22│08│逆ジョーカー

■某日
 2020年4月から始めたオンライン英会話の総レッスン時間が30000分に達した。1回のレッスンが25分なので1,200回授業を受けたことになり、そう聞くと結構受けたなという気分になる。ただ実際の日数に換算するとわずか20日程度と留学の1か月にも満たない時間でしかないと思うと、海外に住むことにおけるその言語に"晒される"時間の長さの影響力には遠く及ばない。とはいえ2年3か月ほどほぼ毎日レッスンを受け続けた自分のことは若干褒めてやりたい気持ち。肝心の英語力がどの程度伸びているかは定かではないし、おそらく死ぬまで、このゴールにたどり着くことのない旅は続くのだけれど。「全てのことは死ぬまでのプロセスで、ゴールにたどり着くことはない。」みたいなことを前言ったらすごい生きづらそうだと言われた。自分でもそう思う。ただそういう生きづらい人生でもたまにこういう瞬間、後ろを振り返って「結構遠くまで来れたな」と、自分を赦してやりたい気分になれることはある。

 この日記のような何かも書き始めて2カ月が経過し、今のところは続けられている。もし毎回読んでくれている人がいるなら、本当にありがとうございます。


■某日
 あちこちオードリーのオンラインライブを見る。 「夢と希望だけじゃ生きていけない 私の絶望ワイドショー」と題し、オードリーの2人に加えドランクドラゴンの塚地、銀シャリの橋本、Creepy NutsのDJ松永が人生(主にテレビ)において絶望したことを発表し合い、その絶望を供養するという企画だ。具体的な内容は外出しNGなので伏せるが、その中で若林の発した発言に、自分が若林のことを好きな理由が詰まってると言っても過言ではなかった。
 社会には他人の邪魔をしたり誰かの不幸で溜飲を下げる人がいる。自分もそういった感情はないと言い切れるほど清廉潔白な人間でもないが、そういった人たちはもっと明確な形でそれを他人にぶつけ、人が転落するのを待ってる。ただそういった人たちに対して、放送の中で若林は腐すわけでも馬鹿にするわけでもなく、でもお前らの思い通りにはさせねぇぞと、正攻法で闘うことを宣言していた。誰かを傷つけるやり方をできるだけ避けながら、自らの矜恃を通すために不器用な道を選ぶその姿は最高にカッコよかった。
 このやり方は割を食う方法だ。報われないかもしれない。けれどそういう生き方をしたいと自分も思う。松永がぽつんと言った。「そういう(若林のような闘い方を選ぶ)人たちで社会は成り立っている」。

 この若林の話を聞いて大好きな曲のことを思い出したので貼っておく。

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ELLEGARDEN「Cuomo」

Don't tell me you give in
Don't let them compromise you
Realize your ideals
You're not a wimp

Surrendered people envies you holding your good wish
They are trying to draw you into the loser's ring

You're the one told me I can do anything I want to
You're the one told me there is no royal road after all

They try to shake your faith
Because they lost their own
No one can ever prove you can't make it

Maybe one day you will see
If you can keep fighting
Your people are going along with you

You're the one told me I can do anything I want to
You're the one told me there is no royal road after all

I'm coming along

You're the one told me I can do anything I want to
You're the one told me there is no royal road after all

I'm coming along

降参するなんて言わないでくれ
奴らに妥協させられるな
理想を実現するんだろ
君は弱虫じゃない

すでに諦めた奴らが君の強い意志を妬む
奴らは君を負け犬の輪に引きずり込もうとしてる

僕は君からやりたいことは
なんでもやっていいと教わった
僕は君から結局王道なんてものは
ないんだということを教わった

奴らは君の信念をぐらつかせようとする
何故なら既に自分の分を失ってしまったから
君には出来ないなんて誰にも証明できない

願い続けさえすれば
いつか気付くかも知れないじゃないか
一緒に歩いている人がいるってことに

僕は君と一緒にいくよ

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あのキーホルダーをぶら下げて闘ってる人がどこかにいると思うと勇気をもらえる。クソなことは次から次へと起こるが、一人じゃないと思えるならそれは希望だ。それぞれの場所で闘うその人たちに勝手に仲間意識を感じながら、陰鬱な世の中でも腰振って笑い飛ばしてやりたい。

22│07│Can true love exist anymore?

