♪%#(よく聞き取れなかった)!!ハッハッハ!!!」

ハイタッチが固い握手に変わる。なんか東京って言ってるのは聞こえたけど、何言ってるか全然わからねぇな。でも日本人って聞いて悪いリアクションではなさそう。一人で来てるアジア人を気にかけてくれたのか、それともただ酔ってるだけなのか。最後の"The Sound"では、4人で肩を組んで飛び跳ねる。3人組のおかげで、最後の方は全然ライブには集中できなかった。でも人と肩組んで音楽に合わせてジャンプするだけで、こんなにも楽しいんだな。いつも一人でライブに行くから知らなかったよ。

ライブ中スタンドとアリーナに目をやると、全ての歌詞を全力で歌う人、マシューが何かするたび絶叫してる人、お酒を飲み続けておかわりの度にドリンクカウンターへ消える人、友達同士で写真を撮る人、ずっと動画を回してる人、謎のステップでダンスする人、飽きて携帯をいじってる人、座って寝てる人。「ライブ中はこうしなきゃいけない」、なんてのを考えてる人はあんまりいなさそうだ。ルールが決められ、なんとなくみんなが同じように行動する日本とどっちの方がいいんだろうな。まあ良い悪いじゃなくて、ただの合う合わないって話か。

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↑撮ってもらった写真

 

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↑3人組の一人と。逆光で全然顔わかんないな。


インタールードを入れると、アンコールなしの全28曲。本当に見れてよかった。許されるなら何度だって見たい。余韻に浸ろうとすると、隣にいた3人組が猛烈に話しかけてくる。

3人組『#/☆¥$%○』

すまん、全然わからない。おれは今度から英語ちょっとわかります感を1ミリでも出すのはやめるとここに誓おう。

3人組『この後おれたちと飲みに行かないか?』

そこだけ唯一聞き取れたが、次の日はマンチェスターに朝から移動する予定だっだので丁重に断る。『荷物はちゃんと見とけよ』。3人とハグをし(1人にはキスをされ)、別れる。

良い人たちだったなー。充実感を感じながら席を立とうとして気づく。「…バッグがない。」肩がけのバッグはライブ中は椅子の下に置いていた。しかしそのバッグが見つからない。嫌な汗が一瞬でライブの余韻を奪い去る。

(『荷物はちゃんと見とけよ』)

別の国で、観光客に親しげに話しかけ油断させ、荷物を盗んでいく現地人の話は何度か聞いたことがある。おいおいまさかな。しかし何度探しても見当たらない。鞄の中には財布、パスポート、スーツケースの鍵、およそこの度に必要な物のほぼ全てが入っている。これは本気でヤバい。人混みをかけ分けながら、何年ぶりかの全力のダッシュで3人組を探しに階段を駆け上がる。スタンドの通路を走り、1Fへと向かう階段で3人組を見つける。

3人組『おぉー!どうしたどうした?』

「おれのバッグ見なかった?」

3人組『いや、見てないな』

3人の手元を見ると全員手ぶらだ。疑って本当に悪かった、マジですまん。

3人組『どこに置いてたんだ?』『探すの手伝おうか?』

それ以上優しくされると、自己嫌悪で死にたくなるからやめてくれ。「大丈夫、自分で探すよ。ありがとう。」人の流れに逆行して席へと戻る。ダメ元でもう一度シートの下に手を突っ込んでみる。あった。さっきは神隠しにでもあってたかのように、普通にあった。3人組、本当にすまん。今ここでネットを通じて謝らせてくれ。見つかった鞄は、得体の知れない甘ったるい液体でベトベトに汚れていた。これは無実の善人を疑った自分の心の汚さの現れだろう。ホッとした気持ちと、死にたい気持ちの天秤で心がぐらぐらする。

 

ライブの後、電車もタクシーも長蛇の列になるのはイギリスでも同じだ。駅に続く道を、電車に乗るまでに30分ほど待つ。時計を見るともう23時を回っている。今日一日歩き回った疲れと、ライブの充実感、そして最後の鞄無くした(とおれが勝手に勘違いした)騒動。なんかすごい疲れたな。こんなジェットコースターみたいな旅じゃなくて全然いいんだけどな。人生何が起こるかわからないっていうけど、旅っていうのはそれを凝縮したようなものかもしれない。例のごとく次の日の動きは考えてなかったが、眠気が勝ちベッドへと急ぐ。今わかってることは、明日はホテルの朝食はいらなそうだ。

