22│06│Reasons To Live

■某日
 ついこの前夏のような暑さを記録したはずがやけに涼しい日だ。涼しさと雨はセットなのだが。昔高円寺で見てもらった占い師に「君は常に余力を残しているから、一度全力を出して、濡れるのを厭わずに雨の中をワァーって走り出すようなことをした方がいいよ。」と言われたのを今でも覚えている。


■某日
 マッチングアプリで知り合った女性と会う日。しかしなぜかダブルブッキングをしてしまっていたようで、2人の女性が同じ店同じ時間に集合してしまい鉢合わせる形に。地獄のような空気。片方の女性に無言で睨まれ自己嫌悪で人生最高の死にたさに吐きそうにな…ったところで目が覚めた。マッチングアプリの夢を見るってどれだけマッチングアプリに精神を侵食されているのだろうか。
 夕方は仕事で某ライブ会場へ。コロナ禍に新しくできたアリーナで、この場所に来るのは今日が初めて。しかしなぜ最近の新設の箱はコンクリート打ちっぱなしのような会場が多いのか。コストをできるだけ抑え、ホスピタリティも最小限。その中でどれだけ多くのお客さんを収容してお金を落とさせるか、そういった考えが透けて見えるような「効率」を重視した会場でややテンションが下がる。この規模の会場は数が足りておらず、アーティスト同士で箱のスケジュールを取り合っている現状ではありがたい存在ではあるが、もうちょいどうにかならなかったのか。ライブ自体は安定の内容。
 帰りは反町にある二郎インスパイア(正確には蓮爾インスパイア)に寄る。横浜に住んでた時は通勤路の途中にあったため頻繁に通っていたが、引っ越ししてからは中々行く機会も減ってしまったのでこういうタイミングは逃せない。ボキボキと形容される極太麺にホロホロの豚と甘じょっばい醤油スープ。一定の周期で必ず食べたい欲求に駆られるこの魔力は一体何が生み出しているのか。昔は小(量の話)を涼しい顔で食べれたのが少なめ(量の話)でお腹いっぱいになってしまう自分に加齢を感じる。


■某日
 Pale Wavesの「Reasons To Live」にハマる。この曲の歌詞に出てくる"You"は自分にとっては音楽だ。そういう生き方をしてきたし、これからもそういう生き方をしていくだろう。11月の来日公演行きたいな。


■某日
 Mr.Childrenのライブを見に日産スタジアムへ。天気予報ではちょうどライブの始まる時間から雨の予報。7年前にミスチルのライブを日産で見た時は雨具を忘れたおかげで土砂降りの雨に降られ、次の日に熱を出したことを思い出す。日産スタジアムに向かう道中では既に人、人、人の異様な人の数。7万人の人間が一つの場所に集まるってこういうことだったな。みんなミスチル見に来てるって凄すぎるな。
 30周年を記念したライブは最新曲を交えながらも、ミスチルを知る人なら誰もが知っている大ヒット曲のオンパレードで、この場所に集まった全ての人を満足させるに足る圧巻のライブだった。自分たちが何を求められているのか、そしてその期待に応えるつづけるということがどういうことなのか、その重圧は自分には想像もつかない。ただこうしてドームやスタジアム規模のバンドを30年も続けるということは、奇跡が起き続けるような途方もない偉業なのは間違いない。
 予報されていた雨はアンコールの最後の曲まで本降りにはならなかった。「天気予報によれば 夕方からの降水確率は上がっている
でも雨に濡れぬ場所を探すより 星空を信じ出かけよう」
 歌詞が現実とオーバーラップする。これが奇跡なら、おれたちの人生に奇跡は起きるってことだろう。ずっと聴きたかった曲も遂にライブで聞くことができ、感無量の1日。


■某日
 ずいぶん前にマッチングアプリで知り合い連絡は取っていたものの、一度も会っていなかった女性とご飯へ。趣味が似ており、誕生日も近く星座も同じ。話していた雰囲気では物の考え方もかなり近いように感じた。しかし、2時間飲んだが手応えはゼロで、2回目はきっとないだろう。
 マッチングアプリを通じて知り合った人と会う時は、少なくともプロフィールの写真の雰囲気上はお互いの許容範囲内であり、かつ趣味が似ているだとか話が合うだとかでそれぞれが「会ってみたい。」という気持ちが少なからずあり、場合によっては「この人と付き合うことになるかもしれない。」という期待を多少なりとも持って会うものだと思う。しかしそういったハードルを越えてやってきた女性に「もう会わなくていいな。」と思われる自分とは、一体どれだけつまらなくてダメな人間なのだろうと、選ばれない度に自己肯定感を完膚なきまでにへし折られる。どうしたらよかったかという答えはないのでどうすることもできないのだが、フィーリングが合わなかったでは片づけれられない。
 彼女が欲しいか、結婚したいか、子供がほしいか。正直どれもわからない。自分にとっての正解かもしれないし、正解ではないかもしれない。昨日のミスチルのライブに奥さんと来ていた高校の同級生のインスタのポストを見つける。"正解"を見つけたように見える人と自分を比べてしまい、未だに"正解"に辿り着けていない自分は未熟でどうしようもない人間なんじゃないかという気分になる。実際にそうだとういことは、受け入れられないままで。