■某日
 The 1975のマシュー・ヒーリーの Rolling Stone UKのインタビューを読む。10月にニューアルバムのリリースを予定している彼らにとっておそらく初のオフィシャルインタビュー。次のアルバムの内容はもちろん、バンドの来歴にこの2年の間の心境の変化やSNSにおけるキャンセルカルチャー、インスピレーションの源泉、現代におけるmasculinity(男性らしさ)、現代がどういう時代で、そんな時代に何を歌うのかなど非常に多岐にわたっている。余りのボリュームに英語の勉強がてら自分で訳してみようとしたら自分の英語力では辞書と翻訳機能を使って3日かかった。けれどファンにとっては非常に読みごたえのある内容だったと思う。このインタビューの中でマシューがこう話す場面がある。

“Inspiration doesn’t come looking for you. Love doesn’t come looking for you. You have to turn up every day and catch it”

ざっくり訳すと「インスピレーションは君を探しには来ない。愛は君を探しには来ない。(それを望むなら)毎日自ら顔を出して、それを掴みにいかなければならない。」というような意味だ。「愛とは実践するものだ」というような言説を何度か聞いたことがあるが、それに近いようなものだと思う。
 「人のこと好きにならなさそう」とよく言われる。実際自分は気の利くタイプではないし、人に対しての興味や関心が薄いという自覚もある。「いつかそれを覆すような人が現れたらその時は人を好きなるよ」と言われると、自分はそういう人間なのだろうなといつ来るかもわからないそれを受け入れていた。
 人を好きになるということは相手を知るということだ。外見だけの好意やその場限りの楽しさは"好き"(人としてではなく愛に近い感情として)ということとは違う。他人に興味を持たず相手のことを知ろうとしない自分が人のことを好きになりようないのは当然だということを、この年になってようやく言語化できたことで理解した。今まで何やってたんだろうなと情けない気持ちになるが、こうやって遠回りするのが自分なのだろう。The 1975の次もアルバムは愛についての作品らしい。"Can true love exist anymore?"。その答えは自分にかかっている。


■某日
 7月も終わるので7月に好きだった曲をまとめる。洋楽を良く聞くタイミングやK-POPのリリースが固まるタイミングなどが微妙に分かれているようでおもしろい。自分の好きな曲を集めたプレイリストを見ていると「自分っぽいなー」と思う。ここには自分っていう人間がどういう奴かが、少なくともマッチングアプリのプロフィールよりはよく表れている。

■某日
 今日からフジロック。今年はサマソニに2日間行く予定でお金がないので現地に行くのは自粛。しかしこうして全アーティストではなくても生中継でライブ配信してくれるのは本当にありがたい。
 初日は仕事しながらだったのであまり見れなかったがTHE HUとKIKAGAKU MOYOとBonoboとVampire Weekendを見た。メタルでもポストロックでもエレクトロでもHIPHOPでもインディーロックでもJ-POPでもどんなジャンルも"フジロック"というフィルターを通すと全て"フジロックっぽく"感じる不思議。フジロックには何かそういうマジックがあるような気がする。気がするだけ。


■某日
 フジロック2日目。掃除や洗濯などの家事を午前中に済ませ、午後はひたすら家にこもりYouTubeに張り付く。普段なら興味がなくスルーするようなアーティストもせっかくだからと見てみたらめちゃくちゃ良いということがフジロックでは多々ある。
 2日目はBLOODYWOOD、ORANGE RANGE、Helsinki Lamda Club、toconoma、折坂悠太、Creative Drug Store、Foals、Arlo Parksを見た。ORANGE RANGEの懐かしいヒット曲メドレーに、中学生当時『musiQ』を買ったことが隣のクラスのヤンキーにバレ「貸してや」と言われ断れず貸したものの、そのまま借りパクされたことを思い出す。14歳の時の自分は「フジロック」って言葉さえ知らなかった。18年後、その「フジロック」を見ながらおれの『musiQ』を借りパクしたヤンキーの顔を思い出している。過去と現在が交差するとか言ったりするけど、これで合ってる?


■某日
 フジロック3日目。現地に行っているわけでもないのに3日目呼ばわりとは図々しい。コンビニにご飯を買いに行く以外は文字通り一歩も外に出ずに今日も一日中フジロックを見る。
 3日目はJapanese Breakfast、Elephant Gym、Bkack Country,New Road、PUNPEE、Superorganism、中村佳穂、ずっと真夜中でいいのに、ハナレグミ、Mura Madaを見た。もし現地に行くなら3日目だなと思っていたので、あっちが終わればこっち、そっちとこっちが被ってるなど息つく間もなくステージ間をワンクリックで移動する。Japanese Breakfast、Elephant Gym、Bkack Country,New Roadなど初めて見る海外勢のアーティストはどれも素晴らしく、特にMCで酔ってスマホをなくしたとおどけながらも超絶技巧なフレージングが強烈だったElephant Gymと、半年前にメインボーカルが抜けながらも新曲を揃え新しいスタイルを見せたBC,NRは来日に行きたいと思うほど好きになった。その後も中村佳穂は"生きる音楽"とでも言うような圧巻のステージだったし、スカパラを従えたハナレグミは言葉では言い表せないような音楽のマジックが間違いなくあった。現地で見れた人が本当に羨ましい。
 3日間ライブ配信を見てるとやっぱり現地に行きたくなる。ただこの気持ちは真空パックできないから、来年の今頃は「遠いし暑いし疲れるし雨降るし金ないしどうしようかな」ってウダウダ言ってる気もする。