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The 1975 - Love It If We Made It (Official Video)

 

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2020.2.21 イギリス旅行記2日目 前編

右腕に痺れを感じて目が覚める。どうやら寝ている間に腕を下敷きにしてしまっていたらしい。窓の外は真っ暗。時計に目をやると、まだ朝の5時だ。寝てていい時に眠れず、寝たくない時に眠くなる。30年経っても身体のコントロールは一向に上手くならない。二度寝を試みるも寝付けそうにもないので、ひとまずシャワーを浴びる。あっ、シャンプー用意するの忘れたわ。致命傷にはならないが、こういった小さなミスは少しずつ自分の自尊心を削っていく。朝食は7時からで、15ポンド。まだ時間があるので、今日の行程を考える。どこにでも行ける自由は、どこにも行く場所がないということでもある。ワクワクする期待を100とするなら、どうしようと募る焦りは3000だ。7時過ぎ、受付に降りるも誰もいない。遠くから食器のカチャカチャと当たる音と談笑する声が聞こえてくるが、他の宿泊客が既にいるのだろうか。お金を払わないといけないため、『Back in a Few Minutes.』の言葉を信じて待つ。20分後、ようやく声のした方からスタッフが戻ってきた。

スタッフ『グッモーニング。あら、もしかして私を待ってた?』

いや朝ごはん食べてたんお前かい!7時から客が食べるとするなら、スタッフはそれよりも早く食べているものという思い込みは悪い日本人の発想だろうか。まあいいや。5ポンドを払うと、朝食の待つ地下の部屋まで案内される。

スタッフ『トーストはいる?』

急に聞かれても自分が今トーストを食べたいかどうかわからない。YESかNOか、困った時はとりあえずYESだ。ホテルの朝食はビッフェ形式。トーストにクロワッサン、シリアルにクッキー、バナナとりんご、そしてオレンジシュースとコーヒーメーカーが並んでいる。おかずと呼べそうなものは薄くスライスされたハムとチーズぐらい。見た目通りの味のパンを口に運び胃を膨らませる。コーヒーとオレンジジュースは、どこで飲んでも美味しいから偉い。

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↑7時過ぎに行って空いてなかった受付。寝てる人がいるから静かにね。

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↑慎ましいホテルの朝食。一回5ポンド。日本円で690円ほど。

この日の予定はテート・モダンと事前に調べていた服屋巡り、そして夜には待ち望んだTHE 1975のライブだ。ただそれ以外の空白をどう使うか。以前アナザースカイで乃木坂46齋藤飛鳥がウォータールー駅の近くのグラフティがあるエリアを訪れていたことを思い出す。なんとなく歩いて行けそうな場所に目星をつけ、残りはGoogleマップに託すことにしよう。

 

平日の朝だからか電車の中は通勤途中という雰囲気の人が多い。ロンドンにもラッシュアワーはあるのだろうか。そこそこの人波に揉まれながら電車に揺られる。駅を出て5分ほど歩くと、目的地のリークストリートだ。ここはなんの施設でもないただのトンネルだが、壁から天井にまで、視界一面にグラフティアートが描かれている(かつてバンクシーもここに絵を残したらしい)。壁には常に新しいグラフティが描かれているようで、今自分の見てる絵もいつかは消えてしまう。当然、齋藤飛鳥の残したグラフィティは既に消えていた。「ここが私のアナザースカイ」。脳内で自分を動かしながらナレーションを入れてみる。全然サマにならないな。アナザースカイ求めるのは、自分にはまだまだ早いらしい。

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↑トンネル中に書かれたグラフティアート。自分以外にも数人、観光客が写真を撮っていた。

リークストリートを後にし、ウェストミンスター橋からナショナルギャラリーへ向かう。ビッグベンは2021年まで改修工事に入っており、その姿は拝めなかった。けれどテムズ川、ロンドン・アイ、ビッグベンに囲まれたこの橋からの景色は、十二分にロンドンを感じさせてくれる。道中寄り道した先はセントジェームズパーク。散歩する親子、ランニングに精を出す青年、ミット打ちをするボクサー。ちょっと笑ってしまうほどの数の水鳥が、園内を騒がしく移動している。正しく健全な命の息遣いが、静かな公園にこだまする。

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ウェストミンスター橋からの景色。背後にはロンドン・アイがある。

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↑横断歩道に書かれた注意書き。

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↑朝のセントジェームズパーク。穏やか。

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↑アヒル…でいいのか?

