30

日付が変わった瞬間は、Twitterに流れてくるIZ*ONEの写真と、YouTubeにアップされたORBIT UNIONの動画に釘付けになっていた。

 

30歳になった。自分にもこの日が来るのか。生きてる限り当たり前のことだが、まだ実感がない。しかし年を経るにつれ、責任感と焦燥感がうっすら増していっていることには気づいている。どんどんあらゆることへの言い訳が許されなくなり、逃げ場のない壁際に追い詰められていく感覚。確実に近づいている死という谷。もっと歳上の人からすればまだまだ若造かもしれないが、10代の子からすれば間違いなく両足をおじさんに突っ込んでる。「30代も楽しいよ。」そう声をかけてくれる人の言葉は100%正しいのだろう。ただその正しさが自分に当てはまるかはまた別の話だ。

自分が小学生の時、人生はほぼ10代と20代が全てだと思っていた。当時の自分からすれば30歳なんてめちゃくちゃおじさん。自立していて、なんでも知っている正しい存在。昔は将来の心配なんてしたことはなかった。普通に生きていれば仕事はあって、結婚できて、子どももいて、そこそこの幸せなら誰もが享受できる。そういうものだと思っていた。なりたいものも特になかった。学校で書かされる将来の夢の欄には「会社員」。なんとなく安定してそうで、誰でもなれる気がしたから。「会社員」だと味気なさすぎるかなと、小学校3年生で野球を始めてからは「プロ野球選手」と書くようになった。いかにも小学生の目指しそうな夢を書いてると安心した。プロ野球選手になりたかったことは一度もない。夢は自分にはあまり縁のないものだった。勉強もそこそこ、運動もそこそこ、友達もそこそこ。自分の自己評価は「全てがそこそこ」。褒められるほど良くはないが、嘆くほど悪くもない。そしてそれが"普通"で、大人になったら"そこそこ"幸せに生きていくと思っていた。

今の自分を小学生の自分が見たら何と言うだろう。ギリギリ仕事はしているが、自立してるとは言い難い。知らないことが毎日のように湧いてきて、正しさと正しさの間で立ち往生している。子どもどころか結婚をしていない(更に言えば彼女もいない)。そこそこの幸せがなんなのかわからない。そんな自分を前にして。

 

結婚をするためにはまず彼女ができないと。マッチングアプリを始めてみた(正確に言えばマッチングアプリを最初に始めたのは2017年なので再開した、だが)。1ヶ月で10人ぐらい会ったと思う。結果は誰とも付き合うことはなかった。自分が良いと思った人からは連絡が返ってこない。自分に好意を寄せてくれていると感じる人のことは向き合えるほど好きになれない。2,3回会った人もなんとも言えない距離感のままやがてフェードアウト。「本当に好きな人にまだ出会ってないだけ」、ありがたい慰めだ。願わくばそうであって欲しいが、それだけじゃないことはもうわかっている。

小学生の自分に言ってやりたい。「まず結婚することや子どもがいることが幸せになるための前提条件ではない。そしてその上でおれは結婚したいと思っている。だが結婚はしたいと思ってできるものではない。これは如何ともしがたく、ハッキリ言うとかなり参ってる。」

小学生の自分は今のこの男を情けないと思うだろうか?でもおれは情けない男なんだ。好きな子に別れ際「またね」ではなく「さよなら」と言われただけで次の日死ぬほど落ち込むような、今まで好きと言ってくれた子たちにもう一度チャンスをくれと謝りたいと思ってしまうような、"「彼女に対する好き」と「アイドルに対する好き」は全くちがうものなんだよ"と大真面目に弁明するような、情けない男なんだお前は。

 

将来の夢は「会社員」。その夢は叶った。夢と呼ぶほど強く望んだことはないが。大学生の時に漠然と「音楽業界で働きたい」と思うようになった。就活の時は他の業界も含め手当たり次第受けて40社以上落ちた。就職できなかったから大学を卒業してからは日雇いのバイトを始めた。今思えば大学生の時点でとっくに"そこそこ"と呼べる状況ではなかったが、おれはいつもそこそこのフリをする傾向がある(そしてそれが大抵の失敗の原因だ)。その後棚から2回餅が落ちてきて、幸運にも現在は音楽業界で働けている。まさに夢が叶った。なりたいものが何もなかった自分が、会社員になるだけでなく、やりたいことまでできている。夢を叶える味は人生の醍醐味なのだろう。小学生の時くどく書かされた理由が今ならわからなくはない。にも関わらず今、そこで働くモチベーションを見失っている。楽しいしやりたかったことだが、このままずっとこの仕事をする未来は見えない。何かを変えないといけない気がしてくるが、どうすればいいかわからない。湿気ったマッチには中々火はつかない。段々と泥沼に沈んでいくよう。やりたいことがないのも辛いかもしれないが、やりたかったことがそうでもなくなっていくのも同じように辛いみたいだ。

小学生の自分に言ってやりたい。「やりたいことはあってもなくてもいい。その上でお前はやりたいことを見つけて、そしてその夢は叶う。人生のハッピーエンドだ。でも夢が叶ったからと言って人生は終わるわけではない。夢は夢のままでいてくれるものでもない。叶えた夢は水をやらないと段々枯れて腐っていく。どうすればいいかは誰も教えてくれない。まだやりたいことのないお前は何を言ってるかわからないと思うが、正直に言うとだいぶ参ってる。」

小学生の自分は今のこの男を褒めてくれるだろうか?そこそこ幸せかと聞かれればそこそこ幸せだ。幸運が8割だけど、残り2割は自分のおかげもあるかもしれない。やりたいことのなかったお前からすれば出来過ぎな人生だ。でもここで終わってはくれない。今日は幸せでも、明日は幸せじゃないかもしれない。夢と呼べそうなものは見当たらない。「プロ野球選手になりたい」と思ってもないことを書いてる時間はもうない。どこにでも行けるという自由は、行き先のわからない人間が陥る罠だ。

 

小学生の時に人生のほとんどだと思っていた10代と20代が終わった。想像していなかった30歳の自分にあるのは、思い描いていた未来をひっくり返したような生活と、夢と呼ぶもののない心の倦怠感、標識のない地平線。この歳で迷子になった気分だけど、誰も探しには来てくれない。昔は将来の心配なんてしたことはなかったが、今は将来の心配ばかりしている。そこそこ幸せでいれればいいが、それは簡単なことではないらしい。仕事、恋愛、結婚、政治、経済、親の介護、病気、コロナウィルス、自然災害、社会保障少子高齢化地球温暖化、戦争。ああその前に、財布の中身と銀行口座を見ないとな。

次にその日付に変わる瞬間は何をしているだろう。来年この文章を読み返した時、31歳の自分は何と言うだろう。10年後は?20年後は?40年後は生きてるだろうか?怪しいな。その時小学生の自分は、口を利いてくれるといいが。年を重ねるにつれ、この晴れない心の陰りはますます濃くなっていくのか。それとも、そこそこと呼ぶのは謙虚が過ぎる、充実した人生を送れるのか。刃の上を歩いている。思い描く未来は、まだらで、不確かで、灰色だ。希望と絶望の戦いは、些か絶望に分があるように見える。希望には頑張ってほしい。傍観者のような祈りが向かう先がどこか、気づかないフリはもうできそうもない。

 

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