22│07│ブルーピリオド

■某日
 天王洲アイルに『ブルーピリオド展』を見に行く。主人公の八虎が美術と出会い、のめり込んでいく過程を追体験できるような展示や、実在する美大生やアーティストが実際に描いた作中に出てくる作品を直に見ることができ、まるで漫画の中の世界に入ったような感覚になる。八虎は自分に自信がなく周囲の目を必要以上に気にしてしまうが、その劣等感ゆえに努力を続けられる姿には勇気づけられるし、そんな八虎を美術の世界に目覚めさせるきっかけになった森先輩は小さな体の中に大きな意志というか不可侵の聖域みたいなものを感じさせる人で、本当にカッコいいと漫画のキャラながら憧れる。展示に行くにあたり改めて1巻から読み返して気づいたが、自分が思っていたよりも自分は『ブルーピリオド」のことが好きだったみたいだ。グッズ売り場では森先輩が好きすぎるのでクリアファイルとしおりを購入。これで毎日森先輩に勇気をもらえる。

『ブルーピリオド』を読んでると小学1年生の時に受けた美術の授業を思い出す。その時は確か読んだ絵本の中の一場面を書くという課題があり、空を何色で塗ろうか迷っていた時に当時の先生が「空は別に青じゃなくても紫でもなんでもいいんだよ」と、今思い返せば結構適当なアドバイスをくれ、けどそのアドバイス通りに空一面を紫に塗った絵がなにかのコンクールで表彰されて小学校のエントランスに飾られた。その時は「固定観念に縛られないのが芸術だ」みたいな発想はもちろんなくて、ただただ嬉しかったような気がする。
でもそれ以降、年取るにつれどんどん美術の授業は嫌いになっていったし、絵も描かなくなった。今ならその理由がわかる。自分は絵を描くのが嫌いになったわけではなくて、その絵を誰かに変だとか下手とか言われることが嫌だったんだな。そうやって他人の評価を気にしてやらなくなったことが今思い返せば沢山ある。歌うのは好きなのにめちゃくちゃ音痴だから友達とカラオケ行くのも嫌いだった。他人からの評価が怖いというのは自分のプライドの高さの表れでもあるんだけれども。もっと小さい頃にそのことに気づけてたらもう少し違う人生送っていたかもしれないなとたまに思う。でもこの遠回りが自分がそれに気づくために必要な時間だったということだから、気づけただけマシかもしれない。


■某日
 小学校からの友達から電話がかかってくる。話を聞くと、2か月前にできた年上の彼女ともう破局寸前らしい。自分の周りにはマトモに恋愛ができない人間が多すぎる。これが類は友を呼ぶか。


■某日
 『モガディシュ 脱出までの14日間』を見る。1990年のソマリアを舞台にした韓国のアクション映画で、笑えるユーモアもありつつも命の掛かった後半の緊迫感に自分の心臓もキリキリとなる。韓国と北朝鮮の大使が内戦状態の国から脱出するために協力しあうこの物語はフィクションではなく史実に基づいたものというのも衝撃。センシティブなイシューに目配せしつつも内情に詳しくなくてもエンタメとして十分楽しめる内容で、昨年韓国で最もヒットした映画という前評判も納得の面白さだった。あとチョ・インソンがマジでずっと成田凌に見えた。

 映画を見た後、ソマリアについてググってみた。映画で描かれた反政府軍との内戦ののち暫定政権が樹立するも、その後も反政府軍によるテロが続くなど、現在も治安が安定せず危険な状態が続いているようだ。劇中ではおそらく10歳に満たない子供が銃を構えてくる。映画を見ている時、登場人物たちの命が危険に晒される度に自分の心臓も縮み上がるような緊張を感じたが、そのような現実が現在進行形でこの世界で起こっているというリアリティは感じられなかった。でも帰り道、駅の階段を上がり地上に出たとき、こうして呑気に自由に外を歩ける平和は急に現実のものとして実感できた。こういう時、いつだって感じるのは罪悪感だ。