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↑公園の中にはかなりの数の水鳥が生息している。

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↑これになりたい。

午前10時。オープンと同時にナショナルギャラリーの中へ入る。ナショナルギャラリーは正直自分には難しい。中世から近世にかけてのヨーロッパの歴史と宗教に関する知識の乏しさから、その作者や作品が当時どのような役割を担っていたかがピンとこない。英語で書かれた解説文を読んでみるも、専門的な上にバックボーンがないからさっぱりわからない。というかそもそも英語がわからない。「これが◯◯◯年前の作品なのか、凄いなー」。精巧な技術と保存状態、そして時間という壁を超え、その作品が今目の前にあるということへの感慨だけが、胸を高まらせる頼りだ。自分の身の丈を超える絵画がかつて集めていただろう畏怖を、頭の中で精一杯想像してみる。

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↑ナショナルギャラリーの外観。

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↑館内は迷路のようで、自分がどこにいるかわからなくなる。

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↑風景画を見ている私「きれい〜」

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↑日本で行われた「怖い絵展」でも展示された「レディ・ジェーン・グレイの処刑」

ナショナルギャラリーを回った後はソーホー地区で服屋巡りだ。ロンドンはその気になれば歩いて主要なエリアを移動できるほどコンパクトだ。Dover Street Market.からSupreme、PALACE、Machine Aと梯子していく。欲しい服を見つけるも、どこもかなり割高だ。なんせロンドンは物価が高い。日本でも買えるアイテムなら、日本で買った方がお得な気がしてくる。おまけに服を見ている時、英語で話しかけられると心臓に悪い。日本でも服屋で店員に話しかけられるのは苦手なのに、英語でなんて尚更だ。いくつか物色して目星をつけるも購入までには至らず、ソーホー地区をぶらぶらと彷徨う。

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↑Supremeはロンドンでも長蛇の列。客はアジア人がかなり多い。この列の離れたところにまた数十人と列ができていた。かなり並ばないと入れなそうなのでこの日は断念。

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↑PALACE。アイテム的には日本とさほど変わらない。

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↑たまたま見つけた本屋。リトルプレスの作品から、地下には日本の漫画まで置いてあった。「進撃の巨人」「黒執事」「ヒロアカ」あたりがあったので、そのうち「鬼滅の刃」も置かれるかもしれない

昼食はソーホー地区近くの中華街に行こうと決めていた。しかしこういう時、下調べをしていないことが完全に裏目に出る。「どこに入ればいいか全くわからん」。中華街の中をひしめきあうお店を端から順に見ていくも、全部同じに見えてくる。メニューもだいたい似ていて、手掛かりがひとつもない。とりあえず炒飯が食べたいな。常にパンより米派な自分は、やはり日本生まれ日本育ちなのかもしれない。一つの店の前で立ち止まっていると、店員らしき中国人が声を掛けてくる。

店員『*¥%→#%☆(中国語で)』

さっっっぱりわからん。英語はわからないなりに単語が聞こえる時もあるが、中国語はマジのマジで一つもわからん。「ソーリー。アイムジャパニーズ」。そう答えると、悪い悪いと言った様子で店に戻っていく。中から現れた別の店員と話してる様子を見ると、どうやらタバコの火が欲しかったみたいだ。自分は中国人に見えてるのかな?日本にいると、韓国人や中国人など、アジアの他の国の人と日本人はなんとなく雰囲気で見分けがつく。でもヨーロッパにきたら、アジア人というより大きな括りに入れられ、中華街の店の違いが分からないように、その差異はどんどん小さなものになっていくのかもしれない。悩んでてもしょうがないので適当にお店に入る。躊躇して店の前を3回通り過ぎた昨日よりは、僅かだが前進しているはずだ。

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↑中華街の門は世界標準があるのだろうか。

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↑お昼の海鮮チャーハン。値段は10.5ポンドほど。日本円だと約1,500円ぐらい。今度から王将と日高屋には足を向けて寝れない。