■某日
 森美術館で開催中の『地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング』に行く。ウェルビーイングはテーマが大きすぎて、些かこじつけのように感じたものもあったが、ウェルビーイング(身体だけでなく精神、社会的な健康)とは何かを考えるということで、すごく現代的な問いが設定されていたと思う。
 個人的にはヴォルフガング・ライプの《ヘーゼルナッツの花粉》という作品が特に好きだった。このインスタレーションはパっと見は黄色い色が広がっているだけだが、この黄色は毎日僅かにだけ取れる花粉を数年にかけて集めたもので、その僅かに取れる花粉にも遺伝子情報などが詰まっていて、その集積に生命を感じる(みたいな感じの説明)ということらしい。ただ個人的にはその遺伝子情報の集積という側面よりも、小さな石を積み続けるような、一つの行動を繰り返して何かを作り上げるという過程にとても惹かれた。
 バーネット・ニューマンや因藤壽など、一見すると単色の絵画だけれど実際は同じ色を何度も塗るという工程を経て作り出された作品を見た時、そのプロセスにこそ情熱や想いのような何かを感じ、秀でた才能のない自分にできることは愚直なまでに小さな努力を積み上げるしかないという諦念を肯定してもらえるような気持になる。

22│07│show must go on

■某日
 誕生日が3日違いの人に出会う。自分は四柱推命占星術のような占いを結構信じていて、誕生日が近い人や誕生月が同じ人は自分と波長が近い人が多いなと思っているが、この女性も例に漏れずもう一人の自分かと思うぐらい感覚が似ていた。自分の感覚的な部分を話して共有し合えるというか、不思議な親近感があるというか、言葉では説明しにくいが"仲間"に会ったような気分になる。まあ以前誕生月が同じで感性や趣味のマッチ度90%超えみたいな女性にマッチングアプリで出会ったものの、一回のデートでフェードアウトとなったので自分と似てる=仲良くなれるとか付き合えるということでは全くないことも立証済なのだけれど。ただ自分が人生で最も好きになった人が2人いるが、その2人の誕生日が2月20日生まれと2月22日生まれと言われたら、そういうスピリチュアルなものにも何かあるんじゃないかという気分にもなってくる。あとこれまで出会った2月生まれの人は"2"という数字が異様に好きなのだが、他の月生まれの人も自分の誕生月の数字が一番特別だったりするのだろうか。これから人に誕生日聞くときは数字も好きか聞いてみよう。

■某日
 仕事以外なんの予定もない一日。マジ何もしてないなと急遽思い立ちカレーを食べに飯田橋へ。こだわり店主のワンオペ店という店構えに若干ビビるも、こういうお店が美味しくないはずはない(偏見)。辛くないのにスパイスで体温が上がってくると人体の不思議という感じがする。
 その後はカフェで西村賢太に『棺に跨がる』を読む。うだつは上がらないは暴力は振るうはプライド高くて僻み根性は凄いわという主人公の挙動に、読んでる方もインクを落とされたようにジメジメとした鬱屈とした気分が心に広がっていく。破滅的な最期の救いのなさには、自業自得と胸のすくような爽快感は欠片もなく憐憫や哀れみといった寂寥感に胸が包まれた。わざわざ時間を使ってなんでこんな気持ちになっているのかとも思うが、日常生活では到達しえない感情の片鱗に触れられるのが小説やエンタメの想像力のなせる業だとも思う。

■某日
 日向坂46ドキュメンタリー映画『希望と絶望』を観る。今年の3月末に行われた初の東京ドーム公演までの2年間を描いているということで、普段バラエティやライブで見る明るい一面の裏に隠された過酷なスケジュールやライブで酷使されるメンバーの苦悩や葛藤が描かれていた。ただタイトルに"絶望"と大仰な言葉が使われているが、その内の半分はマネジメントしている大人の失敗でしかなく、そういったミスも"物語"という抽象的な概念に回収されて美談に仕立て上げられていることにあまりノれなかった。劇中で大人への批評的な視点が入っていればまた自分の受け取り方も違ったのかもしれない。そう思うと9年前に公開された『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』はアイドルとファンの共犯関係やファンの功罪に自然と目がいくようになっており、アイドルドキュメンタリーとして凄い映画だったんだなと改めて思った。とはいえ個々のメンバーの姿には涙を流してしまった自分もいて、残酷で現金な消費者の自分には運営の大人を批判する資格はないのかもしれない。
 映画の後はカレーを食べに大塚へ。店員さんが全員インド人の本格インドカレー屋はマトンカレーが過去1,2を争うぐらい美味しかった。他のマトンと何が違うかと聞かれたらマジで一つも説明はできないが。