昼食後はライブを除けばロンドンで一番楽しみだったテート・モダンだ。テート・モダンは主にモダンアートを中心とした展示会が多く、ナショナルギャラリーに比べるとより感覚的に楽しめる(と自分では思ってる)。北館と南館の二棟が並び、それぞれ常設展と特別展が分かれていて、全てを見て回るにはかなりの時間が必要だ。

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↑テート・モダンの外観

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自分の知らなかった世界に、作品を通して入り込むような感覚は美術館の醍醐味の一つだ。もちろん全ての作品を理解できるわけではない。かっこつけた。実際ほとんどわかっていない。しかしどこからそのアイディアは出てくるんだという驚嘆は、それだけで胸をワクワクさせる。それにわからなくても、色が綺麗とか、タッチが好きとか、なんとなく気になるとか、楽しみ方はそんなもんでいい。大学生の時に読んだ岡本太郎の本に、そう書いてあったはずだ。

常設展のテーマは「アーティストと社会」。人種差別、貧困、権力との癒着、フェミニズム、環境破壊、戦争。いつの時代にも存在する社会問題に対して、芸術家はどういう作品を残し、どういう表現を行なってきたか。時代も国も問わない。しかしそこには常に闘いの歴史がある。"時代"というものは確実にあって、自分もその歴史の1ページを生きている。今世界中で問題になっているコロナウイルスも、未来の教科書に刻まれているだろう。遠い国の、知らない誰かのことを考える意味はあるのだろうか。わからない。でも世界で起こった出来事が、容易に自分の生活に浸食してくるのが現代だ。日々の暮らしは何によってもたらされているのか。闘わない自分に、目の前の闘いの歴史が問いかけてくる。人類は幾多の過ちを犯してきた。その度に、政治家が、マスコミが、芸術家が、市民が、声を上げた先にあるのが未来と呼ばれた今だ。自分が胡座をかいているこの平和は、希望と呼ばれた礎でできている。自分はその事の意味を、どれだけわかっていれてるのだろうか。残された時間は、あんまり長くはなさそうだ。

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ジョジョ・ラビットを思い出す軍事ポスター。実際にテート・モダンに展示してあったのはナチス時代のドイツのものではなく、ソ連時代のものばかりだった。

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↑Barbara Krugerの"Who Owns What?"。経済力と財産は誰のものか。

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↑イランのRokni Haerizadehというアーティストの絵画。マスメディアの横暴、権力と癒着に対するプロテスト。かなり好きなタイプの絵だ。

(後編につづく)

 

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2020.2.20 イギリス旅行記 1日目

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2月20日、アラームよりも早く目が覚める。時刻は朝6時30分。普段会社に行くよりも早い時間だが、緊張と興奮のせいか眠気はそこまで感じない。THE 1975とMura Masa、BABYMETALという自分の好きなアーティストのライブが続けてイギリスで行われることを知ったのは昨年の11月。こんな機会はもうないと、半ば勢いに任せロンドン行きを決めた。元々THE 1975は去年香港で観る予定だったが、デモの影響でライブは出発の3日前に中止。結局香港自体にも行くことはなく、旅券とホテル代は無駄になってしまった。そのこともあり、今回はそのリベンジを果たす機会がきたと(勝手に)天啓を受けたような気分だった。海外に行くのは約8年ぶり。ロンドンに行くのも9年ぶりだ。久しぶりの海外旅行。勝手がわからず、前日までの準備はドタバタ。おまけに今回Mura Masaマンチェスターで見る行程にしたため、ロンドンからマンチェスターへの移動も含め宿と列車を手配しないといけない。9年前どうしてたっけな。おぼろげな記憶を必死に辿るも、当時のことはほとんど覚えていない。Googleの検索窓にたどたどしく「ロンドン」の文字を入力し、航空券とホテル、列車を手配する。無事に出国できるだろうか。不安は拭えず、パスポートの有効期限を何度も確かめてしまう。

 