■某日
 仕事終わりに会社の同僚の女性とカレー屋へ。突然3日連続でカレー屋に行く謎のテンション。ただこれは一過性の発作のようなもので、一定周期で麻婆豆腐かハンバーガーか中本ブームがまたやってくるだろう。
 彼女が本当は今日は『処刑山』というホラーを見に行く予定だったという話を聞き申し訳なく思う。しかし巷でも『哭悲』や『呪詛』などホラーものが流行っている話を聞くし、最近ホラー好きな女性にもやたら出会うのだがホラーブームなのだろうか。自分はグロ描写が苦手なのでこの類の映画を見ることはほぼないのだが、彼女が見に行く予定だった『処刑山』にはナチゾンビとソビエトゾンビが出てくると聞いて、それはちょっと見てみたいかもしれないと思った。

■某日
 大学の時の友達から突然「明日東京行くんやけど会えるか?」と連絡をもらう。そいつに最後に会ったのは7年前かそのぐらいで、それ以降は一度も連絡をとっていなかったのでかなり驚く。自分はしばらく会ってない人とは関係性がリセットされてしまうというか、その人とどうやって話していたかがわからなくなり会った時ぎこちなくなってしまうので当日は緊張したが、大学時代と全く変わらない友達にすぐに当時(と同じと自分では思っている)に戻れた。近況や他の同期の友達の状況を聞きつつお互い彼女無しの独身として話は恋愛と結婚に。ずいぶん前に結婚していた2人の後輩が2人とも離婚していることを聞く。「結婚した奴から結婚して良かったって話きいたことない。」というそいつの言葉に「やっぱそうやんなー」と結婚したこともないのに頷きつつ、以前既婚の会社の先輩に言われた「結婚は別に良くないけど家族は良いよ。」という言葉を思い出す。人それぞれと言ってしまえば全てそうだが、結婚することでより幸せになれる人もいれば、必ずしもそうではない人もいる。結局問題は自分がどっちの人間かが未だにわかっていないことなのだろう。結婚式は茶番だから呼ぶなというそいつに、代わりに葬式には来てくれよと言って別れる。久しぶりに友達に会うと、連絡を取っていなかった他の友達にも会いたくなるのはただの一時的な感傷のせいだろうか。ずいぶん会ってない人に突然「久しぶり!」って連絡するのは少し恥ずかしいん。まあでも、努力しないと結構友達っていなくなっちゃうものでもあるよな。

22│07│The Worst Person in the World

※『リコリス・ピザ』『ハケンアニメ』『わたしは最悪。』の内容に若干触れている部分があるので、未見で情報を入れたくない方は鑑賞後に読んでください。

■某日
 映画『リコリス・ピザ』を見る。巨匠ポール・トーマス・アンダーソンの最新作ということで、評論家や映画好きの間ではかなり高評価な今作。ただ自分の初見の感想は「面白かったけどピンとこない」。象徴的なシーンはいくつもあったけれど、全体的にフワッとしていて自分の中にこの作品の落としどころをまだ見つけられていない。
 こういう映画を見て初見でピンとこなかった時、自分は映画偏差値が低いんだろうなといつも感じる。自分がその映画を良いと思うかどうかはストーリーと脚本に依拠する部分が大きく、それ以外の魅力を読み取る力があまりないのだろう。ネットで感想を検索して「そういう見方があるのか」と、後から発見があることばかり。とはいえピンと来ていなくても美しいシーンというものは記憶に残っているもので、この映画における"shit"は、今まで見た中で最も美しいshitの一つだったと思う。


■某日
 映画『ハケンアニメ!』を見る。"アニメ業界で闘う者たちを描いた、熱血エンタテインメント!"というキャッチコピーに嘘偽りはなく、創作に情熱を捧げる人間の矜持が随所に感じられ、音楽業界の端っこで働く人間としても大いに感情移入しながら見てしまった。エンタメ業界はやりがい搾取と言われることも多く、もちろんサービス残業や劣悪な労働環境や待遇を擁護するつもりはないが、杓子定規なものからはみ出した"情熱"や"こだわり"が作品に命を吹き込み、人の心を動かすことがあるというのは紛れもない事実だ。そのロマンを美化するような作風をどう受け取るかは個人の自由だが、この作品にはクリエイターだけでなく、その周りで働くスタッフの背中を押すパワーが間違いなくあると思う。実際見ててちょっと泣いた。あと作中に出てくる架空のアニメ「サウンドバック」と「リデルライト」のどちらも切り取った場面場面しか流れないにも関わらず、本当に存在するなら見てみたいと思うほどのハイクオリティだった。
 ただ最後のタクシーのシーンは原作にあったゆえに入れ込んだのだろうか。あの映画の流れだと唐突感があったので、あの場面はなくてもよかったような気はした。
 