成田田空港に着き、チェックインカウンターへ。事前の不安をよそに、余りにあっさりと終わるチェックイン。更に手荷物検査も出国手続もなんなく通過する。「なんだ、余裕じゃん。」まだ日本の、おそらくここで引っかかる人の方が少ないポイントを通過しただけで達成感に包まれる。出発まで少し時間あるな。免税店近くのカフェでコーヒーを飲んで時間を潰す。店員さんは日本人だが、客に日本人は一人もいない。免税店から香る香水の匂いは、かつて通った国際空港の記憶を思い出させる。「これからロンドンに行くんだな」。何か大きいことを自分が始めるような(実際はそんな大層なものではないが)、使命感めいたものが込み上げてくる。すると店の外を空港のスタッフの人が名前を呼びながら走ってきた。

空港スタッフ「◯◯(私の本名)さんいらっしゃいますかー?」

今おれの名前呼ばれた??出発までまだ時間あるはずなのにどうして?理由はわからないが、とにかく急いだ方がよさそうだ。飲みかけのコーヒーを半分近く残し、駆け足で出発ゲートに向かう。

館内アナウンス「◯◯さま、飛行機が間もなく離陸いたします。いらっしゃいましたら出発ゲートまでお急ぎください。」

完全におれじゃん。ジワジワと込み上げる不安にトドメを刺される。初っ端からこんなことになるとは。息を切らしながら搭乗口へ着くと、スタッフの人が呆れたような笑顔で迎えてくれた。さっきまで心を満たしていた使命感は急速に萎んでいく。先が思いやられる。


ブリティッシュエアウェイズのCAは男性と女性の割合が半々。日本の航空会社では女性のCAの人しか見ないので新鮮だ。CA「搭乗券は持ってますか?」いきなり英語で話しかけられビクッとしてしまう。ここからもう日本語の通用しない世界なのか。出発前の機内安全ビデオにジリアン・アンダーソンが出てきてひっそりとテンションが上がる(Netflix『セックス・エデュケーション」に出演中)。機内食は2回。ビーフ or サーモンとチキン or パスタ。チキンとパスタは比較するものなんだろうか。パスタを選ぶも、こってりしていてかなり胃もたれした。次乗る時はチキンにしよう。飲み物を聞かれる。

おれ「オレンジジュースください。」

CA『rice?』

おれ「???米??」

意図はわからないが、とりあえずイエスと答える。氷を追加したところを見ると、どうやら『ice』と言っていたらしい。マジでわかんねぇわ。何を言ってるか分からない中突きつけられるYES or NOの2択に、この先何度も胃の縮む思いをすることになる。機内では『Mr.インクレディブル』と『アナと雪の女王』を見て時間を潰す。他の映画も見たかったけど、吹替がなく英語字幕だけで話が分からなくてダメだった。英語勉強しないとな。そんなことを考えながら、気がつくと眠りについていた。

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↑チキン or サーモンのサーモンの方。サーモンはかなり美味しかった。ただテーブルはかなり狭いので溢さないよう慎重に食べないといけない。

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↑パスタ or チキンのパスタの方。チーズとソースのパンチ力が強い。


12時間のフライト後、ロンドン・ヒースロー空港に到着する。飛行機を降りた瞬間、自分がこの感覚を知っていることを思い出す。「ロンドンの匂いだ」。9年前ロンドンに来たときも間違いなくこの匂いを嗅いだ。その感覚を自分が覚えていたことに嬉しくなる。うんうん知ってるよ、オイスターカードだろ?地下鉄に乗るためのオイスターカードを涼しい顔で買い、改札へ向かう(事前に調べ尽くした)。

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ヒースロー空港の到着口を出て駅に向かう途中

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オイスターカード。とにかくこいつにお金をチャージしておけばロンドン市内の移動はなんとかなる。

 

ヒースロー空港からホテルの最寄りのキングクロス駅までは約40分。ロンドンに来る前、ヨーロッパでコロナウイルスが原因で差別を受けるアジア人の話を聞いた。周りからの視線に他意があるような気がして、電車の中では必要以上にビクビクしてしまう。


ホテルの最寄り駅に着き、地上に上がる。

「…わかんねぇ」

地理感覚も方向感覚もない。目印となるランドマークはどれ?東西南北は?ホテルはどっち?何度か身に覚えのある絶望感が押し寄せてくる。ここはどこだよ。震える手でレンタルしたWi-Fiを起動し、Googleマップを開く。見つけた。サンキューWi-Fi。サンキュー文明。日本ではそうそう味あわないが、自分の居場所がわからないというのは想像以上の恐怖だ。当たり前だが周りに日本人は一人もいない。思ったより寒いな。ロンドンの冷気が、突き刺すように肺を満たしていく。