 帰宅後ダウ90000の単独を配信で見る。コントが1本終わるたびに思わず拍手してしまうような設定の妙と8人の掛け合いにめちゃくちゃ笑ってしまうと同時に、自分がもし芸人や劇団をやっていたら嫉妬で脳みその神経がブチ切れていたんじゃないかという気持ちになる。大学生と思しき男女グループが設定になることが多いのでそんな大学生活を1秒も送っていないので設定にシンプルに嫉妬、共感0、イチャイチャするな、でも面白いなマジで。
 そういえばこの単独を見に行くと言っていた、マッチングアプリで知り合って一度だけご飯に行ってその後音信不通になったあの子は元気にしているかな。趣味が合うから上手くいくわけじゃないって『花束みたいな恋をした』は本当に正しい映画だよ。


■某日
 映画『わたしは最悪。』を見る。突然3日連続で映画館に行く謎のテンション。ただこれは一過性の発作のようなもので、1~2か月で映画を1本も見ない時もあるので自分でも自分のことが未だによくわからない。
 「20代から30代の自分の軸が定まらない中で出会った男性との恋の顛末」、なんて言うとすごくチープだけれど、『南瓜とマヨネーズ』を見た時も自分は「出会って別れるだけの映画」と言っていたことを思い出す。『わたしは最悪。』も『リコリス・ピザ』と同様、印象的なシーンは数多くあったが、全体の印象としてはまとまらずフワッと自分の中に軟着陸を果たす。
 これはおそらく自分がオチや結末を重要視しすぎているからなのではないか。子供の頃、母親が焼きそばを作ってくれた時、具として入っていた野菜を先に全部食べて、具を全部食べ終わってから麺だけを食べていた。そうやって「終わりよければ全てよし」ではないが、一番おいしい部分を最後に残す性格ゆえに「どうオチをつけるか(どういうメッセージを残すか)」という部分が自分にとって作品の評価に影響を与えすぎているからなのだと思う。オチは大事だが、その途中のプロセス、もっと言うと意味をもたなくても美しいシーンがあれば、それそのものにもっと感動すべきなのだろう。
 "The Worst Person in the World"。もしユリアがそうなら、自分も最悪の人間だ。そういった解釈しかできないから、生き辛そうとか言われるのかもしれない。


■某日
 Bring Me The HorizonとThe 1975という自分が海外のアーティストで1,2ぐらいに好きなバンドが立て続けに新曲を発表した。自然と自分が惹かれる音楽はアメリカよりもイギリスの方がなぜか多い。こうやってどうしようもない世の中だと嘆きながらも、好きなものに心躍らせながらまた今日をやり過ごしている。


■某日
 参議院議員選挙のため投票に行く。投票所は家から徒歩5分程度の距離にある小学校でありがたいことに自分の家からは非常に近いが、これがもっと遠い距離なら、この暑さの中わざわざものの数分のために投票所まで足を運ぶ気になれるだろうか。汗ばむような気温の中、投票所の小学校へと向かう。
 夜、投票結果が開示される。予想できた結果だったが、あと何度これを繰り返すのだろうか。ただどんな結果であれこれからも生活は続いていく。自分にできることは冷笑することでも匙を投げることでもなく、学び行動し続けることだろう。「終わった」と言ったところで終わらないから、また今日から続けていく。

22│06-07│オンリーロンリーグローリー

■某日
 暑すぎる。梅雨は嫌いだがこうもあっけなく終わった後にこんな猛暑が来るなら話は別だ。あの雨が降った日の清涼な空気が今となっては恋しい。夏の予定は夏フェスに行くぐらいしかないが、このコロナ禍の2年間でスーパーインドア人間になってしまったので、この調子で炎天下の中一日耐えられるか非常に不安。でもあの暑い暑いと汗まみれになりながらも、ギラつく太陽の下で音楽を浴びる日々を待っている自分もいる。