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↑最寄り駅のキングクロス駅。空港から1本で行ける上に、6本ほど乗り換えの線が走っていてかなり便利

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↑2泊したホテル・メリディアーナ。キングクロス駅から徒歩5分ほど。


第二関門だ。人生で初めてアルバイトをするために、居酒屋に電話した時と同じ憂鬱さ。チェックイン一つするのにも大きな勇気を振り絞る必要がある。

おれ「チェックインしたいんですが。」

受付「オーケー。アーユーオールライト?」

よっぽど疲れが顔に出ていたのか、ロンドンに着いて初めての会話で心配されてしまった。大丈夫かどうかはおれもわからないが、大丈夫としか言いようがない。チェックインの手順は日本と概ね同じ。7割何言ってるかわからないが、ノリの相槌となんとなくの雰囲気でかわしていく。鍵を受け取り、部屋の場所を案内される。部屋は3F。トイレとシャワーは共用で部屋と同じフロアのを使ってくれ。朝食は5ポンドで朝7時からね。合ってるかは確認できないが、多分合ってるだろ。エレベーターがないので荷物は部屋のある3Fまで手運び。スーツケースを引きずりながら部屋に入ると、安息の地に辿り着いた安堵で涙が出そうになる。9年前来た時も英語は話せなかったし、なんならその時はWi-Fiも持って無かった。にも関わらずあのときの自分はどうしてたんだろうか。疲れてるし、このまま寝てしまいたいとも思ったが、ロンドンに来てまでホテルに引きこもりたくはない。ご飯を食べに外へ。

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↑ホテルの部屋。狭いが清潔感はあって居心地は悪くない。

 

キングクロス駅から大英博物館の方に向かって歩く。やたらと目につくのはピザ屋とカフェ、それにパブだ。日本みたいに、お一人様に優しいお店は少ない。適当に見つけたインド料理屋と中華の2択に絞る。どっちに入ろうか。そもそも英語でちゃんと注文できるだろうか。緊張と不安で、それぞれの店の前を3回通り過ぎる。意を決してインド料理屋の中へ。「1人で。」滞りなく席に案内されるだけで、寿命が縮む想いだ。店員を呼び、マトンカレーとバスマティライスを注文する。

店員『○×%$ナン?』

おれ「???」

なんかナンって言ってるな。ナンはいるかってことか?それはサービスなのか、それとも料金は取られるのか。聞くのも億劫なので適当にイエスと答える。数分後、注文が運ばれてくると、案の定食べる気のなかったナンもついてきた。カレーはトマトの酸味と風味が効いていてかなり美味しい。適当に入ったにしてはアタリだ。ロンドン1日目の夜を無事過ごすことのできそうな自分に、ささやかな拍手を送りたい。帰り際お会計を見ると、きっちりナンの料金も請求されていたが。

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↑マトンカレー(12ポンド)とバスマティライス(3ポンド)、そして見切れてるのがナン(2.5ポンド)。日本円で2,400円くらい。たけぇ。


やっぱ英語わかんねぇわ。方向感覚もないし、場所もわかんない。常に緊張。全てが不安。9年前の自分の方が、今より確実に気合入ってた。大人になったはずなのに、その分だけ臆病になった気がする。仕事を始めて日々をこなす中で、未知の世界に飛び込む大胆さ、無謀さを、知らず知らずのうちに手放してしまったらしい。12時間のフライトは想像以上に体力を削っていて、ホテルに戻るとそのまま力尽きたようにベッドに倒れる。1日目にしてかなり疲れた。明日はどこに行こう。ロクに計画を立ててなかったが、未来の自分に全てを丸投げすることにする。今日の適当YESの打率は3/6。まあ、意外となんとかなってるか。明日からの不安が頭をもたげたが、ベッドの柔らかさは沈みゆく身体を、思いの外優しく受け止めてくれた。

 

※使ったサイト

◼︎航空券
スカイスキャナー: http://bit.ly/2Vx5XsL


◼︎ホテル
Booking.com: http://bit.ly/3cgPO0l

◼︎列車(ロンドン〜マンチェスター)
Omio: http://bit.ly/2TdbuTQ

 

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