■某日
 月に一度のフットサルの日。メンバーの半分以上は知らない人で、特に話したりすることもないのだけど、同じチームになると自然とチームワークが生まれるのはなぜだろう。これがスポーツか。しかしもう少しプレイ外でも自分から話しかけて交流しろとも思うが、知らない人が沢山いる場が30歳を超えても未だに苦手だ。というか自分を入れて5人以上人がいるとマジで話せない。
 異様に足をとってくる人口芝に運動不足甚だしい生活を送っている体が随時悲鳴を上げる。太ももを鉛で殴られてるみたい。これは明後日まで筋肉痛を引きずりそうだ。


■某日
 日向坂46の渡邉美穂卒業セレモニーを配信で見る。特別推しではないが、毎週「日向坂で会いましょう」を見ていてメンバー全員のことが好きなので、彼女の卒業も自分が思っていた以上に寂しい。アイドルはなぜ卒業するその最後の瞬間が最も美しいのか。満ち足りたような、雲一つない空のような表情で歌う姿が、より別れを切なくさせる。       
 アンコールの最後のスピーチで渡邉美穂が「本当に5年前、ひらがなけやきのオーディションを受けてよかったなと思います。」と話していた。アイドルがアイドルでなくなる時に、「アイドルになってよかった」と彼女たちが言ってくれること以上の幸せはファンにとってあるのかな。ファンというのは時にアイドルを苦しめるものでもある。だからこそ、少なくとも自分にとっては「アイドルになってよかった」という言葉は免罪符のように響く。こういう時、「ありがとう」以上の別れの言葉があればいいのにといつも思う。たかだか一人のファン。結局いつも与えてもらったものの方が多い。


■某日
 6月も終わるので、2022年上半期に好きだった曲をまとめる。「もう○月とか時間すぎるの早すぎてやばい。」、このセリフ死ぬまでにあと300回ぐらい言う気がするが、こうして振り返ってみるとちゃんと半年分生きてるなという気分になる。この半年の一番の思い出は誕生日に彼女とUSJ行ってその翌月に別れたことだ。何が起こるかわからないよな人生。


■某日
 髪を切りにいつもの美容院へ。予約時間に到着するも担当の人の手が空かないらしく20分待つ。施術内容によってかかる時間は違うのに、予約枠が綺麗に30分単位で分けられているホットペッパーの予約枠がよくないんだろうな、ということにする。髪を切った後は美容院の向かいにあるハンバーガー屋へ。髪を切ってハンバーガーを食べるという流れが休日っぽくてすごく好き。30歳を超えてからハンバーガーとコーラとポテトの組み合わせにハマったが、塩分と糖分を交互に取れる布陣を考えた人間は天才だと思う。
 夕方はBUMP OF CHICKENのライブのために幕張メッセへ向かう。会場が近づくにつれグッズを身に着けた人が増えてくると自ずとテンションも上がってくる。ライブは結成25周年記念ライブということもあり新旧の曲を織り交ぜたセットリスト。中学生の時、ラジオでバンプの新曲が初オンエアされると知りどうしても聴きたくて、ラジオを録音してくれた奴の家に友達4人で集まって聴いた"オンリーロンリーグローリー"を初めて生で聴けた。「バンプの新曲が聴ける!」とワクワクした中学生のあの時に感じた興奮が18年越しに蘇ってきたような感覚とともに、全身がこの曲に反応しているのがわかる。自分の青春時代に刻まれた音楽は、いつ聞いてもあの頃に自分に会わせてくれるんだな。バンプの前では、いつも中学生の時の自分に戻ってしまう。
 ライブに行くと、つい客席のファンの人たちを見てしまう。客席を見てると、目に見えるはずのないその人たちの「好き」という気持ちを感じられるような気がする。どのアーティストのライブに行っても、ファンの人たちというのは本当にキラキラと輝いていて、その姿を見ると泣きそうになる。「透明よりも綺麗な あの輝きを確かめにいこう。」"アカシア"の1番の歌詞を思い出す。人が何かを「好き」と想う気持ちがもし目に見えたら、それは透明よりも綺麗に輝いているんだと思う。

22│06│Alone

■某日
 『かぐや様は告らせたい』が次回で最終回という現実が受け入れられない。


■某日
 月に一度のバスケの日。ただ今日は集まりがあまりよくなく、まさかの7人。仕方ないためハーフコートの3 on 3をする。でもいざ始めてみると存外楽しい。別にバスケ経験者でもないので技術はお察しというレベルだが、スポーツをしている時はプレイに集中して雑念が一切ない状態になれてかなり気分転換になる。
 バスケの後は元取引先の人と飲むことに。で、結局そのまま会社の先輩も合流して朝まで大変だった…ってこれTwitterで見たことあるな。この年になってくるとキャリアやら転職やら仕事関係の人と飲むと自然とそういう話になることも多く人生を考える。5年ぶりぐらいに朝4時までお酒を飲んで流石に気持ち悪くなった。


■某日
 前日会社にELLEGARDENのTシャツを着ていったからか、ほとんど話したことのなかった社員の人に「エルレ好きなんですか?」と聞かれる。どうやらその人もエルレが好きなようで、更に同世代ということもわかり、2000年後半のポストエルレと呼ばれたバンドが沢山いた頃の話など、同じ時代に同じ道を通った人にしかおそらく通じないだろう話ができてとても楽しかった。「好きなバンドのTシャツを着てく」、たったそれだけ。何かのきっかけというのは些細なものだ。日記を書き始めて、何も起きていないような自分の人生にも、それなりに何かは起きてると気づいた。
 夜は同業他社に移った後輩と取引先の人と3人で飲み会。普段はあまりお酒を飲まないのに突然予定が続いたりするから不思議だ。他社事情を聞き2日連続で人生について考える。考えても正解がないのに考えたくないよ人生。


■某日
 某アーティストのライブへ。いくつかのアーティストを見ていて「〇年前に出てきていたら、もっと色んな人に届いたかもしれないな。」と感じることがある。時代は常に移り変わっていて、その時々の流行や人の気分、社会のムードがあって、そのアーティストがどんなに良いアーティストでも、その時勢に合致しないと大きな流れに乗るのは難しいように思う。もちろん大きな流れに乗ってヒットを出したことで逆に消費されてしまったアーティストも沢山いるので、それを全員が目指すべきとは言えないが。
 こういう時、一緒に仕事をした中で最も尊敬する人の一人がインタビューで言っていたことを思い出す。その人も、その人の師匠にその言葉を言われたようなので又聞きではあるのだけれど。いつ思い出しても真理だなと思う。 "僕の師匠がよく言うんですけど、「時代とタイアップしなさい」と。タイアップする相手について、一つ目が“企業”、二つ目が“季節”、最上が“時代”だと。"


■某日
 OMSBのライブを見に渋谷WWW Xへ。今年リリースされたアルバム『Alone』が人生のベストアルバムレベルの傑作だったので期待値は最高潮。狙っていたTシャツも無事買えて万全の状態で待機する。ライブは音源で聴いていた更にその何倍も素晴らしかった。心臓に響く低音にOMSBの声量あるラップが乗り、否が応でも首を振り、体を揺らしてしまう。それに加えもちろんラップそのもののカッコよさもずば抜けているが、何よりOMSBのラップはどれだけファストでもフロウが変わっても言葉がクリアに聞き取れ、リリックの意味が全て入ってくる。出自によって受けた偏見への憤りやうだつの上がらない自分への苛立ちと葛藤を吐きながら、でもこのままでは終われないと自分を鼓舞し、そして結婚した奥さんと生まれた子どもへの愛が歌われている。歌詞の内容は全てOMSB本人の話なのに、自分に向けて歌われているような、自分のことを歌っているような感覚になる瞬間が何度もあって、その度に胸が熱くなった。「胸が熱くなる」って言うけど、人間感動すると比喩じゃなくて本当に胸っていうのは熱くなるもんだ。「Aloneたち」。ゲストで来ていたVaVaが客席を指してそう言っていた。"Alone"。人は一人。でも一人じゃない。OMSBの音楽はそう思わせてくれる。OMSBがライブ中何度もありがとうって客席に言ってたけど、それは100%こっちのセリフだ。あと"Think Good"や"Scream"、"黒帯"、"Crown"みたいな昔の曲やPUNPEEがゲストに来ての"Life Goes On"、VaVaと3人での"Wheels"もやってくれてめちゃくちゃ豪華だったな。濃密すぎてライブ終わりちょっと疲れたくらい。でもできるならもう一回最初から見たい。


■某日
 角川武蔵野ミュージアム細野晴臣デビュー50周年記念展「細野観光1969-2021」を見に行く。正直細野さんのことにそこまで詳しくなかったが、そのキャリアを紐解いていくと大御所やレジェンドとして知られるアーティストとのバンドやユニットにソロプロジェクトまで、日本の音楽シーンに多大な貢献と影響を与えてきたことが嫌でもわかり、自分の無知が恥ずかしくなる。50年、プロジェクトは変われど音楽に関わり続ける細野さんの創作意欲は途轍もない。自分にそのぐらい何か人生を通して自分を注げるものってるのかな。あーでもTwitterはほっといたらあと40年ぐらいやってそうだ。
 帰りに池袋で餃子を食べてお酒を飲む。このぐらいの休日を幸せと言うのかもしれん。